「ベルリンの壁ってどこにあった?」が今ネットで話題に!!
ドイツにかつて存在した「ベルリンの壁」。世界史の授業で習った方も多いでしょうし、ミドルエッジ世代であればリアルタイムで壁が崩壊する様子をテレビで見ていた方も多いと思います。そんな「ベルリンの壁」がどこにあったのか、正確な位置がわかる方が意外に少ないことが今ネットで話題となっています。

きっかけとなったツイートはこちら!
こちらが今ツイッターで話題となっている投稿。ベルリンの壁のイメージとして、当時の東ドイツと西ドイツの国境線上に存在したと思っている方が意外と多いのですが、実際は東ドイツの首都・ベルリンのうち「西ベルリン」を取り囲むために建設されたのが「ベルリンの壁」と呼ばれるものです。
知らなかった人は実に6割以上!!
この投稿には多くのツイッターユーザーが反応し、3万を超えるリツイート、4万を超えるいいねが付くなど大きな盛り上がりを見せています。そして、ベルリンの壁の位置についてアンケートを取ったところ、正確な位置を知っていた方はわずか3割。やはり多くの方が誤解をしていたようです。
第二次大戦が終結した直後に作られたものじゃないです!!
これも結構勘違いしている方がいると思われるのですが、ベルリンの壁は1945年に第二次世界大戦が終結したときに建設されたものではありません。建設されたのは1961年で、当時西側への往来が自由であった西ベルリンを封鎖して、東ドイツからの西側への人口流出を防ぐために作られたのが「ベルリンの壁」です。

ちなみにベルリンは終戦直後に4分割されました。
1945年、第二次世界大戦においてドイツが無条件降伏をした結果、戦勝国によってポツダム協定が結ばれベルリンは4か国による管理下となり、西ベルリンはアメリカ・イギリス・フランスの、東ベルリンはソ連の管理地区となりました。その後、東ドイツ、西ドイツが成立すると、西ベルリンは西ドイツの「飛び地」のような形として不安定な立ち位置を余儀なくされます。

覚えてますか?崩壊の瞬間!!
東西冷戦の終結に向けた歴史的瞬間である「ベルリンの壁の崩壊」。ミドルエッジ世代であればリアルタイムでテレビの生中継をご覧になった方も多いのではないでしょうか。数万に及ぶ市民が壁に押しかけ、壁を壊していく姿は、歴史の1ページとして今後も語り継がれていくことでしょう。
「ベルリンの壁」現在はどうなってるの?

崩壊したベルリンの壁ですが、29年が経過した現在はどうなっているのでしょうか?東西冷戦の終結により存在意義を失ったベルリンの壁ですが、歴史的・文化的側面から保存しようという声が高まり、およそ1.3km分の壁(シュプレー川沿い)は残されています。この部分は世界各国の芸術家により壁画が描かれており、ベルリンの壁に「芸術作品」という新たな役割が加えられています。ドイツ観光の際に訪れてみるのも良いと思いますよ!

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