ピンクレディー

KISS IN THE DARK ピンク・レディー
1979年アメリカに進出。
全米デビューシングルとなった「Kiss In The Dark」がビルボード総合37位。
全米三大ネットワークの一つNBCのゴールデンタイムで、自らの名前を冠する番組を持つなど確実に実績を積んでいました。
しかし、アメリカでの契約を更新することが無いまま帰国することとなり、再び日本での活動に力を入れたものの、日本での人気は低迷。
そして1980年9月1日、ピンク・レディーは二人揃って解散を発表。
7か月後の1981年3月31日、後楽園球場で解散コンサートを開催する。
余談ですが・・・
当時、私も、後楽園球場で解散コンサートに行きましたが、スタンド席はガラガラだったのを覚えています。
アメリカ進出について日本では失敗と言われていますが、アメリカでは大成功していたんですよ。
YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)

YMOの場合、海外移住はしていませんが、1979年に全米デビューアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ(米国盤)』を発売し海外挑戦をされています。
アメリカでライブ活動の他、イギリスなどでワールド・ツアーを行い、日本でも80年代始めに巻き起こったテクノブームに乗りYMOは海外でも通用する英語圏で著名な日本人ミュージシャンと言われております。
1983年旧YMOとしての最後のライブツアー(散開ライブツアー)が行われました。
桃井かおり


「SAYURI」、記者会見
2005年公開のハリウッド映画『SAYURI』出演を期に、2006年にはアメリカ合衆国映画俳優組合(SAG)に加入、活躍の場をハリウッドにも広げています。
現在、桃井かおりさんはロサンゼルス在住。
松田聖子

1990年6月、アルバム『Seiko』で全米デビュー、アメリカでは『USマガジン』や『インターセクト』で特集される。
またイギリスのTV-amの朝のワイドショー番組『Good Morning Britain』(1990年8月)、BBCテレビにも出演し、世界中のメディアに登場。
また1996年5月、日本と米国の合作となりますが映画『サロゲート・マザー』で主演を務め女優としても全米デビューを果たしています。
更に聖子さんはアメリカに移住経験があり英語は堪能だとか。
人気絶頂だった!!『松田聖子』を襲った殴打事件とは!? - Middle Edge(ミドルエッジ)
野沢直子

ご本人の公式ブログより
1991年3月、日本での芸能活動休止を宣言、それまで出演していた全てのレギュラー番組を降板し単身渡米。
路上でサルのモノマネをする大道芸人として活動するも芽が出ず・・・
バンド仲間で知り合ったフランス系アメリカ人のギタリストと結婚。
日本からアメリカに活動の舞台を移し、アメリカで舞台をしながら年に1〜2度日本に帰国してゲスト、解答者としてテレビに出演する出稼ぎは、もはや晩夏の風物詩に。
現在もサンフランシスコ在住。
ぜんじろう

90年前半に関西ではレギュラー番組17本を持つ売れっ子吉本興業のお笑いタレント。
しかし東京では人気は出ず、東京のテレビから姿を消しました。
1998年からは活動の場を海外へと移した。
向かった先は、まずは、ニューヨーク、ロサンゼルス、その後シカゴのChicago Comedy Festivalでプロデューサーに見い出されシカゴに拠点を置く。
1999年、NewZealand Comedy Festivalに正式招待。
また、映画『PP兄弟』に出演し、スティーヴン・セガールの実子・剣太郎セガールとともに兄弟漫才コンビ役を演じ翌2001年のサンダンス映画祭などに出品。
その後、日本に戻って仕事をし、海外での仕事は日本から出向く形を取っている。
電撃ネットワーク

1991年、デーブ・スペクターの紹介によりLAの人気番組 ベスト・オブ・ザ・ワースト(英語版)に出演。
これが世界進出のきっかけとなった。
欧米での人気は絶大。
因みに、海外では「 “TOKYO SHOCK BOYS” 」という名で活動されております。
長井秀和

2007年9月初旬、「世界に通用するコメディアンを目指す」という目的で単身でニューヨークに渡り語学留学。
2008年4月より同地のコメディークラブで、英語によるライブを1、2週間に1度のペースで開催(その模様は本人のブログで動画配信)。下ネタ、動きネタで観客を大いに沸かせる。
現在は日本に帰国しドイツ人女性と再婚。
また新宿歌舞伎町に焼肉屋をオープン。
消えた?『長井秀和』のフィリピン逮捕・不倫・離婚・国際再婚・現在!! - Middle Edge(ミドルエッジ)
宇多田ヒカル

2004年「Utada」として全米デビュー。
デビューアルバムは全曲英語詞の『エキソドス』(EXODUS)
因みに、全世界のiTunesアルバム総合ランキングでも6位というから驚きです。
この方も世界で通用する日本人アーティストの1人といえるでしょう。
ウエンツ瑛士

2018年 - 9月末をもってそこから1年半、日本国内での活動を休止することを発表。
10月よりイギリス・ロンドンに留学し、演技の勉強をすることを日本テレビの番組『火曜サプライズ』にて発表。
ウエンツさんいわく「僕にはいつかロンドンのウエストエンドで舞台に立ちたいという夢があります」との事です。
そもそも『ロンドンのウエストエンドで舞台に立ちたいという夢』ですが、留学期間である1年やそこらで成し遂げられる夢、の時点でおかしいのではないか、という意見も。どちらにせよ不自然ですね」(記者)
赤西仁

2006年10月12日に語学留学を理由に芸能活動を無期限休業するも、2007年4月19日にロサンゼルスから帰国。
翌20日の帰国記者会見で芸能活動復帰を発表。
2010年11月7日からシカゴ、サンフランシスコ、ヒューストン、ロサンゼルス、ニューヨーク5都市を巡るツアー『Yellow Gold Tour 3010』を開催、合計1万5000人を動員した。
12月9日、ワーナー・ミュージック・グループと契約し、2011年春に全米デビューすることを発表。
キアヌ・リーブス主演映画『47RONIN』のオーディションに合格、2012年12月でハリウッドデビューすることが決まった。
なかやまきんに君
一度目の留学
2006年10月9日(体育の日)に芸能生活を一時休業し、一年間の予定でボディビルダーにとっての聖地であるロサンゼルスへ向かい、自らのトレードマークである肉体を強化する為の"筋肉留学"を行った。
2007年2月9日(2月9日の金曜日、筋肉にかけている)カリフォルニア州サンタモニカで全編英語のライブを行った。当初一回公演の予定だったものの現地の観客が多数詰め掛けたため、急遽二回公演に変更し、およそ100人ほどの聴衆を前にライブを披露。
二度目の留学
2008年1月23日、「1年間程度では大した成果が出ない」との考えから今度は永住覚悟、或いは無期限での筋肉留学を開始。
渡米後、カルフォルニア州の2年制の公立大学であり、アーノルド・シュワルツェネッガーの母校でもあるサンタモニカ・カレッジ(サンタモニカ市立大学)に留学。
再留学後も定期的に帰国。
最後に・・・

ピンク・レディー
いかがだったでしょうか?
他にも海外挑戦した芸能人の方々も沢山いらっしゃいます。今回私の独断と偏見で選びました。ご了承ください。
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