僕と彼女と週末に(浜田省吾)⇒環境破壊
この歌が、環境破壊へのアンチテーゼソングと捉えられるようになったのは、2000年代に入ってから。環境問題をテーマにしたフェス『ap bank fes』において、Mr.Childrenの櫻井和寿が歌唱したことにより、そのイメージが広く一般化したと記憶しています。
同曲がリリースされた80年代前半と言えば、まだ、「エコ」や「リサイクル」などという概念がそこまで定着していなかった時期。しかしながら、1950年代より顕在化した「公害問題」が、いまだ根深く社会の中でくすぶっている時期でもありました。
浜田自身も工場排水に汚染され、たくさんの魚が屍体となって打ち上げられた地元・広島の瀬戸内海を見て育っており、そうした原体験が『僕と彼女と週末に』の根底に横たわっているようです。
そんな出だしのフレーズは、今も昔、この先100年後も共通した問題意識といえるでしょう。
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最後のニュース(井上陽水)⇒環境破壊など
1980年代も後半になると、エコロジーの概念が世間に浸透。ということで、井上陽水が1989年にリリースした『最後のニュース』も、かなり、環境へ問題意識をはらんだ内容になっています。
最後のニュース(井上陽水)
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この辺の歌詞などは、モロに温暖化の危機を歌っています。
また、同曲は『筑紫哲也 NEWS23』(TBS系)の初代エンディング用にと、かねてより、筑紫と親交のある陽水が書き下ろした楽曲ということもあり、原子力、捕鯨、薬物依存症、男女同権など、ニューストピックのように、さまざまな社会問題について列記されています。
警告どおり 計画どおり(佐野元春)⇒原発
1986年4月26日。ソビエト連邦(現:ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所4号炉が、メルトダウンの末に爆発しました。この事故は、国際原子力事象評価尺度において最悪のレベル7に分類される未曾有の放射能の汚染へと発展。改めて世界に、原発と隣り合わせで暮らすことの恐怖・あやうさを痛感させたのは、言うまでもありません。
チェルノブイリ原子力発電所4号炉
チェルノブイリ原子力発電所 - Wikipedia
しかし、我が国・日本においては、まるで対岸の火事であるかのように、新たな原発が稼働し続け、その状況に憤りを感じる人は多く、佐野元春もそのうちの一人。彼は21枚目のシングル『警告どおり 計画どおり』の中でこう訴えています。
警告どおり 計画どおり(佐野元春)
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NUDE MAN(サザンオールスターズ)⇒ロッキード事件
1976年2月に明るみになった、アメリカの航空機製造会社「ロッキード社」をめぐる汚職事件、通称「ロッキード事件」。これにより、田中角栄元首相が収賄容疑で逮捕、つまり「総理の犯罪」という、空前絶後のスキャンダルだったために、当時、大変な騒ぎとなりました。
田中元首相の逮捕を伝える号外
◇東京新聞 号外◇昭和51年7月27日 田中角... - ヤフオク!
事件発覚から7年後の1983年10月に、田中元首相には実刑判決が下るのですが、それより1年前の1982年7月にサザンオールスターズ5枚目のオリジナルアルバム『NUDE MAN』が発表されました。その表題曲である『NUDE MAN』は、明らかにロッキード事件について皮肉っている楽曲。
1分ちょっとの佳曲ながら、なかなか風刺が効いています。
NUDE MAN(サザンオールスターズ)
前夜(桃花鳥)(さだまさし)⇒トキ
桃花鳥とは、学名ニッポニア-ニッポン、つまり、トキのこと。かつては日本中の空を飛びまわっていたものの、明治期以降は、乱獲に次ぐ乱獲で激減。2003年10月10日に最後の個体が死亡したことにより、日本産のトキは絶滅しています。
以下は、さだまさしの『前夜(桃花鳥)』における歌い出し。
最後の日本産トキ「キン」の剥製
トキ - Wikipedia
80年代といえば、ディズニーランドが開園され、マクドナルドに代表されるファーストフードがすっかり日常化していた時代。ファッションも文化も、アメリカ的なものばかり嗜好する若者たちを見るさだの目は、どこか皮肉めいています。
しかし、この曲。単純に、トキのことなどどこ吹く風で、西洋かぶれに躍起になっている世間をただ批判したいだけの歌ではありません。
後半の歌詞には、「世界では紛争などが起こっているけれど、僕はこの狭い部屋の平和で手一杯」というフレーズが出てきます。つまり、トキの減少やそれに無関心な世間への問題意識を十分に感じながらも、何も、できないし、何もしない、ちっぽけな自分を嗤っている歌なのです。こういう一般感覚があるからこそ、さだは息の長いミュージシャンであり続けているのでしょう。
(こじへい)