この書籍を参考にさせていただきました。
一見対極であるが、「男」というものを感じさせる点で共通の2曲。
今回ご紹介する2曲。
片方は、ポプコンで、プロデューサーも手直しする必要がないと言うほど完成されたバンドの曲。
一方、もう片方は、36回もオーディションに落ちるという辛酸をなめたバンドの曲。
しかし、男って、そういうものではないでしょうか。
格好いいだけでは魅力が薄いし、ふざけてばかりでもバカにされる。
この2曲の良さを両方わかるというのが、本当の「男」なのかもしれません。
1980年11月28日 伊丹哲也&side by side「街が泣いてた」。

何といっても「巻き舌」が非常に印象に残るこの曲。
「ポプコン」優勝曲。
ヤマハ音楽振興会が開いていた「ポピュラー・ソング・コンテスト」略称「ポプコン」の第11回グランプリに輝いた曲です。
この頃はまだ「J-POP」という言葉はありませんでしたが、POPの語源であるポピュラーソングを世に広めたのがこの「ポプコン」であると定義したとすると、この時代のこの歌はまさに「J-POP」と言っても過言ではないと思います。
ポプコン主催者も「一発OK」だったこの作品。
ヤマハ音楽振興会・関西の担当者であった山本辰夫さんによると、普通の応募者の作品は、何らかの修正がプロの目からなされるのが普通なのですが、この「街が泣いてた」は、伊丹哲也さんが持ち込んだ原曲でそのままで十分な作品だったそうです。むしろ、サビの個性的なシャウトは、伊丹さんの持ち味であり、もっと強調するように、とアドバイスするほど、最初から完成された楽曲でした。
ネットでの印象的コメント。
子供の頃、うぉ〜うぉ〜って真似しながら聴いていた 昔は大人の歌を子供も聴いていたけれど、今は子供向けの歌を大人が聴いている
https://www.youtube.com/watch?v=a3azCllaFVs街が泣いてた 伊丹哲也 & Side By Side - YouTube
このコメントの中に、現代のJ-POPの中に覚える一抹の違和感がすべて表現されているのではないかと思います。
「ザ・ベストテン」などは、同じ番組を大人も子供も見ていました。
そもそもテレビが各個人用になどないので、1台のテレビを家族で見るのが当たり前でした。
そのため、子供用の曲を大人も聴き、大人の曲も子供が聴く。
しかしテレビが各個人専用のものになり、同じ番組をみんなで見るスタイルが徐々に消え、また音楽の入手先がテレビから離れ、ネット配信など、さらに個人的なアイテムからになる。
ちょっと暴論にはなりますが、AKBしかり、西野カナしかり、等身大の「若い女性」の気持ちを歌った曲が、女性のみならず男性にも受ける、というような現象が起きているように感じます。
つまり、「等身大の男性の気持ちを歌う歌」がないように思います。
男性が「草食化」というよりも、「男性の女子化」とも言うのでしょうか。
ましてや、一部にはアイドルの握手券を得るために同じCDを何枚も買うという現象もある。
これは、「プロ」と「アマチュア」との垣根が薄くなっていることではないでしょうか。
「プロ」を大人、「アマチュア」を子供とすれば、確かに、この方の言っている「子供向けの歌を大人が聴いている」というコメントは、非常に的を得ているな、と感じます。
(別にアイドルを批判する意図はありません。)
中学の頃、わかったフリをしながらこの曲を聴いていた。 50歳を目前にして、離れた故郷と初恋の思い出がグラスの酒を苦くする。
https://www.youtube.com/watch?v=a3azCllaFVs街が泣いてた 伊丹哲也 & Side By Side - YouTube
こちらのコメントも、先ほどのものと同じような雰囲気を感じます。
子供が大人の曲を聴くので、大人の恋愛や、故郷を離れる気持ちは子供にはわからない。
想像でしかわからない。
それが、大人になって「こういう気持ちを歌っていたのか」と理解する。
改めて聞き直すことで、さらにその曲への情が深まる。
それに対して、子供の等身大の歌ばかり聞いていると、自分と同じ気持ちであるという共感は得られますが、大人の気持ちは知ることができませんね。
伊丹哲也&side by sideというバンドは、大阪という、「東京ではない」関西地区から出てきたバンドですので、故郷を離れる気持ちも盛り込んだ歌なのでしょう。
「街が泣いてた」という隠喩。泣いていたのはその街を離れる自分自身。
ミドルエッジ世代の「街が泣いてた」はこの曲でしょうか。
「街が泣いてた」を聴いた後、シャ乱Qを聴くと、シャ乱Qの世界観が際立つような気がします。
1981年1月12日 横浜銀蝿「ツッパリハイスクールロックンロール」
一応、正式名称を書いておきます。
正式名称は、「ザ・クレイジー・ライダー 横浜銀蝿 ローリング・スペシャル」の、「ツッパリ High School Rock'n Roll(登校編)」ということになりますね。
ご存知でしたらすみません。

オーディションに36回落ちたグループ。
誰もが知るこの「ツッパリハイスクールロックンロール」ですが、実はデビュー曲「横須賀baby」を出す事務所に入るまでに、横浜銀蝿はなんとオーディションに36回落ちたそうです。
37回目のオーディションで、この事務所に入ったわけですが、メンバーは本心はともかく、非常に客観的に自分たちを見ていたそうです。
「落ちるのは、自分たちの実力がそんなものだから。音楽が好きだからやっているだけ。37回目で受かったのも、それだけオーディションの数をこなすほどだから、根性があるんだろうと認められたのだろう。」と、(表面上は)淡々としていたそうです。
ネットでの反応。
ツッパリ・ハイ・スクール・ロックン・ロール(登校編) - YouTube
この2つのコメント見て、笑ってしまいましたね。
確かに先生に反抗して学校が嫌いなら、学校に来なきゃいいのに、(たとえ勉強はしなくても)学校にはちゃんと「登校」してるんだから、学校自体は好きなんでしょうね。
しかもこの歌の出だしが、「行ってきま~す!」ですからね。
他人に暴力や危害を加えたりしなければ、このような学生生活も楽しいものとして認められるべきと思います。
「不登校」という問題が小学生にまで及んでいるこの時代、特にそう思いますね。
今でもこんな「ツッパリ」高校生や、「人情派お巡りさん」って、いるのかなあ・・・。
日本の高校生全員がこれではさすがに困りますが、一部にこういう高校生やお巡りさんがいるような社会って、楽しそうですよね。(もちろん他人に危害を加えるようなことはダメですけど。)
この曲のヒットによりわかったこと。
メンバーのJohnnyさんこと浅沼正人さんは、現在レコード会社のプロデューサーとして、新人を発掘する立場になって、このように思っているそうです。
「時代を作る曲というものは、時代に合った曲ではない。今流行りそうなものは時代を作れない。その時代にはダサイと思われるようなものが、ムーブメントを起こす。」
このように語っています。
わかっているのかわかっていないのか知りませんが、この「ツッパリ・・・」の後の曲にyoutubeに組み込まれたAIはこの曲を持ってきました。
1995年の年間ランキング2位という文字通り「ムーブメント」を起こしたこの曲も、お世辞にも「格好いい曲」ではないですよね。どちらかというと「ダサイ」。
しかし、それこそがムーブメントを起こすのでしょう。