吉川晃司 プロフィール

出生名 吉川 晃司
生誕 1965年8月18日(53歳)
出身地 広島県安芸郡府中町
学歴 修道高等学校中退
ジャンル J-POP、ロック
職業 シンガーソングライター
担当楽器 ボーカル
ギター
活動期間 1984年 -
事務所 渡辺プロダクション→セブンスエンタープライズ→アクセルミュージックエンターテイメント
生い立ち
吉川さんの元の実家は原爆投下まで、現在の広島市中心部、原爆ドームと元安川を挟んで真向かいにある当時、中国地方指折りの繁華街だった「中島地区」そうです。
中国地方指折りの繁華街「中島地区」で料亭、吉川旅館を祖母が営んでいたが、戦況の悪化に伴いこれを船本家に売って旅館を譲り、原爆投下1か月前に疎開し難を逃れたそうです。
府中町立府中小学校出身。修道中学校を経て修道高等学校2年時に中退。
広島修道中学校時代から水球の選手となり、修道高校時代にはU-20日本代表に選出された水球選手で最年少日本代表としてイタリア・エジプト遠征にも参加されたそうです。
因みに、修道高等学校って「偏差値:70」で東大合格者数でいうと県内2、3番手の位置だそうです。う~ん偏差値40の私からしたら想像がつかない・・・
渡辺プロへ直談判!
吉川さんは音楽の世界でビッグスターになるには「まずはスカウトされること」と考え、渡辺プロダクションに「広島にスゴい奴がいる、見に来ないと一生悔いを残す」などと自ら手紙を書き送りつけたそうです。
渡辺プロの関係者が、高松の松本明子さんを見に行った帰りに、本当に会いに来てくれて、その後の数度のオーディションを経てナベプロ入りを果たしたというから凄いです。
ただ吉川さんだけが東京に呼ばれたと思っていたら、そういう人が他にも沢山いて、すぐにデビューさせてもらえず、当初はスクールメイツと練習をしていたそうです。
しかしいつまでたってもデビューさせてくれないことに業を煮やし、社長室に直談判したところ渡辺晋社長に気に入られ、デビューへの運びとなったとか。
プロデビュー
ミドル世代なら誰しも歌った、踊った!「モニカ」で歌手デビュー(1984年2月1日)。
この曲は、同年2月11日公開の主演映画『すかんぴんウォーク』の主題歌でもあり大ヒットしました。
その後も立て続けにヒットシングルをリリースし、1984年の日本歌謡大賞最優秀新人賞、日本アカデミー賞新人賞など歌手と俳優の両部門で8つの新人賞を独占。
1985年の始めに、デビュー1年目では史上2人目( 1人目は原田真二)の日本武道館公演を行っています。
過激パフォーマンスでトラブルも・・・

※画像はイメージです。
デビュー間もない頃に行われた学園祭コンサートで、体育館にある緞帳(どんちょう)にぶら下がり、緞帳をビリビリに破いてしまったことがある。
その弁済金は1,000万円。
紅白歌合戦でもヤラかしてます。
①白組なのに真赤な衣装。
②シャンパンを撒き散らしながら登場。(さらに観客に向けて吹き出す)
③撮影中のカメラに衝突。
④ギターに火をつけ、ステージに叩きつけて破壊。
⑤次の歌順(河合奈保子)のが流れてもステージ上に居残り。
当然ながらNHKを激怒させ、吉川さんは出禁処分を受けてします。
ステージ以外でも自宅で知人と殴り合いになり、鼻骨および肋骨を骨折させる傷害容疑で、示談は成立していたが書類送検された。(原因は、酒に酔った知人が吉川さん所有の尾崎豊の形見のギターを蹴った事による)
伝説のユニット「COMPLEX」

