「金ピカ先生」ことカリスマ予備校講師・佐藤忠志さん死去。
80年代の大学受験バブル期、「金ピカ先生」の愛称で親しまれたカリスマ予備校講師・佐藤忠志さんが、都内の自宅で亡くなっていたことが明らかとなりました。68歳でした。
第一報はこちらです。
暴力団員風の井出達が話題に!!
その暴力団員風の容貌から「ヤッチャン先生」などとも呼ばれた佐藤さん。大学進学のため予備校に通って浪人するのが当たり前だった時代に、代々木ゼミナールや東進ハイスクールで人気講師となり、受験生から絶大な支持を受けていました。

全盛期には長者番付に載るも…
「全盛期は年収2億超え」などとも言われ、長者番付にも載っていたという佐藤さんですが、近年は生活保護を受けており、妻とも離婚調停中で酒びたりの毎日を送っていたといいます。亡くなった当日も、デイケアの職員が自宅に訪れた際に、その職員が冷たくなった佐藤さんを発見したとのことです。
「金ピカ先生」佐藤忠志の現役時代を振り返る!!
佐藤忠志さんは1951年、東京生まれ。慶応大学を卒業後、筑波大学大学院へと進み、1977年に代々木ゼミナールの英語講師となりました。

当時の最新の受験事情にいち早く対応!
その派手な容貌から、キワモノ講師というイメージの強い佐藤さんでしたが、1986年に刊行した「ズバリ!合格の英単語」では、時事問題を扱った入試英文に対応出来るような工夫を施し、最新の入試事情にいち早く対応した参考書を他にも多数刊行。受験英語界のパイオニアとして、受験生から絶大な支持を得ました。

東進ハイスクールに移籍、タレント活動も開始!!
代ゼミの名物講師となった後、1988年には東進ハイスクールに移籍。同時期よりタレント活動も開始し、秋元康プロデュースのレコード「1度きりだぜ人生は―花の受験生応援歌―」や、「天才・たけしの元気が出るテレビ!」に出演するなど、お茶の間の人気者になりました。

受験生に留まらない人気を獲得した佐藤さんですが、1992年には予備校講師を引退。その後はタレント活動などにシフトし、参院選に出馬するなど政治活動も行っていました。その外見通りの華々しい経歴で巷の話題をさらったものの、近年は上述の通り生活保護を受け、ひっそりと生活していた佐藤さん。しかしながら、彼のおかげで大学に合格したミドルエッジ世代の記憶から「金ピカ先生」が消えることは無いでしょう!ご冥福をお祈り申し上げます。
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