1980年、世界を震撼させたジョン・レノン射殺事件。
ビートルズのリーダーであり、世界を代表するミュージシャンであるジョン・レノン。ビートルズ解散後もソロ活動で名声を得ていた彼が狂弾に倒れたのは、1980年12月8日のことでした。この記事では、当時世界を震撼させたジョン・レノン射殺事件及びその犯人、マーク・チャップマンにスポットを当ててみたいと思います。

1980年12月8日、事件発生。
事件が発生したのは1980年12月8日。ジョンが当時住んでいたニューヨーク市の集合住宅「ダコタ・ハウス」にオノ・ヨーコともに帰宅した際、その入り口で背中に5発の銃弾を浴びました。すぐに市内の病院に搬送されたものの、死亡が確認されました。40歳という若さでの悲劇でした。


犯人がすぐに確保される!!
事件発生を聞きつけた警察が犯行現場に向かうと、銃を路上に放り出し、J・D・サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」のペーパーバックを持っている奇妙な若者を発見しました。その若者の名前は「マーク・チャップマン」。彼は警察に抵抗することなく、速やかに逮捕されたと言われています。

事件発生直後の日本での報道!
マーク・チャップマンとはどのような人物なのか?
マーク・チャップマン(Mark David Chapman)は1955年5月10日生まれ。犯行当時は25歳の青年でした。彼はテキサス州に生まれ、幼少期は母親にDVを行う父親に怯える生活を送り、その中で空想に浸るようになります。そして高校に進学した頃から親に対し反抗的になり、ドラッグなどに手を染めるようになったのですが、キリスト教を通じて改心。YMCAのサマーキャンプで指導員を務めて表彰されるなど、真面目な青年と周囲からは思われていました。

ジョン・レノンの裕福な生活に嫉妬しての犯行?
高校卒業後はシカゴなどを転々とした生活を送った後、故郷へと戻ったチャップマン。当時の彼は自殺願望に悩まされており、ハワイで自殺を図ろうとしたものの失敗。その後改心し、ボランティア活動などを経て1979年に結婚しました。しかし生活は上手くいかず、そんなときに読んだジョン・レノンの日記に記されていたレノンの豪華な生活に怒りがこみ上げ、レノン殺害計画を立てることとなったのです。
逮捕後、マーク・チャップマンはどうなったのか?現在の動向は?
警察に抵抗することなく逮捕されたマーク・チャップマン。逮捕後の彼を待ち受けていたのは裁判でした。裁判で彼の弁護士は彼が精神疾患を患っていると申し立てたものの、第二級謀殺の罪で有罪となりました。

チャップマンに下された「第二級謀殺の罪」により、彼は事実上の終身刑(ただし、20年の服役の後に仮釈放が許可される可能性は残る)となりました。そして20年の服役の後、仮釈放の申請が何度も出されたのですが、反省や更生の念が見られない事や、レノンの遺族に対する再犯の可能性も危惧されるため、仮釈放が許可されたことはありません。
チャップマンの現在は?
2018年8月に10度目の仮釈放申請が不許可となったのに伴い、釈放は早くとも2020年となったチャップマン。仮釈放申請の際に「レノンを殺すことで注目を集め有名になりたかった」と語り、いまだ反省の念を見せることのない彼も、既に60歳を過ぎています。果たして今後彼が釈放されることはあるのか?仮に釈放された場合、社会に与える影響はどうなるのか?注視していきたいところです。

ジョン・レノン射殺事件は映画化されてます!
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