バーブラ・ストライサンドを最低限、知っていても損はない!!
ちょいと昔、国会衆院の外務委員会か予算委員会か証人喚問かで(どちらか忘れた!!)、野党の辻元清美衆院議員が当時与党だった鈴木宗男衆院議員を「疑惑の総合商社」と呼んだことは記憶に新しいことであるが、今私が書こうとしているバーブラ・ストライサンドは「”エンタ”の総合商社」と言っても過言ではないと私は思っている。
 
  	映画「ハロー・ドーリー!」(1969年)の一場面
バーブラはロシア系ユダヤ人の家系に生まれた!!
 
  	1歳頃のバーブラ
生後まもなくして彼女はブルックリンへと引っ越し、1943年8月、バーブラが生まれて15ヵ月後に父親のエマニュエルがてんかん発作を起こし、その合併症から34歳で突然死してしまった。彼女にとって、この”事件”が彼女の人生をも狂わすこととなった。彼女の母親も懸命に働いたが、貧困状態に陥り、彼女の回顧録によると、「私は母からの愛が欲しいときにパンをくれた」語っている。
 
  	8歳頃のバーブラ
 
  	13歳頃のバーブラ
母親はバーブラの容姿や歌唱力に対してあまり魅力的ではないと感じ、娘にショービジネスを勧めることはなかった。しかしこのことが、バーブラが長年、エンターテイメント界での数々の成功にもかかわらず自分の容姿にコンプレックスを持ち続けた理由ではないかとされている。
 
  	17歳頃のバーブラ
彼女は1960年代初めに「サウンド・オブ・ミュージック」のLunt-Fontanne劇場でアシスタントとして働いていたが、キャスティング・ディレクターが歌手のオーディションをすることを聞きつけ、受けるが、あいにく不合格にはなったものの、彼女の才能を認識したという。その後、ボーイ・フレンドの助けもあり、ニューヨークのクラブで歌い出すようになった。また、ブロードウェイの小演劇にも出演していたという。
米国でもある芸能人の”改名”!!
日本でも歌手が売れない時などに芸名を改名してヒットに繋げようとしていますよね!!。日本では一番有名なのが”五木ひろし”ではないでしょうか!?彼は「よこはま、たそがれ」をヒットさせる前には何回も改名したそうです。
このようなことは日本だけと思っていたら大間違い!!。海を渡った米国でもあるのだが、当のバーブラ(Barbra)も本名であるバーバラ(Barbara)から改名しているそうだ。(名前の2番目のaを失くしている) 古今東西やることは一緒みたいですね!!。
1962年頃より本格的に芸能界デビュー!!
 
  	1962年頃のバーブラ
 
  	1966年頃のバーブラ
 
  	ファニー・ガール [DVD]
ファニーは “ショウ・ビジネスでは成功しない”という、知人のおばさんの占いが見事に外れ、彼女はジークフェルド氏(W・ピジョン)の舞台に立つようになる。その手引きをしてくれたのは、有名なギャンブラーのニック(シャリフ)だった。彼女は彼に恋をする。だが、つれない放蕩児の彼が再びファニーに会ったのは一年後ボルチモアでのこと。競馬で持ち馬を出走させる彼は彼女に求婚するつもりでいたが大損し、面目ないのでこれから豪華客船に乗り込みポーカーで一稼ぎするつもり、と告げて立ち去る。ファニーは、すでに出港した客船をタグ・ボートで追いかけ自ら彼の胸に飛び込んで行く・・・。
 
     
    




