1978年
サンハウス(SONHOUSE)
1970年に結成されたブルースロックバンド。
バンド名の由来はアメリカ合衆国のブルース歌手、サン・ハウスの名前から取る。
1978年に解散。
1983年、サンハウス再結成。右記4ヶ所でライブを行う。
2016年4月7日「シーナの日」にシーナ&ザ・ロケッツ、サンハウス(菊、鮎川、奈良、篠山、鬼平)の2バンドで2デイズにてライブを行った。
メンバー
 
  	菊(柴山俊之) (ボーカル)1947年6月9日(71歳)2017年、4月8日。新生Electric Mudで2枚組ライブアルバム「Long Honeymoon」リリース。
鮎川誠 (ギター)	1948年5月2日(70歳)鮎川は妻シーナと共にシーナ&ザ・ロケッツ結成。
奈良敏博 (ベース)サンハウス脱退後は、シーナ&ザ・ロケッツで活躍。
旧メンバー	
篠山哲雄 (ギター)結成時から1976年12月まで在籍。
浦田賢一 (ドラムス)脱退後は、SHOT GUN、HAKATA BEAT CLUBや俳優としても活躍している。
後藤龍一 (ベース)結成時から1971年1月まで在籍。
浜田卓 (ベース)1971年4月から1973年1月まで在籍。
鬼平(坂田紳一) (ドラムス))1974年3月から1977年10月まで在籍。
川島一秀 (ドラムス)1977年10月から解散まで在籍。
浅田孟 (ベース))1956年2月18日(63歳)1979年にシーナ&ザ・ロケッツのベーシストとしてメンバーに加入。2011年5月シーナ&ザ・ロケッツを脱退。
坂東嘉秀 (ギター)1977年10月から解散まで在籍。
キャンディーズ
メンバーは、3人とも東京音楽学院のスクールメイツ出身。 
1972年NHKの新番組『歌謡グランドショー』のマスコットガールとして3人揃って抜擢され、番組プロデューサーから「食べてしまいたいほどかわいい女の子たち」を意味して「キャンディーズ」と名付けられた。
1973年に「あなたに夢中」で歌手デビュー。
1976年発売の「春一番」は、オリコンで当時最高の週間3位を獲得。
1978年4月4日、後楽園球場に当時空前であった5万5千人を集め「普通の女の子に戻りたい!」と解散。
解散後は一度も再結成を行わなかった。
メンバー
 
  	伊藤蘭(ラン)1955年1月13日(64歳)最近では41年の長い歳月を経てソロ歌手デビューすることが決定しました。
田中好子(スー)2011年十二指腸潰瘍・乳がんが再発で国際医療福祉大学三田病院にて逝去。55歳没。
藤村美樹(ミキ)1956年1月15日(63歳)、田中好子が2011年4月21日に亡くなったことにより、田中の通夜(同年4月24日)に参列のため姿を見せた。
サディスティックス
1975年末のサディスティック・ミカ・バンド突然の解散により、高橋幸宏、高中正義、後藤次利、今井裕によって1976年春に結成された。
新レコードレーベル「Invitation」立ち上げの目玉商品として1977年6月に発表、グループとしての活動を本格化させた。
1978年8月29日、九段会館で行われたライブ(ゲストはにペッカー、斉藤ノブ、村上秀一)をもって解散。
メンバー
 
  	高橋幸宏(ドラムス)1952年6月6日(66歳)1978年からは、「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」を結成。
高中正義(ギター)1953年3月27日(65歳)解散後はソロ・アーティストとして活動。
後藤次利(ベース)1952年2月5日(67歳)近年は、TSMやOSMなどで講師をつとめている。
今井裕(キーボード)1949年3月31日(69歳)1988年から本格的に音楽プロデューサーとして活動。
マンドレイク(MANDRAKE)
1972年、平沢進と安部文泰により前進のバンドが結成される。翌年、メンバー募集に田中靖美と田井中貞利が応じマンドレイクとして結成。
1978年12月に行われたラストライブでは前半にプログレ曲、後半にニューウェーブ曲を演奏するなどこれからのP-MODELの活動を暗示する演出がなされ、秋山も演出に参加していた。
1979年1月1日解散。
メンバー
 
  	平沢進
平沢進(ギター・ヴォーカル)1954年4月1日(64歳)解散後はP-MODELのヴォーカル・ギターとしてメジャーデビュー。1989年以降はソロ活動も行っている。
阿久津徹(ベース)
田中靖美(ベース・キーボード)
田井中貞利(ドラムス)
旧メンバー	
安部文泰(ヴォーカル・ヴァイオリン)
関弘美(ベース)
フォーリーブス
1967年4月1日、ジャニーズの「太陽のあいつ」という曲のバックダンサーとしてグループを結成。
1968年9月5日、CBS・ソニーレコード(現:ソニー・ミュージックレーベルズ)の国内契約第1号アーティストとして、シングル「オリビアの調べ」にてレコードデビュー。
1976年にリリースした「踊り子」で、東京音楽祭ゴールデン・カナリー賞の受賞を皮切りに日本歌謡大賞特別賞、日本テレビ音楽祭特別賞等を受賞。
1978年8月31日、新宿の東京厚生年金会館のステージにて解散。
2002年1月29日、メンバー中誰よりも解散を惜しみ、節目の年の度に再結成を訴え続けていた青山の念願がかない、再結成。
2009年3月29日、東京厚生年金会館でのコンサートを最後に活動休止。
メンバー
 
