「過激な仕掛け人」新間寿氏がWWEの殿堂入りに!!
「猪木・アリ」戦などの実現に尽力し、昭和期の新日本プロレスブームをけん引した新間寿氏(84)がWWEの殿堂入りとなるのを記念し、東京・両国国技館にて記念セレモニーが開催されました。
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ビンス・マクマホン・シニア氏の遺影を掲げる!
新日本プロレスの営業本部長を務めていた1976年の「アントニオ猪木対ムハマド・アリ戦」など、昭和を代表する名試合を数多く実現させ、「過激な仕掛け人」と評された新間氏。現在のWWE会長であるビンス・マクマホン氏の父、ビンス・マクマホン・シニア氏と親交を深め、昭和期の両団体の発展に貢献しました。このたびのセレモニーでは、ビンス・マクマホン・シニア氏の遺影を掲げた新間氏。「プロレスこそが私の青春」と結びました。

「過激な仕掛け人」新間氏が仕掛けた業績の数々!!
アントニオ猪木、藤波辰爾、力道山、ヒロ・マツダに続く、日本人として5人目のWWE殿堂入りを果たした新間氏。1972年に新日本プロレス入社して以来、数々の名勝負を実現へと導いたその功績は福田赳夫元首相からも「多くのファンを楽しませ、数々のドラマを作り上げた」と称賛を浴びるほど。ここでは、そんな彼のプロレス界での功績をいくつか振り返ります。
アンドレ・ザ・ジャイアントの招聘(1974年)

新間氏が新日に入社して2年後の1974年、当時世界的な知名度を誇った「アンドレ・ザ・ジャイアント」を日本に招聘することに成功。これは水面下でWWEと連携し、実現したものです。
「アントニオ猪木対モハメド・アリ」戦の実現(1976年)

1976年6月に日本武道館で行われた「アントニオ猪木対モハメド・アリ」戦。プロレスラーである猪木と、ボクサーであるアリによる異種格闘技戦は「世紀の一戦」と称されました。
「アントニオ猪木対ウィリー・ウイリアムス」戦の実現(1980年)
1980年2月に蔵前国技館で行われた、熊殺しの異名を持った空手家「ウィリー・ウイリアムス対アントニオ猪木」戦。「地上最強は極真カラテ」と宣言し、猪木と真っ向から対立したウイリアムスと猪木の死闘は、ドクターストップによる引き分けに。観客に強烈な印象を残しました。6月7日にウイリアムスが67歳で亡くなった際には、新間氏は追悼のコメントを発表しています。
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