【アーノルド・シュワルツェネッガー】~伝説のボディビルダー編~ボディビルダーとして世界最高峰のMr.オリンピアを6連覇を含む7度優勝!

【アーノルド・シュワルツェネッガー】~伝説のボディビルダー編~ボディビルダーとして世界最高峰のMr.オリンピアを6連覇を含む7度優勝!

アーノルド・シュワルツェネッガーは、オーストリアの片田舎で生まれ、あるきっかけからボディビルダーを志した。 例えば、アルコール中毒者は、たとえ深夜、たとえ雨が降っていても酒を買いに行く。 スポーツ選手も勝ったり、目標を達成する喜びが忘れられず必死に練習している。 その欲望が強かれば強いほど、たくさんの努力ができるというわけである。 アーノルド・シュワルツェネッガーも目標を達成するためになんでもやった。 ボディビルダーとして世界最高峰のMr.オリンピアを6連覇を含む7度優勝。 間違いなく史上最強のボディビルダーの1人だが、そのプロセスは欲望丸出しで、非常にシンプルな肉食系男である。


プロボディビルダー選手の国際的機関であるIFBB(国際ボディビル連盟)の会長を務めるベン・ウイダーとジョー・ウイダーは、アメリカ国内のほとんどのボディビル大会を仕切りし、雑誌を何誌も発行した。
ジョー・ウイダーは13歳のときに「力と健康」という雑誌に出ていた肉体美の写真をみて以来ボディビルに魅せられ、ガラクタ置き場からフライホイールをバーベル代わりに練習を始めた。
2年もたたないうちに体重70㎏で120㎏が挙げられるようになった。
やがてボディビルがマイナーな理由を
「専門誌がないからだ」
と考え「力と健康」のバックナンバーから800人のボディビル愛好家を調べてボディビル専門誌発行の案内書を出した。
そして購読申し込み料の500ドルが送られてくると、新刊「自分の体」を発行。
やがて興行家として、また実業家としてアメリカのボディビル界に君臨するようになった。
彼らは、アメリカでアーノルドに給料を払いながらトレーニングさせ、自身が発行する雑誌にトレーニング方法などを掲載し、国際的なスターに仕立て上げるつもりだった。
アーノルドはウイダー兄弟と契約を結んだ。
トレーニング料と広告への名前と肖像権使用料、出演料として週給が支払われた。
雑誌にはアーノルドのトレーニング記事をゴーストライターが書いた。
アーノルドはカリフォルニア州のサンタモニカにアパートと車を買ってもらい、雑誌や商品を売るのを手伝い、ボディビルの普及に努めた。

Gironda ジロンダ

ジョー・ウイダーはアーノルドをベテランのボディビルダー、そしてトレーナーでもあるビンス・ジロンダのジムに通わせた。
「Mr.ユニバースのアーノルド・シュワルツェネッガーです」
「Mr.ユニバース?
ただのデブじゃないの?」
自己紹介に手痛い返しをするジロンダに、アーノルドは笑顔で握手を求めた。
そして9か月間、この自分の弱点を指摘してくれるトレーナーの下でトレーニングに励んだ。
父は映画スタントマンだったが、ビンス・ジロンダもスタントマンになり500本に及ぶ映画に出演した。
23才のときに初めて、トレーニングに取り組んだ。
1年間後、スタントマンの仕事を辞め自分自身のジムを開く。
2年間、懸命に働いた後、スタジオシティーとユニバーサルシティーを走るベェンチュラ通りにジムを移し現在に至っている。
ジム内には、彼の考案した独特の器具が備えられている。
カーリング・ベンチも、ここで製作された。
18歳のときにトレーニングを始めたジロンダはMr.ユニバースとMr.アメリカで上位を占め、Mr.カリフォルニアのタイトルを獲得した。
そして51歳でMr.ウェスタンのショーに出演し、28インチの腹部、逆三角形の上半身、みごとに発達した大胸筋と三角筋で観衆を魅了した。

