TOKIO(沢田研二) 1980年
「憎みきれないろくでなし」から7作続いていた作曲:大野克夫×作詞:阿久悠のゴールデンコンビを解消して、沢田研二が自曲の制作を依頼したのは、元ワイルドワンズの加瀬邦彦と、当時新進気鋭のコピーライターとして頭角を現していた糸井重里でした。
TOKIO(沢田研二)
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同曲がはじめてお披露目されたのは、1979年に放送された民放の「ゆく年くる年」。
時計の針が0時を回った瞬間、日章旗に見立てたと思しきパラシュートと、電飾がチカチカと点滅するド派手なミリタリールックを身に付けたジュリーが登場し、「空を飛ぶ! 町が飛ぶ!」と熱唱しだしたのです。
糸井がこの放送を見たとき、自分でやった仕事なのにも関わらず、「あ、俺はなんか違うところに行っちゃったな」とショックを受けたとのこと。古臭い70年代が過去へと過ぎ去り、きらびやかな80年代が始まる…。視聴者にそんな印象を与えたこの画期的なパフォーマンスは、糸井にとっても相当なインパクトだったようです。
いまのきみはピカピカに光って(斉藤哲夫) 1980年
コピーライターとしての性からか、糸井重里は、サビにインパクトのあるフレーズをよく持ってきます。特に、テレビCMとのタイアップ曲の場合、15秒~30秒のスポットで視聴者の印象に残らなければならないため、その傾向が顕著です。
斉藤哲夫が1981年にリリースした『いまのきみはピカピカに光って』もまた然り。ミノルタ(現コニカミノルタ)の一眼レフカメラ「X-7」のテレビCMで流れる「いまのきみはピカピカに光って~♪」フレーズは、当時21歳だった宮崎美子の美しさと相まって大反響を呼びました。
もともと、CM専用楽曲だったところから、あまりの人気ゆえ、急きょ歌詞・曲を継ぎ足してレコード化した同曲は、オリコン最高位9位、売上枚数20万枚のヒットを記録。ちなみに、レコードのジャケットにも宮崎の写真がつかわれました。
いまのキミはピカピカに光って(斉藤哲夫)
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春咲小紅(矢野顕子) 1981年
TOKIOの成功により、糸井は沢田研二に計4曲の楽曲を提供しています。それを上回る5曲提供しているミュージシャンが矢野顕子であり、その蜜月は『春咲小紅』のヒットにより始まりました。
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カネボウ化粧品『レディ80 ミニ口紅』の春のキャンペーンソング用に書かれたこの曲は、糸井のキャッチーな歌詞、矢野の弾むような歌声、YMOのテクノポップ風アレンジにより大ヒット。今なお、春の定番ソングの一つとして知られています。
パパの歌(忌野清志郎) 1991年
このフレーズ、聴いたことがある方は多いのではないでしょうか?
『清水建設』のCMソングとしてお馴染みだった忌野清志郎の『パパの歌』。同曲で描かれているのは、ズバリ、本当はカッコいいお父さんの姿です。
パパの歌(忌野清志郎)
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今では夫婦共働きが当たり前になっていますが、当時はまだバブル経済の影響もあり、男一人の稼ぎで十分家計を支えられた時代。そのため、主夫・イクメンなる言葉が一般化している現代とは違い、ハードワークとそれによる疲労にかまけて、育児は専業主婦の母親に任せきりで、たまの休日は家でグータラ…なんていうちびまる子ちゃんのひろしみたいな親父がたくさんいたのです。
これが昭和初期~中頃くらいであったら、「誰の稼ぎで飯が食えると思ってるんだ!」の一言で黙らせることができたのですが、既に女性の社会進出が当たり前となっていた90年代初頭において、その理屈は通用せず。それゆえ、親父の家庭内における威光は昔ほど強くなくなり、ダラダラと土日寝てばかりいて、家事に非協力的な父親を粗大ごみ扱いする傾向さえ、見え始めていた時でした。
そんな折に発表された『パパの歌』は、威厳の衰えつつあった親父の再評価を促す歌だといえます。工事現場で働く清水建設社員の姿を背景に流れる同曲は、見えないところで家族のために、お父さんも頑張っているんだ!という事実を伝えるメッセージソングとして機能していました。