そもそも、レッツゴーヤングとは??
1974年4月7日に放送を開始しました。
収録はNHKホールやCT-101スタジオで行われていました。
毎週当時の人気アイドル歌手が大挙出演し、歌やトークを繰り広げていました。
出演したアイドルが当時のヒット曲以外にも、自身のアルバム収録曲などを披露しました(CM曲が歌えず、B面やアルバム曲を歌ったケースもある)。

サンデーズの役割とは??
1977年以後、番組内のコーナーで歌やダンスを披露するオリジナル・グループとして「サンデーズ」を結成し、以降1 - 2年ごとの代替わりを繰り返しながらグループとしては番組終了まで存続しました。
「ヤングヒットソング」のコーナー等では、個々のメンバーが持ち歌を披露するステージを他のメンバーがバックのコーラスやダンスなどで盛り上げる場面も見られました。
1980年の「第31回NHK紅白歌合戦」では当時レッツゴーヤングで司会だった石野真子の「ハートで勝負」の応援に駆けつけ、バックダンサーを務めました。
特に83年度〜85年度は、サンデーズボックス(視聴者からの投稿や感想などを紹介するコーナー)や投稿コーナーのダジャレ作品「だじゃれNo.1」、なぞなぞ作品「なぞなぞNo.1」、曲名レタリング作品「マイ・レタリング」、回文作品「好きよ、ダメだよ、キス」、出演歌手に似ている人の写真紹介「そっくりフォト」等を担当していました。
肝心の麻見和也は??
さて、今記事の主人公である『麻見和也』はどうかといいますと、1984年度 - 1985年度のサンデーズメンバーとなり、リーダーを務めていました。
同期の主なメンバーは、中村成幸(現・繁之)、山本陽一、大沢樹生(1985年度)、保坂尚輝(現・保阪尚希)(1985年度)、太田貴子、成清加奈子(1984年度)、長山洋子(1985年度)などそうそうたるメンツでした。
麻見和也のプロフィールについて
歌手、俳優である麻見 和也(あさみ かずや、本名:鈴木 英樹、1962年1月25日生)は、静岡県静岡市出身で、静岡市立高等学校を卒業しました。
1983年、ポリドール・レコード(現ユニバーサルミュージック)より創立30周年記念新人として、2月25日にシングル「プライベートはお前さ」で、メジャーデビューしました。
東京音楽祭国内大会ノミネートされ、歌手活動と共に、ドラマ、映画にも出演しました。
1983年7月1日 にはアルバム「お嬢さんお手柔らかに」(ポリドールレコード)を発表しました。

俳優としての麻見和也
その後の経歴について
1984年4月から「レッツゴーヤング」でサンデーズのリーダーとしてレギュラー出演する傍ら、CX-TV「青い瞳の聖ライフ」やTBS「乳姉妹」など大映ドラマに出演しました。
1985年には、日本ヘラルド映画「生徒諸君」にも出演しました。

1988年、坂本九も在籍した『ダニー飯田とパラダイス・キング』にボーカルとして参加し、全国各地で、ライブハウス、ホテルのディナーショーに出演しました。
また、テレビのオールディーズ番組にパラダイス・キングが出演した際にも坂本九がボーカルを取った曲は麻見が歌うこともあります。
2000年、ソロ活動を再開し、THE 虎舞竜のメンバーであり、アレンジャーの本間敏之とバンド活動を始めました。
2001年6月、銀座にて、ピアノバー「The Bar Barbra」のオーナーとなりました。
2003年7月、オリジナルCD「CROSS ROAD」をユニバーサルミュージックより発売しました。
2007年1月、株式会社 バーブラを設立し、代表取締役となりました。
2011年2月・3月、フジテレビ 「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」にゲスト出演しました。
さすがサンデーズで鍛えられただけはあります。
それにも増して年齢を経て、渋さが加わり、より一層デビュー曲「プライベートはお前さ」という曲が引き立ってきたのではないでしょうか?
終わりに
若かりし頃はレッツゴーヤング・サンデーズのリーダーとして活躍をし、その後は実力派バンド加入やソロ活動を歩んできた麻見和也…
そんな彼がオーナーとして経営している銀座バーブラは、さぞかし良い音楽に溢れていることでしょう。
その奏でられる音楽を聴きながら、美味しいお酒に酔いしれてみたいものです。
銀座バーブラ