  	北公次 2012年2月22日、肝臓ガンのため都内の病院で死去。63歳没。
青山孝史 2009年1月28日午前7時、肝がんで死去。57歳没。
江木俊夫	1952年6月4日(66歳)2017年3月25日に公式フェイスブックをオープン。
おりも政夫	1953年7月4日(65歳)現在も精力的に活動している。
旧メンバー	
永田英二1955年5月29日(63歳)フォーリーブスの結成当時(1967年4月)にはまだ小学6年生だったために退団した。
入れ替わりに青山孝史がフォーリーブスに入りその後にレコードデビューしているため、永田は幻のメンバーとして一部に知られている。
1979年
ガセネタ
明治大学の現代音楽ゼミナールで1977年9月に結成された日本最初期のオルタナティヴ・ロックバンド。
1978年より吉祥寺マイナーを中心としたライブハウスや大学の学園祭などで活動。
名前を変えながらゲリラ的に活動を続け、結成からわずか2年後の1979年3月末日に解散。
2015年には大里俊晴の7回忌にあわせて36年ぶりに再結成されるが、新録アルバム発売直前の2018年10月23日に山崎春美がTwitterを通じてメンバーや関係者に相談せず独断でガセネタを解散したと発表。
メンバー
山崎春美(Vo)1958年9月2日(60歳)タコのリーダー。ガセネタではヴォーカル。
旧メンバー	
浜野純(Gt)現在、消息については不明。
大里俊晴(Ba) 2009年11月17日シャイな人柄で医者に体を晒すことを嫌って健康診断などを受けず、菜食と甘味に偏った食生活(本人曰く、「菜食主義」ではなく「菜食趣味」)によって健康を蝕んだ結果、晩年には闘病を強いられ、遂には落命したという。享年51。
村田龍美(Dr)大学入試の受験勉強が本格化したのを機にガセネタを脱退。
佐藤隆史(Dr)1978年3月7日、東京都武蔵野市吉祥寺に伝説のライブ喫茶「吉祥寺マイナー」を開店。
亀川千代(Ba)ゆらゆら帝国のベース担当。
田畑満(Gt)Acid Mothers Templeのギター担当。現在は女装し、「ミツコ☆タバタ」という名義で参加。
乾純(Dr)ザ・スターリンの初代ドラマーとして活躍した(一時離脱をはさんで1985年のバンド解散時には再びドラマーを務めた)。
風(かぜ)
かぐや姫の伊勢正三と、猫の大久保一久が1975年に結成したフォークデュオ。
「風」というデュオ名は伊勢が名付け、「空気のように留まらず、音楽的に常に進化していくことを目指す」という意味が込められている。
1979年に活動を休止したが、1990年8月の第10回サマーピクニックで共演をしている。2007年5月6日の品川プリンス ステラボールにおける伊勢のコンサートに大久保が飛び入り参加し28年ぶりの復活を果たし、このことがきっかけになり、同年7月21日の「伊勢正三ライブinべるが2007」において二人によるコンサートが開催された。
メンバー
 
  	伊勢正三1951年11月13日(67歳)2013年、南こうせつと新しいユニット「ひめ風」を結成。
大久保一久1950年7月22日(68歳)薬剤師として薬局に勤務(現在も在職中)。2008年4月1日、ゲスト出演する予定の伊勢のコンサートのリハーサルの後に倒れ、都内の病院に搬送された。脳血管障害のため、緊急手術を受けた。 ゲスト出演する予定だったコンサートツアー中止。手術は成功し、7月に退院した。
日暮し
1972年、RCサクセションの前身バンド、The Remainders of The Cloverのメンバーだった武田を中心に結成。
1973年4月、 日本コロムビアのBLOW UPレーベルからデビュー。
1979年に解散。
メンバー
 
  	榊原尚美 (vo, key)1954年2月5日(65歳)現在、榊原(現姓・阿倍)は音楽界から引退し主婦兼美容アドバイザー。
武田清一 (g)1950年1月31日(61歳)武田は東京都国立市で喫茶店を経営。
中村幸雄 (g)1950年3月2日(61歳)
野間義男 (g)1974年のみ在籍。現在も地道に音楽活動を続けている。
カーニバル
フォークグループ猫や小室等&ザ・ファクトリーに参加していた西木を中心に結成、1977年8月にCBSソニーより「MIDNIGHT CARNIVAL」でアルバムデビュー。
翌1978年に設立したてのエピックソニーに移籍。
10月にリリースされた吉田拓郎作曲によるシングル「さよならロッキー」がラジオのヘビーローテーションを得てヒットするが、ベースの亀岡が脱退。その後二人組としてヤクルトオレンジジュースCMソングに起用されたシングルをリリースするが、これが最後の作品となってしまう。
1979年に解散。
メンバー
西木栄二 1952年4月27日 (66歳) - ヴォーカル・ギター解散後は、主に作曲家・編曲家として様々なアーティストに楽曲を提供をしている。
大塚修司 1955年7月29日 (63歳) - ヴォーカル・ギター・キーボード他アーティストへの楽曲提供・プロデュース等で活躍。
亀岡亮次 1954年10月1日 (64歳) - ベース
最後に・・・
 
  	伊勢正三 / 22才の別れ
いかがだったでしょうか?
機会があれば、1976年もまとめてみたいと思います。
 
     
    




