はじめに
さぁさぁ 平成も残すところあと僅かとなりましたね!
この記事では、そんな平成にドラフト1位で入団した後、大活躍をされて名球会入りを果たされたプロ野球選手をまとめてみたいと思います(^^)/
平成元年といえば1989年ですから、ドラフト1位でしかもその時期から名球会入りを果たしているとなると、相当な成績を残している選手に違いありません。
さっそく見ていきたいと思います!
名球会入りの条件
【打者】
日米通算2,000本安打以上
【投手】
200勝以上、もしくは250セーブ以上
う~ん なかなか厳しい条件ですねぇ(+_+)
平成元年(1989年) 野茂英雄
少年野球の頃からトルネードに近い投法で投げていたという野茂さんは、社会人になってからメキメキと力をつけ、1989年のドラフト会議ではロッテ、大洋、日本ハム、阪神、ダイエー、ヤクルト、オリックスの8球団が競合しました。これはドラフト史上最多になります。
そして、近鉄が交渉権を獲得し、入団することになります。
入団後も驚異的な活躍をした野茂さんでしたが、監督の交代などで球団との確執が生まれ、メジャーに渡ることになります。
その後、トルネード投法と得意のフォークボールで、ドジャースにて大活躍したのは皆様のご存じの通りですね(^^)/
今ではメジャーリーグへの挑戦は当たり前になっていますが、その突破口を切り開いたのは野茂さんだと思います。
野茂さんは凄い人やわ・・・
ほんとに尊敬しています。
通算成績は日米通算で201勝155敗でした。
平成元年(1989年) 佐々木主浩
「ハマの大魔神」と異名をとった佐々木さんは、プロ野球の入団当初は大洋でしたね。
それ以前のことでいうと、東北高校では2年の夏からエースとして3季連続甲子園大会に出場、東北福祉大学時代は全日本大学野球選手権大会で2度準優勝(2年・3年)しています。
フォークボールを得意とし、横浜の抑えの切り札として大活躍した佐々木さんは、メジャーリーグのマリナーズに移籍。メジャーでも“DIAMAJIN”の愛称で親しまれました。
大活躍でしたよね(^^)/
最後は古巣である横浜で野球人生を終えました。
引退の時に「生涯野球人であることを誓います」と語っていたことを今でも覚えています。
ちなみに、佐々木さんは名球会で初のセーブ数による入会者となりました。
通算成績は、日米合算で381セーブでした。
平成四年(1992年) 松井秀喜
松井さんがいた星稜高校と明徳義塾との一戦で、松井さんに対する五連続敬遠は伝説となってますよね。
その後は巨人の主砲として活躍し、メジャーリーグのヤンキースに渡った松井さん。
2013年には国民栄誉賞を受賞しています。
ゴジラの愛称で親しまれた松井さんは、まさに怪物であり、日本が誇るスラッガーだったと思います。
ヤンキースで満塁ホームランをぶちかました時は、感極まりましたよね(^^)/
松井さんはバッティングが凄かったのは誰もが認識していますが、実は連続試合出場記録も素晴らしい方なんですよね!
なんと、日米で通算1,768試合連続出場ですからねぇ・・・
鉄人ですよね(^^)/
そんな松井さんの通算成績は、日米合算で2,643安打でした。