映画界において、黒人最初のスーパースターとなった!!
 
  	シドニー・ポワティエ
シドニーの両親は、バハマのキャットアイランドで農場を営む
 
  	青年期のシドニー
ポワティエは7人兄弟の末っ子で、彼の両親が農作物の行商で米国に渡っていた際に予定日より2か月も早く生まれてしまったのだ。米国で生まれたため、当然米国の市民権を有することとなる。15歳になるまでは、両親と共にバハマで暮らしたが、生活が苦しかったこともあり、単身で再び渡米。17歳の時にニューヨークに移り、あらゆる種のアルバイトを転々とし、年齢を詐称してまでアメリカ軍に入隊。生年月日に諸説があるのはこのためらしいのである。
 
  	アメリカン・ニグロ・シアターにて俳優を志す
1950~60年代の米国は、黒人の公民権運動が盛り上がる!!
 
  	公民権運動に大きな影響をもたらした人物達
1963の『野のユリ』で黒人俳優として初めてアカデミー主演賞を受賞。その後は『いつも心に太陽を』、『招かれざる客』、そして『夜の大捜査線』など、人種問題を正面から描いた問題作に出演して黒人俳優の道を切り開いた先駆者的な存在となった。
では、さっそくですが、映画の紹介!!
その1.『暴力教室』(1955)
 
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主役グレン・フォードがなかなかの好演で、生徒側のシドニー・ポワティエも注目を浴びる存在に。この映画でデビューしたヴィック・モローは陰険な少年らしさを良く出しているが、その後の作品では役割が気に入らず、MGMを去った原因という。しかしそれがテレビの「コンバット」での成功につながったのだから、人生どっちに転ぶか解らない!!。
その2.『手錠のままの脱獄』(1958年)
 
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黒人と白人の囚人が手錠につながれたまま脱走した。警官が言う。「互いにすぐ殺し合うさ~」は当時の人種差別が当たり前の世相だったのだろう。昔のモノクロ映画なのに、かなりの迫力とシャープさ。やけっぱちの唄を口ずさむポワティエがまた切ない。
その3.『野のユリ』(1963年)
 
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