Be Here Now

その後、アーノルドはパシフィックアベニューにあるゴールドジムに移りトレーニングした。
そしてここでもまた中心的な人物となった。
ジョークでみんなを笑わせながら、ナンバーワンになるために大きな決意をもってトレーニングに挑んだ。
ジムに入るときの顔は真剣そのもので目は虎の目をしていた。
トレーニングは週6日。
月水金は、午前中は胸と背中、夜は脚をトレーニング。
火木土は胸と腕をトレーニング。
胸のトレーニングではベンチプレスを5セット行い、60㎏から始めて徐々に増やしていく。
途中で挙がらなくなったらバーベルのプレートを外して60㎏に戻して続けた
こうして60㎏が1tに感じるくらいまで続けた。
スクワットは1回のトレーニングで6000㎏以上挙げるため、週に数t挙げることになる。
途中で気を失ったり嘔吐することもあったが、アーノルドは起き上がって続けた。
通常、トレーニングは何セット行うか決めて行うが、アーノルドは
「Be Here Now(いま、ここ)」
だけに集中し納得するまで何セットでも繰り返した。
ハードなトレーニングにより、おそらくたくさんケガもしていただろうがアーノルドは誰にもそれをいわなかった。
彼のトレーニングをみようと多くのトレーニーがジムに集まった。
アーノルドも自分だけでトレーニングしているときより、人の前でのほうが重い重量を挙げることができた。
アーノルドはファンに囲まれてスターとなった。
トレーニングの合間にビーチにいったりハンバーガーショップにいったりした。
ゴールドジムのスタッフがジムの窓ガラスを拭いているときアーノルドは窓の反対側でズボンを下し尻を出してみせた。
ビーチではビキニ姿の女性を目で追い、お気に入りがいれば
「セックスしようよ」
と声をかけた。

弱い人間やすぐに人に頼る人間が嫌いなアーノルドは、
「強くなるにはどうしたらいいか教えてくれ」
というファンに
「わざわざオーストリアから空輸しているスペシャルオイルだ」
といって瓶を取り出しファンの体に塗り、全身に塗り終えポーズをとらせた。
「オイルを洗い流さずそのまま服を着るように、少ししたら筋肉がつくから・・・」
とアドバイスするとファンは油のしみた服を着て喜んで帰っていった。
スペシャルオイルは車のガソリンだった。
また
「どうしたらそんな体になれるのか」
とたずねてくる別のファンには
「俺のような体をつくりたいならクルミの殻をつぶしたものを塩と混ぜて食べればいいんだよ。
1日目はそれをスプーン1杯。
2日目からは1日ごとにスプーン1杯ずつ増やしていって、30日間それを食べるんだ。
だから30日目にはスプーン30杯を食べることになる。
これを続けたら筋肉が発達し俺のような体になるぞ」
とアドバイス。
喜んだそのファンは17日目まで頑張った。

バーバラとオリバ


1969年7月、アーノルドはレストランで働くバーバラ・アウトランドに一目ぼれした。
これまで真剣に女性を愛したことがなかったが、やっとめぐり合った。
バーバラはサンディエゴ大学で英語の教師を目指し学ぶ学生で、アーノルドのことも、ボディビルのタイトル保持者であることも知らなかった。
アーノルドは22歳、バーバラ・アウトランドは20歳、お似合いのカップルだった。
バーバラはアーノルドに英語を教えたり、アーノルドがカレッジに通い出すと宿題を手伝ったりした。
またアーノルドの写真入りでボディビルのトレーニング器具とトレーニング法について書いた冊子を通信販売していたが、バーバラは事務的な手伝いをした。
そしてアーノルドはバーバラの学費を払い、バーバラがアーノルドのアパートに泊まらない日は女遊びに専念した。

1969年はニューヨークで大きな大会が2つ行われた。
アーノルドは、Mr.ユニバース(IFBB)では優勝したが、Mr.オリンピアではセルジオ・オリバに敗れ2位だった。
その後、ロンドンでのMr.ユニバース(NABBA)で優勝、ドイツで行われた大会でも勝ちMr.ヨーロッパとなった。

