マイク真木さんのプロフィール
 
  	マイク真木さんの一発!大ヒット曲「バラが咲いた」
1966年、マイクさんが22歳の大学生の時にリリースした『バラが咲いた』は、自身の代表曲と言うだけではなく、昭和歌謡の歴史に残る名曲になっています。その時代の背景に合うみんなで歌う楽曲としても選ばれる曲と言う印象です。
イケメンのマイク真木さんがギターの弾き語りで歌うこの曲で多くの女性ファンがいました。
マイク真木さんは自らも作詞・作曲しているミュージシャンとしての有名で、CM曲のモービル石油のCMソング「のんびり行こう」、キャンプの時や、ボーイスカウトでもよく歌われる「キャンプだホイ」などもマイク真木さんの楽曲として有名です。
マイク真木さん自身はとても謙虚な方で、「みんなに歌ってもらえるヒット曲が1曲あれば、十分幸せ」と語っています。
この言葉からも感じられる様に長年、芸能界と言うことろにいながら、どこかのんびり人生を楽しんでいるという感じがする方です。
俳優・マイク真木としての転身
 
  	マイク真木さんは俳優としてすでに1971年に映画、1972年にテレビドラマにデビューしていますが、若い世代に俳優・マイク真木さんとして認知された代表的な作品は、1997年放送フジテレビ『ビーチボーイズ』ではないでしょうか。
2大人気俳優がブレイクするキッカケになったドラマとしても有名で、ストーリーの背景にある、海・サーファーのキーワードも、実はサーフィンを自らもするマイク真木さんにとっても生活そのものをイメ―ジさせる役柄で、「民宿ダイヤモンドヘッド」の経営者のオヤジさんがぴったりの役でした。
マイク真木さんの結婚歴と子供は?
マイク真木さんは3度の結婚歴があります。最初の結婚は前田美波里さんと1968年に結婚、その後離婚して、一般女性と結婚、二人のお子さんを設けていますが、離婚して、現在の奥様で元歌手の妻和田加奈子さんと結婚して二人のお子さんがいます。(和田加奈子さんとは一度離婚して再び結婚して、現在に至っています)
お子さんのまとめはこちら!
■長男:真木蔵人さん(母:前田美波里)
■次男:真木勇人(プロサーファー、母:一般人)
■三男・真木泰人(プロサーファー、母:同じ一般人)
■四男・長女(母:和田加奈子)
現在のところ、6人のお孫さんがいます。
ここで気にあるのは、マイク真木さんの最初の奥様で、蔵人さんの母親でもある女優の前田美波里さんとの結婚です。
マイク真木さんと前田美波里さんの出会いは、ハワイのロケがキカッケで出会い、前田美波里さんがマイク真木さんに一目ぼれしたと言います。マイク真木さん20歳、前田美波里さん16歳の時です。
現在もダンディな風貌のマイク真木さんですが、若い頃は日本人ですが、前田さんは、どこの国の人?と思うほどハーフっぽいかなりのイケメンだったようです。
当時の前田さんは、1966年、18歳の時に資生堂のキャンペーンガールとして登場してから、その健康的な容姿と風貌で、大人気になりました。
二人の結婚は、1968年でマイク真木さん24才で前田美波里さん20歳のときのことです。
ただ前田さんにその後来る仕事と言えば、水着撮影ばかりだったりと嫌気がさしていたので結婚して、マイク真木さんとアメリカ放浪の旅をして1年半を過ごした...そんなのんびりした二人だけの生活もあったとか。
そんな二人でしたが、前田美波里さんの方になにかモヤモヤした思いが出てきます。
マイク真木さんと前妻・前田美波里さんとの離婚理由
 
  	1968年の結婚後、1971年~1972年、NHKの『ステージ101』で夫婦で司会を共に務めたりしていました。そして、1972年10月に蔵人さんを出産します。一時は子育て中心の生活をしていた前田さん。
ただ、前田美波里さんがやりたかったのは、歌って踊るミュージカルだったのです。当時の日本では、ミュージカル自体、一般的ではなく、定着もしていなかったので、前田さんが望むような仕事は出来なかった様です。
やりたい仕事ができない不満、そしてスポットライトを浴びて、拍手喝采の舞台に立つことへの思いが次第に大きくなり、前田美波里さんは決意します。
自分の希望する仕事をするためには、家庭との両立は出来ないと..。当時3歳だった蔵人さんをマイク真木さんのもとに残して、前田美波里さんは一人、家を出てしまうのです。
その後、1976年に離婚が正式に成立し、8年間の婚姻関係が終わります。
マイク真木さんと前妻・前田美波里さんが共に出演
2018年1月15日『徹子の部屋』にマイク真木さんと最初の奥さんでもある前田美波里さんが一緒に出演しました。
「よく一緒にお越しくださいました」というMCの黒柳徹子さんもまさか一緒に出演してくださるとは思っていなかった?と言う感じでしょうか。
この番組出演で、離婚の理由や、3歳の息子・蔵人さんをなぜ、置いて出て行ってしまったのかなども、前田美波里さんの口から語られています。
前田美波里さんが、3歳の蔵人さんを置いて出て行ってしまった理由は、前田美波里さん自身が母一人で育てられたことで、父親がいる方がいいと思えたこと、そして、マイク真木さんのお父さんが真木小太郎さんですばらしい家柄だったことで、そんな家で育った方が蔵人さんは幸せだと思ったという事です。
一方、マイク真木さんは「裏切られた~」と思ったとその時の心境を口にしていました。簡単に言ってしまえば、母親が自分勝手な思いで勝手に子供を置いて出て行ってしまったという事なのですが、そんな母親である前田美波里さんと息子の蔵人さんの関係はどうなのでしょうか。
母・前田美波里さんと真木蔵人さんの関係
母・前田美波里さんと真木蔵人さんの関係は前田美波里さんが『徹子の部屋』出演の際にも語られています。
「徹子の部屋」にマイク真木さんと一緒に出演することについて、前田美波里さんは息子である蔵人さんのために出演することを決めたと言います。
離婚して42年経って、マイクさんと前田さんが今、仲良くしていられるのは蔵人さんのおかげで、蔵人さんは時折、マイクさんの様子を「オヤジ、いまこうだよ」という具合に知らせてくれたりと、二人の間に入ってくれているそうです。
そして、素敵なことにマイク真木さんの現在の奥様の和田加奈子さんと前田さんも二人で飲みに行ったりするほど、仲が良いと言います。そんな素敵な関係になれたことにマイクさん自身が一番、驚いている様ですね。
 
     
    




