エキゾチックな雰囲気を醸し出したエヴァ・ガードナー
 
  	1940年代のエヴァ・ガードナー
貧しい農家の末娘として生まれた!!
 
  	幼少期の頃の家族写真
彼女の母親であるメアリー・エリザベス・モリーと父親のジョナス・ベイリー・ガードナーは、貧しくも綿花とタバコの農家を営んでいた。母親のモリーはバプティスト派のスコットランド系アイルランド人とイングランド人の混血、父親はカトリック派のアイルランド系アメリカ人とタスカローラ族・インディアンの混血だった。そしてエヴァは母親のバプテスト信仰の中で育てられたそうだ。
 
  	少女(12歳)の頃のエヴァ・ガードナー
ちなみに、ニューポート・ニュースでは、エヴァの父親が病気になり、彼女が15歳になった1938年に気管支炎で死んだ。まさに”負の連鎖”というところでしょうか!?。父親の死後、家族は母子家庭になってしまい、ノースカロライナ州ウィルソン近くのロックリッジに移動し、母親ひとりで家族の面倒を見なければならなくなった。
 
  	ニューヨークに出た頃のエヴァ・ガードナー
 
  	1941年頃のエヴァ・ガードナー
 
  	エヴァが最初に結婚した米俳優のミッキー・ルーニー
では、そろそろエヴァの出演した優秀映画の紹介!!
その1.映画『ショウボート』
 
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しかし元々、南部出身のエヴァだから、その南部美人ぶりは板について、この絢爛たるテクニカラー大作に大輪の花を添えている。ハッキリ言って、主筋のグレイソンとキールのお芝居も唄も大味でいただけず、すべて彼女に喰われてしまっていると言っても過言ではない。
 
  	フランス語のポスター
ジュリーはマグノリアの不幸な姿を垣間見て、彼女に職を与えようと、ひそかにそこを立ち去って行った。やがてマグノリアは父と再会し、ショウボートに帰ってキムという女の子を生んだ。そして5年、ゲイロードはある船の中でジュリーと会い、キムのことを知った。彼は矢も楯もたまらずショウボートに帰って行った。今はすっかり地道に帰ったゲイロードを、マグノリアは心から迎えるのだった。
その2.映画『モガンボ』
 
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