映画デビュー作品

「SF超人ヘラクレス」という映画(日本ではビデオのみ)にアーノルド・ストロングという芸名で出演。
ゼウスの私生児であるヘラクレス(アーノルド)は、オリンポス山から投げ捨てられニューヨークに降り立つというストーリーだが、アーノルドのセリフは訛(なまり)が強かったので吹き替えられた。
苦いデビュー作である。

じゃ、先に行って

1970年、アーノルドは新しい方法でトレーニングをやり始めた。
これまで5、6時間ぶっ続けで行っていたが、1回1時間、1日2、3回、週4、5日行うという方法に切り替えた。
1970年9月18日、ロンドンのMr.ユニバースで優勝。
1970年9月19日、ロンドンからニューヨークまで12時間かけて移動した後、プロMr.ワールド大会に出場し、セルジオ・オリバに勝って優勝した。
さらに2週間後、10月3日、ニューヨークタウンホールで行われたMr.オリンピアで再びセルジオ・オリバを抑えて優勝。
このとき舞台の上でアーノルドとオリバがポーズをとって競っていたが、2人とも疲れ切っていたので、アーノルドが
「もうこのくらいで舞台を下りないか?」
と聞くとオリバは
「いいよ」
と返した。
アーノルドに
「じゃ、先に行って」
といわれその通りにすると観客はオリバが棄権したと誤解しヤジを飛ばした。
アーノルドは気が変わり舞台に残りMr. オリンピアとなった。
こうして23歳のアーノルドは1970年の1年間でMr.ユニバース、プロMr.ワールド、Mr.オリンピアの3つのタイトルを獲得した。

Mr.オリンピア 連覇開始

1971年、アーノルドはロンドンのMr.ユニバースに出場しようとしたが、国際ボディビル連盟は同連盟主催のロンドンのMr.ユニバースとパリのMr.オリンピアの両方に出場することを問題視したため、アーノルドは後者に出場。
2度目のMr.オリンピアを獲得した。

1972年9月、アーノルドはドイツのエッセンで行われたMr.オリンピア大会で優勝した。
(3度目の優勝)
このときアーノルドは1.5㎏ほど体重をオーバーしていたし、セルジオ・オリバのできがよく強力なライバルになると思われた。
しかし予選をする部屋の壁が黒系の色だった。
するとアーノルドの白い体は浮き立ち、オリバの黒い体は消されてしまうという目の錯覚が起こり、審査員は現実以上にアーノルドを評価したという。
1972年12月11日、エッセンの大会の2ヵ月後、父:グスタフが65歳で心臓発作のために亡くなった。
1週間後、グラーツ郊外の墓地に葬られるとき100人を超す警察官が列席したが、アーノルドはトレーニングのため葬式にも出れずアメリカにいた。

1973年、ニューヨークのフェルトフォーラムで行われたMr.オリンピアで、アーノルドは、22歳、196㎝、120㎏、2度Mr.ユニバースのタイトルを獲得していた大型新人:ルー・フェリグノを下して4度目の優勝を果たした。
アメリカはジョギングブームからボディビルの時代が到来しつつあり一般誌もボディビルの特集を組んだ。
アーノルドは何度もテレビに出演しボディビルにイメージを変えた。
「ボディビルは愉快なスポーツ。
腕でラクダのこぶがつくれるスポーツ」
というアーノルドをみて視聴者は笑ってしまった。「1970年代の半ば、僕はボディビルの普及に努めて前よりなじみやすいものにしたと思いますよ。
昔はボディビルをする者は1日に肉を1㎏、卵を30個食べ、12時間眠り、セックスなんかできなかった、といわれていました。
それだったら誰もボディビルに興味を持たない。
まず昔にいわれていたことは間違っていますし、あるスポーツを普及しようと思ったらそれが楽しいものであると知らしめるべきですよね。
これはスポーツに限ったことではないですがね。
食生活についても、僕はケーキやアイスクリームも食べたし、夜遅くまで起きていたし、セックスもしたし、してはいけないといわれていたことを全部しました。
ボディビルに必要なのは、週3回、45分から1時間のトレーニングだけなんです。
それでバッチリですよ」
またアーノルドは映画「ロング・グッドバイ」に出演。
ギャングの手下役でセリフはなくケンカ腰で立っている役だった。

