ナイジェリア代表のFW!ヌワンコ・カヌ
90年代に躍進を遂げたサッカーのナイジェリア代表。その中心選手として活躍したFWヌワンコ・カヌをまとめます。
197cmの超大型FWはインパクトが強く、当時ナイジェリア代表を特集する際には代名詞的存在として扱われていた記憶があります。

ヌワンコ・カヌ
《個人データ》
愛称はパピリオ。ラテン文字ではNwankwo KANUと書きます。
1976年8月1日生まれ。出身地はナイジェリア南東部のイモ州の州都オウェリ。
身長197cm、体重80kg。ポジションはFW(CF)。利き足は右。
長身ながらボールタッチは柔らかく、ゴール前では細かな足さばきでDF、GKを翻弄し、いくつものゴールを決めました。
1993年にオランダ・アヤックスに移籍したヌワンコ・カヌ
15歳時に所属したフェド・ワークスで9得点を挙げる活躍をし頭角を表し、1993年にはオランダのアヤックスに引き抜かれたカヌ。
1996年まで所属していたカヌでしたが、当時のアヤックスはチャンピオンズリーグ(1994-95シーズン)決勝で、黄金期であったセリエA・ACミランを相手に勝利するなど、こちらもクラブとして黄金期を迎えていました。
その後、日本で行われたトヨタカップでもブラジル・グレミオをPK戦で下し、初めてのクラブ世界一に輝きました。19歳のカヌはこの試合でベンチ入りし、スコアレスの続く試合を打破すべく「攻める為にお前が必要なんだ、どんどん前へいけ」との指示をファン・ハール監督から受け、途中出場を果たしています。
なお、アヤックスは1994-95シーズンから1995-96シーズンにかけて、ユヴェントスに敗れるまでチャンピオンズリーグ19戦無敗という記録を打ち立てています。
【エピソード】
1993年に日本で行われた「1993 FIFA U-17世界選手権」で、ナイジェリアが4大会ぶり2度目の優勝に輝きました。カヌは5得点を挙げて大会のベストイレブンに選出され、そのカヌにアヤックスが目を付けました。そして、オファーを受けたカヌは日本からの帰りにオランダの空港でアヤックス入りを決めたそうです。
ちなみにこの大会では、中田英寿がいた日本代表とも戦っています。そこで中田はアフリカの選手の身体能力に非常に驚いたそうです。

1996年4月に開場したアムステルダムにあるアヤックスのホームスタジアム
1996年にセリエAの名門インテルに移籍!
1996年にセリエAの名門インテルに移籍しました。しかし、後述する夏のアトランタ・オリンピック直後に、心臓弁膜症を発症してしまいます。
サッカー選手としての未来が一時は閉じ掛けますが、15ヶ月にも及ぶ手術とリハビリを乗り越え、1998年2月に復帰を果たしました。
しかし、手術の影響からか思うようなインパクトは残せず、12試合に出場して1得点に終わります。
ただ、カヌは後年この当時を振り返り、同クラブの元会長マッシモ・モラッティ氏に対して、心臓に問題を抱えていた時期に契約を解消しないばかりか、手術代を支払ってくれたと言い、感謝しているとのコメントを残しています。

インテル時代のヌワンコ・カヌ
1999年にプレミアリーグのアーセナルに移籍
カヌは1999年2月にアーセナルに移籍します。しかし、デビュー戦となったFAカップの対シェフィールド・ユナイテッド戦で問題を起こしてしまいます。
負傷した選手を気遣いライン外にボールが出された後、味方選手がスローインで、紳士的に相手GKにボールを返そうとしました。しかし、状況を理解していなかったカヌはこのボールを奪ってゴール前にセンタリングをあげ、マルク・オーフェルマルスが得点を決めてしまいました。これは非紳士的プレイと見なされました。
さらにはこれが決勝点となってしまった点も問題を大きくしました。一度は試合は成立しますが、シェフィールドU側が抗議し、アーセナル側も試合直後から再試合を提案していたことから再試合が行われました。再試合は、2対1でアーセナルが勝利しました。

プロスターズクラブゴールドフィギュア ヌワンコ・カヌ(アーセナルFC/ホーム/99-00)
アトランタ・オリンピックで金メダル獲得に貢献
1996年に開催されたアトランタオリンピックでは、ナイジェリアが金メダルを獲得しました。カヌはキャプテンとしてチームに貢献しています。
この金メダル獲得は、オリンピックのサッカーにおいてヨーロッパ、南アメリカ以外から初めてとなると金メダルでもありました。
また、この大会から導入されたオーバーエイジ枠を使い本気度の高かったブラジル(ベベット、リバウド、アウダイールを起用)を準決勝で、アルゼンチン(シメオネなどを起用)を決勝で破っています。
この大会では日本代表が金メダルの大本命・ブラジルを破った「マイアミの軌跡」も大変な盛り上がりを見せました。前園や城彰二、川口能活、まだ10代だった中田英寿らが躍動し、彼らの多くは1998年のワールドカップ初出場への原動力となっていきます。
その若き日本代表は、グループDでナイジェリアとも対戦しています。初戦のブラジル戦での勝利で波に乗る日本代表でしたが、こちらもその後のナイジェリアの躍進を支える事になるババンギダとオコチャに得点を決められ、0-2で敗戦してしまいます。
同グループからはブラジル(1位)、ナイジェリア(2位)が突破を決め、第3戦でハンガリーに勝利した日本代表は2勝しながら予選を通過できない稀有なチームとなってしまいました。
ちなみにナイジェリアとの試合では、アフリカ勢の身体能力を警戒し、守備的な布陣を敷く日本代表でしたが、前述のU-17世界選手権で対戦している中田は、守備陣にも攻撃参加を強く求めます。しかし、それがチームメイトとの軋轢を生んだとされ、第3戦ではスタメンを外されています。
2012年プレミアリーグ・ポーツマスで引退
プレミアリーグのアーセナル移籍した1999年には、自身2度目のアフリカ年間最優秀選手 (CAF) に選ばれたカヌ。その後もプレミアリーグでの活躍を求め、2004年にウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFCに、2006年にはかつて日本代表の川口能活も在籍したポーツマスFCに移籍しました。
ポーツマスでは途中、破産申請が行われ、プレミアリーグ史上初の倒産チームとなるなど、難しいチーム事情にも巻き込まれますが、2012年の引退まで在籍しました。
アーセナルでは119試合に出場して30得点、ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンでは53試合に出場して7得点、ポーツマスでは141試合出場して20得点を挙げています。
引退後のカヌは、ユニセフ大使として働く他、カヌ心臓財団を設立するなど様々な慈善活動を行っています。
