元気が出るテレビの名物企画「東大に入ろうね会」って覚えてる!?
80年代から90年代にかけて放送され人気を博していた「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」。「ダンス甲子園」など様々な名物企画がありましたよね。その中に「勉強して東大に入ろうね会」という、受験生が東大にチャレンジする企画があったのを覚えていますでしょうか?この記事では「東大に入ろうね会」を特集したいと思います。

受験のエリートが集結したガチンコ企画!!
「坂本ちゃん」などが有名な、芸能人を東大に合格させようとする企画。定期的にバラエティ番組で行われてますよね。ですが、実際に合格者が出た試しがないのは皆さんご存知の通りかと思います。しかし「東大に入ろうね会」は違います。全国の進学校から出演者を集め、東大に十分合格可能な人が何人も含まれていました。お笑いの延長ではなく、「ガチで東大合格を獲りにいった」企画だったんです。

「東大に入ろうね会」と言えば広瀬君!!
そんな「ガチ勢」が多数いる中で存在感を放っていたのが「広瀬君」こと広瀬伸哉という人物でした。いかにも田舎の受験生といった感じの風貌(実際、愛媛県の進学校出身でした)で、高田純次にたびたびいじられるなど、「東大に入ろうね会」の人気者になっていました。
こちらが広瀬君。覚えてますか?
広瀬君は結局東大に受かったの?
そんな広瀬君ですが、学力は高かったものの本番に弱いタイプのためか「東大に入ろうね会」第一期では不合格。そして「東大に入ろうね会」第二期でリベンジを狙うも、最終的に残った5人の内「広瀬君だけ不合格」という残酷な現実が待ち受けていました。これには広瀬君の頑張りを間近で見ていた高田純次も号泣。ちなみに高田がテレビで泣いたのはこの時が唯一とのこと。
広瀬君の動画はこちら!
突然の訃報
二年の浪人生活の末、東大に合格できなかった広瀬君ですが、併願先であった慶応大学には合格しており、「慶応の広瀬」として第二の人生を歩むこととなりました。そして在学中に「広瀬クンの失敗しない受験術」という受験本を執筆。1996年に元気が出るテレビが終了する際にも、番組で元気な姿を見せていました。しかし1999年にスキー場で事故に遭い、死去。彼の葬儀には、かつて広瀬君とともに番組を盛り上げた高田純次の姿もあったと言います。

突然の訃報に、当時ネットでもちょっとした騒ぎとなった広瀬君。悲しい結末となってしまいましたが、90年代のし烈な受験戦争に疲弊した受験生に笑いを提供してくれた彼の功績は、当時を知る者であれば誰もが記憶に刻まれていることでしょう。
広瀬君だけじゃない!「東大に入ろうね会」出身の著名人!
広瀬君のイメージばかりが強い「東大に入ろうね会」ですが、東大合格者を多数輩出したため、東大卒業後に著名人となった方もいらっしゃいます。ここでは、その中から2名をご紹介したいと思います。
牧原秀樹
まずご紹介するのは牧原秀樹さん。番組中では広瀬君のライバル的な役回りを演じていた彼ですが、東大卒業後は弁護士となり、その後政治家に転身。現在は自民党所属の衆議院議員として4期務め、第3次安倍第3次改造内閣では厚生労働副大臣に抜擢されています。

牧原秀樹 まきはらひでき 衆議院議員(@hmakihara)さん | Twitter
田中絵里緒
「東大卒で6児のシングルマザー」という肩書が有名な田中絵里緒さん。「このハゲー!」という名言で有名な元衆議院議員・豊田真由子氏の中高時代の同級生で、「一分間の深イイ話」に出演したこともあります。

田中絵里緒(@elioppi)さん | Twitter
広瀬君の本を読んでみたい方はこちら!
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