黒澤明
「世界のクロサワ」、または「天皇」と呼ばれることさえある日本を代表する映画監督の黒澤明。黒澤明の作品と言えば、それはもう名作ばかり。生涯30本の監督作品を生み出していますが、どれをとっても面白く、アカデミー賞を始めとして、ヴェネツィア映画祭、カンヌ映画祭、ベルリン映画祭と世界三大映画祭を総なめにしたその実力は折り紙つきです。

黒澤明
しかし、晩年の黒澤作品は必ずしも評価が高いとは言い難いようで、高倉健なども「黒澤監督の晩年の作品には、良いものがないと思う。」と発言してますね。
さて、晩年の作品は本当に面白くないのか?!駄作なのか?!振り返ってみようではありませんか。
影武者 -①
黒澤明の晩年というと80年代以降ということでしょうか、作品で言うと「影武者」ですね。「影武者」は前作「デルス・ウザーラ」以来5年ぶりの作品で、時代劇ということになると「赤ひげ 」以来15年ぶりということになります。
しかも、主役を務めるのは座頭市でお馴染みのお騒がせ大物俳優である勝新太郎。更にショーケンこと萩原健一。面白くならないはずがありません。
物語は、ひょんなことから小泥棒が武田信玄の影武者となってしまったという戦国時代の悲喜劇を壮大なスケールで描いています。
期待は高まりましたが、撮影開始早々にして黒澤明と勝新太郎が衝突。個性の強い2人ですからねぇ、ぶつかるのは想定内だったのかもしれませんが勝新太郎は残念ながら降板してしまいます。
代役として起用されたのは、黒沢作品の次回作で主演が内定していた仲代達矢でした。まさしく影武者ですね。
影武者 -②
主役の交代というアクシデントから始まった「影武者」ですが、実は交代したのは主役だけではありません。音楽を担当していた佐藤勝もまた黒沢明と衝突して降板。急遽、池辺晋一郎が起用されています。まぁ、波乱含みのスタートだったんですね。
それでも作品は無事に完成し、1980年4月26日に公開されました。

影武者
無名時代の南部虎弾(電撃ネットワーク)、柳葉敏郎、山田五郎などが出演していますが、出演者はほとんどがオーディションで選ばれています。結果、新人俳優や演技経験のない素人が重要な役についているんです。監督の演技指導があればキャリアなど問題ないということなのでしょうね。それを証明した作品でもあります。
アカデミー賞はノミネートに留まりましたが、カンヌ国際映画祭でのパルム・ドールをはじめとして多くの映画祭で受賞しています。
乱
「乱」のスケールはデカイ。どのくらい大きいかというと、「デルス・ウザーラ」の完成後にはシナリオは完成していたにも関わらず、スケールが大きすぎて莫大な製作費が必要となったものの資金調達が出来なかったために撮影は延期されたという。
つまり、「乱」」は「影武者」の前に作られるはずだった作品なんですね。
「影武者」の大ヒットにより、資金が集まり無事に制作することができた、それが「乱」です。

乱
制作で問題はなかったかといえば、やはりありました。
黒澤明と共同脚本を行っていた小国英雄が人物設定で対立し途中降板。また、降板こそしなかったものの音楽の武満徹とももめて、本作以降絶縁状態となってしまいました。
しかし、それでも「乱」は素晴らしい。アカデミー賞(衣裳デザイン賞)をはじめ、これまた多くの映画賞を受賞し、その芸術性は世界で高く評価されています。
結果「乱」は、黒澤明が監督した最後の時代劇となりました。本作をライフワークと考えていたそうですから思いを遂げたということなのでしょうね。
夢
作風をガラリと変えた「夢」が黒澤明の28本目の作品として1990年に公開されました。黒澤明が実際に見た夢をオムニバス形式で「日照り雨」「桃畑」「雪あらし」「トンネル」「鴉」「赤冨士」「鬼哭」「水車のある村」という8話で構成しています。

夢
「晩年の黒澤作品は面白くない」とは、この辺りの作品から言われだしたように思います。それを裏付けるように「夢」の日本における配給収入は3億3200万円。国外での収入がそれなりにあるとはいえ芳しい数字とは言い難いですね。
しかし、作品は信じられないほど美しい。どのシーンをとっても、そう、まさに夢を見ているかのように美しのです。
本作品こそもっと多くの人に見てもらいたいものです。2度と作られることのない、いえ、誰にも作ることの出来ない作品です。
制作は例によって出資者を国内では見つけることが出来ず、アメリカのワーナー・ブラザースが行っています。このため配給権はワーナー・ブラザースが所有しており、日本でのフィルム上映は難しいものとなっているのです。映画館で観れないなんて、残念ですよねぇ。
八月の狂詩曲
1965年に公開された23作目の「赤ひげ」以降、5年おきに公開されてきた黒澤作品。5年おきにしか公開できなかったといっても良いかと思いますが、29作目となる「八月の狂詩曲」は、なんと「夢」の翌年にはやくも公開されています。

八月の狂詩曲
当時日本でも人気だったリチャード・ギアが出ているからか、配給が松竹となって気合が入ったのか、配給収入は「夢」を大きく上回っています。成功。監督をはじめスタッフ一同のホッと漏らした息が聞こえてきそうです。
代表作「七人の侍」を持ち出すまでもなく、黒澤作品には雨のシーンが多い。「八月の狂詩曲」ではラストシーンがそうなのですが、これが、もう、圧倒的で素晴らしい。感動してしまうんですよね。
言葉にならない感情を映像で見せる。そのお手本とでも言いましょうか、何度見てもグッときます。
まあだだよ
黒澤明の監督生活50周年・通算30作目という記念となる作品は、黒澤作品に所ジョージが出るということで話題となったものの興行的には失敗に終わった「まあだだよ」ですね。ヒットしなかった理由は、地味だから。淡々と流れていくといった感じで、もう地味。ヒットしなかったのも頷けるほど地味な作品と思っていたのですが、改めて見てみると地味とはいえ面白いぞ、これ。

まあだだよ
アクションシーンこそないものの、「摩阿陀会」という催しのシーンはそれに匹敵するような面白さで、迫力もあるんですよねぇ。
しかし、まぁ、この映画は惚けたというか、力の抜けた会話の面白さにつきます。脱力。そんな感じ。
これが遺作となったんです。最後の作品と分かっていたら大ヒットさせたかったでしょうね。晩年の作品は資金が集まらないということで制作が滞り、スタッフとの衝突も多かった。苦労が絶えなかったことでしょう。しかし、作品は決して駄作などではない!
「まあだだよ」にしても、黒沢清監督にとっては一番好きな黒澤作品だそうですよ。おそらく、晩年の黒澤作品は年を取ってから観ると良いように思います。人生のことが少しだけでもわかるようになってから観ると一味違いますよ、きっと。
黒澤明が最後の作品「まあだだよ」を創ったのは83歳の時のことです。