沢田亜矢子と泥沼離婚したゴージャス松野が“AV出演ギャラ”暴露!
「4本1000万円」提示⇒「2本500万円」で合意
ゴージャス松野がAVギャラ暴露 - 日刊サイゾー
現在はDDTプロレスリングに所属
リングを主戦場に
離婚騒動後の松野
タレントとして
その路線から基本的に一過性のものが多かったが、プロレスについては長く続けている。プロレスデビューに際してある番組で大仁田厚がコメンテーターとして共演したところ、大仁田にブチ切れられ、椅子を投げつけられるなどしている。
また、時折テレビにもタレントとして出ることがあり、TBS系列のテレビ番組「サンデージャポン」にて、自称「スーパーフリージャーナリスト」として、話題の現場に突撃取材を「敢行」。
記者会見では質問を行うたびに「TBSサンデージャポンスーパーフリージャーナリストのゴージャス松野ですが……」と名乗ることで自らの存在をアピールしている。
2002年には演歌歌手兼霊媒師であり、同郷の田代純子と婚約を発表。2015年現在まで結婚・同居ともにしていないが、「相棒」と呼ぶなど良きパートナーの関係である、としていて内縁の妻と言う形になっている。またDDTの福島大会ではデュエットを行っている。
プロレスラーとして
2004年からはDDTに所属、度々笑いの神が降臨したかのような動きを見せる。
2008年、DDTの「コミッショナー」に就任。しかし、この頃より実家との確執やプロレスの試合中に喉へ受けた攻撃のために声が出にくくなりうつ病の症状が出、入退院を繰り返すようになる。
11月3日、福島市内の飲食店で倒れ入院した。一時心肺停止状態となり、心臓マッサージおよび気管切開により一命を取り留めた。
それ以降レスラーとしては療養中とされていたが、2010年の興行ではたびたび会場に姿を現し、レスラーとしての復帰への意欲を見せる。その後、2011年5月4日の興行でMIKAMIとのタッグチームで約3年半ぶりに復帰。
3月に地元・福島を襲った東日本大震災と、その後7月に起こった父親の死去をきっかけに、曹洞宗の寺院で読経・礼拝・座禅の修行を開始すると、うつ病の症状も改善。2012年3月には在家得度し僧侶に。「覚念行秀(かくねんぎょうしゅう)」の戒名を得た。
2012年で自身のプロレスデビューから10周年を迎える。11月に記念興行「東日本大震災復興イベント〜がんばろう福島〜ゴージャス松野10周年記念ゴージャスナイト」を福島市国体記念体育館サブアリーナで開催し、メインイベントにて勝利を収めた。
2013年は福島体育館で興行を開催しメインイベントで勝利した。さらにDRAGON GATEのGamma福島凱旋興行にも参戦、ストーカー市川とのシングルマッチで勝利を収めている。
2014年からはMIKAMIとのタッグチームゴジャ★ミカを結成する。またプロレスキャノンボールで意気投合したバラモン兄弟と手を組みKO-D6人タッグ王座を奪取している。