今回は「星になったスター達!」いつまでもあなた達のことは忘れません!

富田君!
今回は前2回とは違い、若くしてお亡くなりになったスター達をレコードで追ってみるぞ!

編集長。
何か新しい企画に見えますが基本的に前2回のレコード紹介と変わってないような気もしますが・・・。

(相変わらず痛いところを・・・)
まあ、前回も4000アクセスとまあまあの結果だったので今回までの三部作と言うことで~

承知いたしました。
今回は「星」と「スター」を引っ掛けてのタイトルはまあまあのセンスでございます。
あとは中身が伴えばそれなりの数字がとれることかと・・・。

(どれだけ上から目線の発言なんだ・・・)
そ、そうだな。今回もがんばります。

それでは飽きもせずにご覧になってくださる読者の皆様!
今週もお話を進めて参りましょう!
心半ばで無念だったと思います。しかし、作品は残ります!その軌跡をレコードで追っていきましょう!
竹の子族としてデビュー前に活躍もしていました。1981年にこのシングルでデビュー。
切れ長の目がちょっと不良っぽくも可愛いもあり、瞬く間に人気者になりました。
その後も「Char」のカヴァーで「気絶するほど悩ましい」や「キャプテン翼」の主題歌「燃えてヒーロー」等13枚のシングルを発表します。
その後は俳優としても活躍されます。時代劇、刑事役等で存在感ある演技を披露していましたが、1999年に自ら星となってしまいました。
まだまだいぶし銀の演技を見たかった方や、キャプテン翼の主題歌を歌って欲しいというファンの方は未だに多いのではないでしょうか?(享年36歳)
1985年に「殺意のバカンス」でデビューされます。スカウトをされてのデビューでしたが本来は「少女隊」のメンバー探しでのスカウトだったと聞いています。
彼女のイメージはやはり5枚目のシングル「1986年のマリリン」だったかと思いますが、奇抜なダンスとは裏腹に歌唱力にも定評がありました。
生涯28枚のシングルを発表され、ドラマ・CMにも抜擢。そして晩年に活躍されていた舞台では彼女の声量に驚かされたものでした。
しかし、2004年から病魔におかされ2005年に白血病にて星となってしまいました。
今でも語り継がれる「アメイジンググレイス」は今聴いても鳥肌が立つ1曲ではないでしょうか?(享年38歳)
1981年にデビューした「シュガー」は実力のあるバンドでした。
あまりにもこのデビュー曲が有名で奇抜感が強い曲であった為、一発屋的な見られ方をする人も多いのではないかと思いますが、4年間の活動期間で11枚のシングルを発表し、「まんがはじめて物語」や「伊賀野カバ丸」のオープニング、エンディングの曲も担当します。
その実力の裏にはメンバーの「クミ」と「モーリ」は「きゅうてぃぱんちょす」に在籍しておりこのバンドはのちの「杉山清孝とオメガトライブ」であったことを考えるとのちに合流する「ミキ」と三人でのシュガーは決して色物バンドでは無かった訳です。
1985年に解散しそれぞれの道を歩み始めたときにリーダーであった「モーリ」が1990年に出産時に常位胎盤早期剥離からの羊水塞栓症により星となってしまいました。再結成も夢となってしまったのです。幸せの絶頂だっただけに悲しみも大きかったのを覚えています。(享年29歳)
まだまだ活躍出来たはずなのにこの方たちも星となってしまいました。
当時、全日本女子の看板タッグであった「赤城マリ子」と「マッハ文朱」のコンビを破りチャンピオンになったのが「ジャッキー佐藤」と「マキ上田」の「ビューティ・ペア」でした。
そこでレコードデビューし、リング上で試合前に歌うことにより、人気も急上昇となりデビュー曲の「かけめぐる青春」は80万枚の大ヒットとなりました。壊滅寸前だった全日本女子を救ったのはこの2人と言っても過言ではありません。
しかし、3年後にペアは解散。最後に2人で対決しマキ上田は引退となり、その後はご存知のように女優として「バトルフィーバーJ」で「サロメ」役として活躍したのは有名です。
一方、ジャッキー佐藤は1988年に引退しスポーツトレーナーとして活躍していたのですが1999年に胃がんにて星となってしまいました。最後までジャッキーはマキに病気のことを告げずにいたと言うことがジャッキーらしいと言えばそうなのかも知れません。(享年41歳)
「川島なおみ」と言えばアイドルよりも「お笑いマンガ道場」を思い浮かぶ方が多いのではないでしょうか?歌手としても12枚のシングルを発表していますが、やはり後年は女優として活躍されていた印象が強いと思います。
ドラマ、映画、舞台、CMと活躍され、2007年にはパティシエの「鎧塚俊彦」と結婚し、幸せな夫婦生活を送っておられましたが、わずか8年の夫婦生活で癌のため2015年に星となってしまいました。
最後の舞台は亡くなる2週間前まで公演に参加していたと言う女優魂は記憶に新しいのではないでしょうか?(享年54歳)
海外のスター達も突然「星」となってしまいました。
海外のアーティストで衝撃的だったのは、やはり「クイーン」の「フレディー・マーキュリー」ではないでしょうか?
1971年に結成されたとしている「クイーン」の言わずと知れたボーカルであったフレディは、ハイオクターブの歌声と独特のファッションで人気を得ていきます。1974年のアルバム「クイーンⅡ」はブレイクのきっかけとなり人気を得て「オペラ座の夜」「華麗なるレース」「世界に捧ぐ」等のアルバムで人気を不動のものとしていきます。
80年代になってもその勢いは止まることなくアルバムも売れ続け「世界で最も売れたアーティスト」に名を連ねることになります。
しかし、その時は突然やってきました。ボーカルのフレディが1991年の11月23日にエイズであることを広報を通して報告会見を行います。そして、翌日24日に突然「星」となってしまったのです。
クイーン結成20年の日に旅立ってしまったフレディ。これも偶然だったのですが、意味があったのかも知れません。(享年45歳)

どうだ?富田君!
同じレコードでも切り口が違って新鮮だろ?

はい!編集長!
まさか、苦し紛れに洋楽のクイーンまで引っ張りだしてくるとは夢にも思いませんでしたわ!

(相変わらず痛いところを・・・)
富田君。
その通りなのだが手元にあの人とかこの人のレコードがないので仕方ないんだよ。

そうでございますか。
私はてっきり手を抜いていたのかと・・・・。

な、何を言ってるかよくわらないが(汗)
そ、それより今回は知ってるスターはいたのかな?

はい!
今回はフレディのファンだったのでよく存じ上げていましたわ!
白馬にまたがってるお姿をよく漫画で拝見しておりましたわ!

富田君!
それは同じ名前でも「魁!クロマティ高校」に出てくる「フレディ」ですから~!残念!

痛風に苦しむ編集長斬り~!
と言うことでまた来週でございますわ!
あなたの「アキバの受け師」こと富田がお送りいたしました!
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