COMPLEX
1988年に元BOØWYの布袋寅泰とユニット「COMPLEX」を結成し、翌1989年4月にシングル「BE MY BABY」(トヨタ・セラのCM曲)をリリース。
COMPLEXは『BE MY BABY』を含め2枚のシングルと2枚のアルバムをリリースした(いずれもオリコンチャート1位を記録)後、1990年11月8日の東京ドームのライブをもって活動を停止。
因みに、音楽性の違いから、最後は飲み屋でのつかみ合いの喧嘩に発展して活動停止に至ったそうです。
当時の音楽雑誌のインタビューで「COMPLEXさえ組まなければ、少なくとも友人を失う事はなかった」とコメントしている。
しかし、東日本大震災復興支援ライブを同じく東京ドーム2DAYSとして行い、21年ぶりに復活。待ちかねたファン約10万人が詰め掛けました。
過去の恋愛
石原真理子(女優)

1987年に発売したシングル「MARILYNE」は、当時の恋人である女優の石原真理子との恋愛実体験を歌詞にした曲であったことが判明。
2006年に石原さんが暴露本『ふぞろいな秘密』を発売した際に、石原さんの過去の13人の交際相手として吉川さんの名前が出されています。
吉川さんは事務所を通じて「交際をしていたのは事実。「MARILYNE」のプロモーションビデオには彼女も出演しています」とコメントを出しています。

ふぞろいな秘密
天海祐希(女優)

2003年に交際が発覚した2人の馴れ初めは、天海さんが主演した舞台「阿修羅城の瞳」を吉川さんが観劇に行ったことをきっかけで交際に至ったとか。
当時は天海さんの側から吉川さんに逆プロポーズしたとの噂まで飛び出し、結婚は秒読みかと思われていた2人ですが、共通の知人の冠婚葬祭に対して天海さんが不義理を働いてしまったことをきっかけに不仲となり、3年で破局する事になったそうです。
因みに、未だに天海祐希さん側からは共演NGだとか。

阿修羅城の瞳2003
「2人の知人の冠婚葬祭を巡り、天海が事務所側の意向もあって仕事を優先させたことで亀裂が生じ、3年ほどで終止符。それ以降、天海の熱愛報道は聞かれません。
https://asajo.jp/excerpt/23640芸能界タラレバ美女の「結婚しない」裏事情(1)天海祐希、吉川晃司と別れていなければ… – アサジョ
堀北真希似(一般女性)

※画像はイメージで堀北真希さんです。
2011年5月31日にファンクラブのページにて一般女性との結婚を発表されました。
翌6月1日に、婚姻届を提出。二人の間には既に第一子も誕生していたそうです。
相手の方は40代前半の一般女性で、女優の堀北真希さん似で富山県魚見市出身の医療関係者の女性と言われています。
また吉川さんとの結婚前に離婚歴もありバツイチ女性ということです。
2008年頃より交際に至ったそうで、2011年6月当時で2歳になる長女も生まれていた様です。(現在は10歳)

デイリースポーツ新聞記事
お子さん

東京女学館小学校
ネット上では吉川さんのお子さんは現在は東京女学館小学校に通っていると噂されています。
因みに、東京女学館小学校は芸能人御用達の学校であり、反町・松嶋さん夫妻の娘たちも通っていた小学校で受験倍率は5倍以上の人気校。
更には、入学には最低2千万円の学費がかかる超お嬢様学校。
また制服は森英恵さんデザインで「渋谷の白鳥」と異名を取るセレブ校としても有名です。

森英恵デザインの制服
現在の吉川さんは?
俳優業やアーチスト活動は勿論ですが、最近では忙しい合間を縫ってボランティア活動にも力を入れているようです。
「平成30年7月豪雨」でも被災地へボランティアに・・・
東日本大震災での地道なボランティア活動の他、2018年夏に西日本を襲った豪雨でも、被災地に出向いてボランティア活動に励んでいたことが、現地で活動するボランティアたちの目撃情報から発覚しております。
※ご本人はボランティアについて公表もしていなければコメントも一切していません。
現地で吉川さんを目撃した方がTwitterにあげ、広まったそうです。
最後に・・・
いかがだったでしょうか?
また面白そうなネタがあったらまとめてみたいと思います。
おすすめ記事
見ているだけで楽しい!7男2女11人の大家族石田さんチ!! - Middle Edge(ミドルエッジ)
『大泉洋』過去にはあんな事もありました!&嫁と子供情報!! - Middle Edge(ミドルエッジ)
チノパン?ショーパン?フジテレビ女子アナ!『〇〇パン』シリーズ!! - Middle Edge(ミドルエッジ)