1974年、ニューヨークでで行われたMr.オリンピアで優勝。
5度目の優勝。
まさに無敵、最強の男だった。
ジョー・ウイダーの発行する雑誌で、アーノルドが表紙を飾り、中身も記事や商品の宣伝でアーノルドの写真であふれ、アーノルドのようになりたい読者の心を煽った。
「チャンピオンに聞いてみよう」という読者からの質問にアーノルドが答えるコーナーでは、
「個人的に話してみる必要がある」
と返事をし定員35名の公開講座の参加を呼びかけている。
費用は数千ドルだった。
アメリカ国内で行われるボディビル大会にアーノルドはゲスト出演すると入場料5ドルの会場に数千人が入った。
そして父親がナチスだったのに「栄光への脱出」のテーマ曲が流れ、アーノルドコール起こる中、ボディビル界史上最高、最強の男が現れポーズをとった。
女性は熱狂し、男性は羨望のまなざしを向けた。

Mr.オリンピア 6連覇 電撃引退

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1975年4月、アーノルドはアラバマ州バーミンガムで映画「青春の選択(Stay Hungry)」のセット撮影に入った。
アーノルドが演じるジョー・サントは、Mr.オーストラリアのタイトルを持つボディビル選手。
大会出場のためバーミンガムに来ていた彼は地元のジム経営者で魅力的なサリー・フィールドが演じるメアリ・テイトを好きになる。またジェフ・ブリッジズ演ずる南部の地主とも知り合う。
3人は三角関係になってしまうというストーリー。
撮影に入る前に、これまでアーノルド・ストロングという芸名をやめて本名:アーノルド・シュワルツェネッガーを使った。
難しいから-と反対する者もいたが、覚えさせる自信があった。
そして大スターになることを目標にエルビス・プレスリーやモハメド・アリを研究した。
以前からアーノルドに結婚を迫り、また「青春の選択」への出演に反対だったバーバラ・アウトランドは、ついに別れる決心をした。
「アーノルドは目標達成しか頭にないんです。
目標を決めるとその達成に役だつことしかしないんです」
現在、バーバラ・アウトランドはロスアンゼルスのリンカーン高校で英語の教師をしている。
そして「正しい読書の方法」という本も出版している。

1975年6月、映画「Pumping Iron(鋼鉄の男)」の撮影が開始。
この映画は、アーノルド・シュワルツェネッガーを中心に当時のボディービルダーを取り上げたドキュメンタリー映画。
1975年6月から11月にわたって撮影され、クライマックスは1975年11月8日にに南アフリカのプレトリアで行われたMr.オリンピア大会である。
アーノルド・シュワルツェネッガーやルー・フェリグノ、フランコ・コロンボといった選手たちを追い、個々の私生活やバックボーンにも触れつつ、どのようなトレーニングをしているのか、プロのボディービルダーとはどのようなものなのかを記録しつつ、大会に向けて己を磨く選手たちを撮影した。

1975年のMr.オリンピアははじめて南アフリカで行われた。
人種隔離政策を行っている国で人種差別を非難していたIFBB(国際ボディビル連盟)主催の大会が行われることにみんな驚いたが、アーノルドがこの国のスポーツ大臣の息子と友人だった関係から実現した。
スポーツ大臣:ピエット・クールホフは全参加選手は人種を問わず仲間として平等に扱われることをウイダー兄弟に約束した。
参加選手は南アフリカ航空のファーストクラスで南アフリカに降り立ち5ツ星のホテルに泊まった。
費用は南アフリカ政府が負担した。
しかし大会2日目に白人選手と一緒に公園で日光浴をしていた黒人選手のロビー・ロビンソンは警察官に引きずり出された。
この警官は人種隔離政策が一時的に中止されていることを知らなかった。
大会では、アーノルドが優勝し、6度目のMr.オリンピアとなった。
そして28歳のアーノルドはボディビルをすることによっていろいろな経験ができたことを感謝し、今後も続けていくことを語ったが、大会出場からは退くことを発表した。
突然の引退表明だった。

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