高橋留美子がデビュー前に使用していたペンネーム!!
日本を代表する女性漫画家・高橋留美子。ミドルエッジ世代であれば誰もが彼女の作品に触れたことがあるでしょう。そんな彼女が1978年に「勝手なやつら」でデビューする前に、別名義で同人活動をしていたのを皆さんご存知でしょうか?この記事では、高橋留美子の別名義での作品にスポットを当ててみたいと思います。

のさかけも
1975年、新潟中央高校在学中に「のさかけも」名義で巨人の星の同人誌「虚塵の星」を発表しました。原作は梶原一騎ならぬ「火事原逸機」と、完全にパロディに徹しています!
こちらが「虚塵の星」です。
けも・みとめ
1976年に「けも・みとめ」名義で、「フキダシvol.6」に掲載された連作漫画「風塵」の第2回分と、「びびっとvol.1」に掲載された「そして半分いなくなった」を執筆。「そして半分いなくなった」には登留子嬢(とるこじょう)が登場するなど、エッジを効かせた作風に!この頃、日本女子大学に入学し上京しています。
「そして半分いなくなった」
けも・こびる
1977年、今度は「けも・こびる」に改名。当時所属していた日本女子大の漫研「(没)」で、目白花子らとともに多数の作品を発表しました。けも・みとめの項にも登場した「びびっと」は漫研「(没)」の会報誌です。
こちらが会報誌「びびっと」

けも・こびる時代の作品の数々!
けも・こびるはデビュー後も使用しています!
「勝手なやつら」でデビューした1978年以降も、実は「けも・こびる」名義で作品を発表しています。1978年には「不良青年団」「けもの24時間」、1980年には最後の「けも・こびる」名義の作品「スパークリングカレンダァー」を発表。
「けも・こびる」はうる星やつらにも登場!
80年代に発売された「少年サンデーグラフィック うる星やつら」内で連載されていた「けも・こびるの日記」を覚えていますでしょうか?高橋留美子を中心とした「るーみっくプロ」の日常を描いた雑記で、1982年から1984年までの間掲載されていました。同人誌時代のペンネームをタイトルに使うあたり、この名前には相当なこだわりがあるようです!?

「勝手なやつら」を読み返したくなった方はこちらで!
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