キャサリン・ヘプバーンを知らない人のために!!
キャサリン・ヘプバーン
オードリー・ヘプバーンとキャサリンは親戚??
よく、「キャサリン・ヘプバーンとオードリー・ヘプバーンは親戚なのか?」という質問を耳にする。同じヘプバーン(Hepburn)という姓を持ち、双方が大女優ということから、そうした質問が生まれるのだろうと思われる。
しかし、実際の所、親戚だったという文献をみていなし、本人同士も親戚だという発言もないのでおそらくは赤の他人だろう。
元々、ヘプバーン、ヘップバーン(Hepburn)という姓は、スコットランドに由来するそうだ。したがって、両方の先祖を辿って行けば、親戚だったという可能性があるかもしれないが・・・??。
日本にも佐藤、鈴木、高橋、等等、同姓が多いが、それならば、全員が親戚かというと決してそうではないのが一般的なように、西洋でも同様なのだ。良い例に西洋人で一番多い姓の中にスミス(Smith)があるが、私の周囲には3人ものスミス姓がいるにも拘わらず、すべて親戚関係はない。ましてや二人が白人で、各々米国人、イギリス人、もう一人が黒人で米国人ある。
キャサリンはさしずめ私の”ばあちゃん世代”だろう!!
1907年5月12日、コネチカット州ハートフォード (Hartford) で、著名な医師の父親と婦人参政権や産児制限運動に携わったていた母親の下、6人兄妹の長女として生れた。家庭はリベラルで進歩的な環境であったという。子供の頃はお転婆で、髪を短く切り、水泳やテニス、ゴルフに励んでいた。ゴルフは16歳の時に州のジュニア大会で準決勝まで進んだ腕前であった。
彼女が12歳の時にアマチュア劇団に入るなど、芝居好きであったキャサリンは、大学に入ってからも芝居に熱中していたという。
また13歳の時に、大の仲良しであった2歳年上の長男トムが亡くなる不幸に見舞われた。キャサリンが遺体の第一発見者で、朝、兄を起こしに部屋へ入ると、首を吊り、既に亡くなっていたという。数日前に、芸人が首に縄を巻くトリック・シーンを観劇しており、それを真似ての事故とも言われている。
1928年、心理学の学位を取得して大学を卒業したが、両親を説得して演劇の道へ進み、ボルチモアのストック劇団に入り、夏季公演でプロの役者としてデビュー。9月にはブロードウェイ・デビューも果たすことになった。同年12月、大学時代からの恋人であった Ludlow Ogden Smith (ボルチモアの名家の息子) と結婚するが、結婚後も女優業を続け、発声とバレエをそれぞれ一流の指導者の下で習い、役者としての基礎固めもした。(パトロンですかいな!?)
女戦士役のキャサリン・ヘプバーン(1932年)
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勝利の朝の一場面
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若草物語の一場面
女優としてスクリーンで早くに頭角を現し、オスカー女優となった彼女ではあるが、1930年中期頃より出演した作品があまりヒットせず、『フィラデルフィア物語』(1940年)が大ヒットする頃までは、ハリウッドの「ボックス・オフィス・ポイズン」(金にならないスター)として興行主からは特に嫌われていたようだ。また、私生活では1934年に Ludlow Ogden Smith と離婚し、ジョン・フォード監督やタレント・エージェントのリーランド・ヘイワードと浮名を流したこともあった。
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1940年と言えば、歴史的に日本は戦争にひた走っている頃で、かつての古き良きアメリカは、日本にとっては自分達と比べ物にならない豪華な暮らしをしている(戦争なんかした所で、まず勝てるわけがない!!)超大国であることが、こういう映画を観ていると嫌味なくらい伝わってくる。コメディの割にあまり笑えないのは、やはり私たちの文化的ギャップでしょうか!?
スペンサー・トレイシーとの運命的な出逢い!!
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スペンサー・トレイシー
『女性No.1』(1942)より