2018年11月13日、成田賢さん永眠
2018年11月13日午前7時過ぎ、肺炎の為に亡くなった成田賢さん。
本年、英気溌溂とした賢さんを取材する機会をいただいたミドルエッジ編集部(ミド編)は、まだ身辺整理も慌ただしいなかで賢さんの奥様に一言哀悼のご挨拶を差し上げたく、お時間をいただきました。
そこで奥様が語られた成田賢さんについて、憚りながら追悼記事として記させていただきます。
※本記事内で、成田賢さんをリスペクトの気持ちを込めて「賢さん」と呼ばせていただきます
36歳でバイク事故、人知れず後遺症と闘い続けた賢さん
サイボーグ009、デンジマンの主題歌。
私たちが賢さんを偲ぶとき、必ずこの曲が流れることでしょう。
しかしこれらの曲が生まれた直後に賢さんはバイク事故で負傷、81年に歌手を引退した後は長く厳しい後遺症との闘いの人生となりました。
首と骨の間に神経が挟まった胸郭出口症候群は西洋医学ではなかなか完治出来ないとされ、賢さんは長らく針治療を続けていたそうです。
「1万回痛いといっても痛みが取れるわけではない」
奥様によれば、賢さんは日ごろ首を動かす度に「ボキボキ」とリンパ腺が音を立てるような状態。
相当な痛みや苦しみと日々向き合い続けていたんだろうと話します。
しかし「1万回痛いといっても痛みが取れるわけではない」として、賢さんは普段からその辛さを口に出すことをしなかったそうです。
2008年10月22日に出会い、音楽活動復帰後の賢さんを支え続けた奥様
奥様は現在45歳。
賢さんとは実に、親子以上に年の離れた夫婦でした。
賢さんと奥様はともに自身の家庭環境で苦労を経験した者同士、連れ添った10年は実に穏やかな夫婦生活だったといいます。
ちなみに賢さんの死後、ファンの方との交流を大切にされた賢さんの意を継いでツイッターなどの発信を続けておられるのが奥様です。
成田 賢 【 公式 】(@NARIKEN009)さん | Twitter
徹底していたプロ意識、仕事には厳しかった賢さん
賢さんはとにかく仕事への拘り、プロ意識の固まりのようだったと奥様は話します。
また、自分に無理してストレスを抱えてまで売れるための仕事をすることはしなかったそうです。
賢さんの言葉にこのような言葉があります。
大きな花束の中の一輪ではなく、小さくとも心の中に咲く一輪の花になりたい。
その為に俺は歌っているんだ。
と。
その波乱万丈な人生を本人は「999転び1000起き」なんだと笑って話されていたそうです。
身だしなみには人一倍気を使った
オシャレには人一倍気を使った賢さん。
予算の限られた中でも「品質」「ファッション性」「自分に合っているか」にこだわりを持っていたといいます。なかでも特に意外性やミスマッチを楽しんで服選びをしていたそうです。
また、余談ながら賢さんは「忘れ物の名人」でもあったそうです。
高価なモノであろうがお構いなく失くしてしまい、時にはロレックスの時計を失くしたことも。
そんな賢さんが、常に肌身離さずにつけていたのは奥様がプレゼントしたオーダーメイドのペンダント。いまは奥様が賢さんの形見として大事に身に着けています。
生涯を通して現役の気持ちが強かった
「他人と比べない、過去の自分とも比べない」
賢さんは自身が闘っていた後遺症のことを他人に見せず、いつも前向きで新しいことにトライしていました。
そのことは生前のインタビューでも語っておられます。
「誰がために」歌い続ける!伝説のアニソンシンガー成田賢が、55年の歌手人生とこれからを語ります!! - Middle Edge(ミドルエッジ)
プロとして、人に弱音を吐かずにカッコいい姿を貫き続けた賢さん。
もしかしたら、長年闘い続けてきた肉体の痛みや苦しみから解放されたという言い方が出来るのかもしれません。
いまとなってはその胸の内を隣で感じていた自分が、賢さんの想いや考えをファンの方に届け続けることが使命なのでは、と奥様は語ります。
賢さんの遺した作品は永遠に生き続けます。
それとともに賢さんの生き様もまた、奥様を通してファンの皆様の心に生き続けることを願います。
追悼リサイタルのお知らせ
「アニメソングメモリアルリサイタル ~ヒデ夕樹、成田賢の世界~」12月1日、名古屋先行開催のお知らせ。 - Middle Edge(ミドルエッジ)