『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラ役以上の波乱万丈人生!!!
ヴィヴィアン・リーと言えば、誰が何と言おうと『風とともに去りぬ』の主人公であるスカーレット・オハラ役で出演し、アカデミー主演女優賞を受賞したことだろう。映画ではスカーレットという女性の波乱万丈の半生を描いている訳であるが、それを演じた女優のヴィヴィアン・リーの実半生がスカーレット以上の波乱万丈なものであった。
『風とともに去りぬ』に出演した頃のヴィヴィアン・リー
ヴィヴィアンの両親は”超”が付くセレブであった!!
ヴィヴィアンの母親と
母親のガートルードは敬虔なローマ・カトリック教徒であり、自身の家系はアイルランドとアルメニアを祖とすると信じていたが、旧姓「ロビンソン・ヤーチ(Robinson Yackje)」のYackje(Yackjeeとも表記)から、インド人との混血である可能性が指摘されており、また、それがヴィヴィアンの東洋的美貌の理由であるとも言われている。
お気に入りの飼い犬と(1917年頃)
その後ヴィヴィアンは父アーネストのヨーロッパ旅行についていくかたちで修道院付属学校を退校した。ヴィヴィアンは父に従ってヨーロッパ各地の学校を転々とし、アーネストとヴィヴィアンがイギリスに戻ったのは1931年のことだった。
”ベッピン”に成長した頃
イギリス王立演劇アカデミーに入学を許可させる裏取引!!
実は両親は、俳優・女優と言う経済的に不安定で不規則な生活になることを危惧して結婚することを薦めていたのだった。しかし、ヴィヴィアンがまったく関心を示さなかったため、父が1年間限りの条件で、イギリス王立演劇アカデミーへ入ることを認めたのだった。
ヴィヴィアンの結婚式
ヴィヴィアンは王立演劇学校を退学し、1933年10月12日に一人娘のスーザンを出産している。ちょうど彼の父との約束を果たした恰好になる訳だが、この時、ヴィヴィアンは19歳であったことも注目に値する。
だが、演劇への情熱は消えぬどころか・・・
恵まれた結婚生活を手に入れたものの、当時の因習の強い英国の旧家で主婦として暮らすことになるが、演劇への情熱は衰えるどころか、3ヶ月後には夫の許しを得て再び王立演劇学校へ通うようになる。結局、女優になる夢は捨てきれなかったのだ。それに彼女の夫はヴィヴィアンが子どもと家庭に身を捧げるには彼女の才能(能力・容姿・若さ)があまりにも勿体無いと考えたようで、ヴィヴィアンが映画に出演することを認めざるを得なかったのだろう。
さて、肝心の彼女が出演した秀逸の映画は??
その1.『風と共に去りぬ』(1939年)
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1939年初公開時のポスター
その2.『哀愁』(1940年)
哀愁 [DVD] FRT-010
日本公開時のポスター
その3.『欲望という名の電車』(1951年)
欲望という名の電車 日本語吹替版 ヴィヴィアン・リー マーロン・ブランド DDC-023N [DVD]
貴婦人ぶってはいるが、父を亡くし家を失った故郷で放蕩の限りを尽くし、未成年誘惑のかどで追われるようにして都会に出た、もう若くはないアル中の南部女ブランチ・デュボワを、曲がりなりにもスカーレット・オハラだった女が演ずるということがハリウッドにどれだけ衝撃w2おもたらしたのだろうか?。V・リーは「風と共に去りぬ」に次ぐ第2のピークを本作で迎え、以後、映画ではこれに匹敵する演技を残さず逝ってしまった。一人のスター女優を燃やし尽くしてしまった、この作品の持つ“熱”・・・。彼女が訪ねるニューオリンズの妹(K・ハンター)、そして、その浅ましい夫(M・ブランド)は、救いを求めて彷徨する魂に手痛いしっぺ返しを喰らわす。ブランチの気位の高さに魅かれていた男ミッチ(K・マルデン)も彼女の真実を知り、露骨に肉体を求めてくる。ラスト、義弟の逞しい“男”に屈してしまう女の性・・・。狂気の他に彼女の逃げ場所はないのだろうか??。
『欲望という名の電車』がヴィヴィアンの未来を予言していた!!
1951年『欲望という名の電車』で再びアカデミー主演女優賞を獲得したが、これが黄金期の最後を飾る事となり、以降は体調を崩し(精神病)、1940年に大恋愛の末に結婚したオリヴィエとも1960年に離婚。結核を再発(1945年に発症)させ、精神状態もすさんだまま、孤独の中でロンドンのアパートで息を引き取った。