TKブームを支えた影の立役者・久保こーじ
小室哲哉が絶大な影響力をもっていた、いわゆるTKブームの最中。テレビ東京の夢のオーディションバラエティ『ASAYAN』内で「コムロギャルソン」というコーナーが放送されていました。そこで小室の弟子として全面的にフューチャーされていたのが、久保こーじその人です。
テレビから見る彼の印象といえば、ナンシーの言うとおり、小室の威を借りて調子付いている人。現在でいうところの仮想通貨、一昔前のアベノミミクス全盛時でいうところの株で一儲けした人たちあたりがちらつかせるのと同質の、時勢に乗った人間ならではのいかにも浮薄なイケイケ感が当時の彼にはあり、個人的には正直好きになれませんでした。しかし、多忙な師に代わり、多彩な楽曲を世に輩出したその手腕は、紛れもなく本物でした。

小室哲哉と久保こーじ
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高校3年生からTKと音楽仲間だった
そもそも彼がどのような経緯で「小室の腰巾着」という、90年代であれば成功を夢見る若手音楽家の誰もが憧れるポールポジションに就けたのかを、まずは説明していきましょう。
彼の音楽業界でのキャリアは、高校3年生から始めたローディーの仕事からスタートします。ローディーとは、ミュージシャンがライブを行う際、使用楽器や機材の手配・管理・運搬・メンテナンス・セッティングを行う役割のこと。この仕事を通じて久保は、当時バックミュージシャンだったTKと知り合うことに。久保が17歳、TKが23歳時でした。
その後、TKがTM NETWORKのメンバーになってからは、彼らのレコーディングスタジオに出入りするようになり、1985年にはTMN2枚目のアルバム『CHILDHOOD'S END』のシーケンサーのプログラマーとして参加。以降は小室直属の便利屋として主にマニピュレーター、サポートキーボーディストとして活動しつつ、どこかのタイミングでアレンジャー・編曲家になり、アシスタントプロデューサーになり…といった感じで、少しずつチームTKの中で欠かせない存在になっていったのでした。

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『WOW WAR TONIGHT』などのアレンジも担当していた
「とにかく僕の負担をすごく軽くしてくれてるというか、そんな仕事をしてますね」
これは、かつて放送されていた小室のレギュラー番組『TK MUSIC CLAMP』において、TKがゲストとして出演した久保こーじを称賛した際のコメントです。この発言一つとっても、どれほど当時の久保がチームTKに多大な影響を及ぼしていたのか、分かるというものでしょう。

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1990年に中山忍のオリジナルアルバム収録曲の編曲に携わったあたりから徐々に編曲者として頭角を現し、次第に、観月ありさの『TOO SHY SHY BOY!』(1992年)、trfの『masquerade』(1995年)、 H Jungle with.tの『WOW WAR TONIGHT ~時には起こせよムーヴメント』(1995年)など、小室ファミリーの主要シングル曲における編曲も担当するようになり、いつしか「小室より小室っぽい音をつくれる男」との異名を誇るアレンジャーへと進化。
加えて、しゃべりもそこそこイケてた彼は、1992年10月~1994年3月までオールナイトニッポン2部のパーソナリティに抜擢されるなど、音楽以外のメディアにも進出し、そして、先述した『ASAYAN』内企画「コムロギャルソン」で八面六臂の活躍を見せることとなるのです。

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「コムロギャルソン」で多数の新人アーティストをプロデュースしていた
当時、恋人の華原朋美や後の妻となるkeiko擁するglobe、安室奈美恵などファミリーの主軸アーティストのプロデュースで忙しかったTKは、「コムロギャルソン」内でオーディション募集した新人アーティストたちを、ほぼ久保に丸投げ。
「あの小室哲哉のプロデュースでデビューできる!」と銘打って募集を懸けながら、ほとんど名義貸し状態になっていました。それでも、小室以上に小室っぽい音をつくれる男・久保は、天方直実、L☆ISなど何人ものアーティストをプロデュース。
いずれも全くと言って良いほど売れませんでしたが、モーニング娘。の大本営番組と化す前の『ASAYAN』を盛り上げるのに大きく尽力したのは間違いありません。
今はアイドルのプロデュースなどに力を入れている久保こーじ
小室ブーム末期の頃には安室奈美恵のシングル『Dreaming I was dreaming』、鈴木あみのシングル『white key』における作曲・編曲をつとめるなど、TKのアシスタント的立ち位置から、共同製作者的地位を得るまでになりました。その小室との20年続いた関係も2000年ごろには終焉を迎え、久保は独自の道を歩むことに。
フォークデュオのプロデュースを行ったり、音楽学校の講師をしたりと、以前ほどの派手さはないものの、堅実な活動を続け、2007年からはもっぱらインターネット番組に、最近ではアイドルのプロデュース業に注力しているようです。果たして今の彼は、かつての師匠・TKの引退劇にどのような見解を持っているのか…気になるところです。
久保 こーじ / Cozy Kubo(@cozykubo)さん | Twitter
(こじへい)