キリよく《トップ5!》といきたかったのですが4位タイが複数人いるのでトップ4の6人をご紹介。
1位 藤井聡太
わかァァァァァいッ説明不要!! 29連勝!!! 14歳!!!
藤井聡太だ!!!
説明します。
《最年少棋士記録を60年ぶりに塗り替えた上、最初の公式戦が60年前の最年少棋士であった加藤一二三九段》
というインパクトのある登場をした棋士。将棋マニアはマニアなのでこの1文だけで1日語り続けるくらいのことができます。
序盤中盤の〝隙が無いよね〟度は当然高いのですが、なんといっても光るのは終盤。
《光速の寄せ》と呼ばれた谷川名人を彷彿させるほどの技術力。
公式戦連勝記録で1位を取ったというのも偉業なのですが、デビューからの記録なので《デビューから連勝が止まるまで無敗だった》という夢のような能力を持つ人物。

嘘だろ……そんな少年……いないに決まってる……!
ささにしきさんのツイート: "伊藤開示「最低点未満……!!嘘だ‥‥‥夢だろ‥‥これ‥‥夢に決まってる‥‥‥‥‥!」一条 「カカカ‥‥‥‥!ところがどっこい‥‥‥‥夢じゃありません‥‥‥‥! 現実です‥‥‥! これが現実‥!」 http://t.co/DTVhmfqd7X"
あまりにも注目を浴びており幼少期にお遊びになられていた遊具が半年以上の入荷待ちになったり食事をチェックされたり50m走のタイムが公開されたりしている。
若く穏やかでちょっと照れている感じの笑い方あたりはどことなく阿部光瑠六段を思いださせる。
誕生日は7月19日。デビューは10月1日。
プロ入りから1年を迎えるまでにもうひとつくらい記録をうちだしそうな気が……。
記録は《29連勝》。達成は2016~2017年。

藤井聡太四段
藤井聡太|棋士データベース|日本将棋連盟
2位 神谷広志
《飛車先不突矢倉》を武器にそれまでの記録1位《22連勝》を大幅に更新した男。
現在八段。記録は《28連勝》。達成は1986~87年。
今回の藤井四段の活躍は《俊英、連勝記録を打ち立てる》という取りあげ方をされている一方、視点を変えると《棋界は神谷八段の記録を抜くのに30年かかった》となる。
将棋界における30年はどれくらいの長さなのかと言うと《羽生善治がデビューしてから現在に至るまで》とほぼ同じである。
※羽生善治のプロデビューは1985年12月。

神谷広志八段
神谷広志|棋士データベース|日本将棋連盟
連勝記録の壁でもあったので藤井四段に関するインタビューが存在しているのですが、
藤井四段に神谷八段がエール 歴代最多28連勝より天下獲り― スポニチ Sponichi Annex 社会
「本音は並んで止まるのが一番。次に同じことが起きたら“神谷、藤井”となる」と笑いつつ「彼は記録は眼中にないのでは。それより、あと何年で天下を獲れるかでしょう」
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2017/06/15/kiji/20170614s00042000318000c.html藤井四段に神谷八段がエール 歴代最多28連勝より天下獲り― スポニチ Sponichi Annex 社会
渋くてかっこいい返しが最高です。
私も藤井四段の連勝についてインタビューされたら「記録は眼中に無いのでは。それより、あと何年で天下を獲れるかでしょう」と返そうと計画しています。
神谷八段は昭和の花形《55年組》と呼ばれる人のひとり。
タイトル戦に絡んでいないせいかなかなか話題にのぼらない人なので、これをきっかけに彼の話題も増えることをひそかに期待している。
3位 丸山忠久
角換わりのスペシャリストにして羽生世代。髪に冷えピタを貼る人。
記録は《24連勝》。達成は1994年。
現在九段。2000年には名人位を獲得しており、1期防衛に成功。棋王も1期獲得しておりタイトル獲得は計3期。
棋士は勝負師なので全員勝負に対してシビアなのだが、彼の場合は戦い方までシビアで〝自分が有利になっても相手の攻め手を潰し続ける〟という棋風である。
自分が積極的に動いていくのではなく相手の力を削ぐ手を〝からい手〟などと表現するのだが丸山は〝からい〟人の代表格でついたあだ名が《激辛流》。べつにそういうラーメンを多数注文するとかいうことは無い。
〝友達を失くす戦いかた〟と表現されることもある。誰が言いだしたのやら。

丸山忠久九段
丸山忠久|棋士データベース|日本将棋連盟
好調の波の来方がちょっと不思議な人でもある。
連勝記録自体がうちたてられたのは1994年だが名人獲得は2000年となぜか差がある。髪に冷えピタを貼ったりもする。
実は〝1999年にも18連勝を記録〟しており、こちらはランキング8位タイである。
連勝ランキングに2回以上名前が載っているのは彼と羽生さんのみ。
よく食べる。
4位 塚田泰明
〝塚田が攻めると道理がひっこむ〟とまで言われた攻めの人。
昭和棋士の花形《55年組》のひとりでタイトル獲得王座1期。現在九段。
記録は《22連勝》。達成は1986年。
第2回将棋電王戦では唯一の九段として登場。
初戦こそ阿部光瑠四段が勝利したものの2局目で佐藤慎一四段がプロ棋士として初敗北、3局目の船江恒平五段も敗れておりだいぶ厳しい展開となっていた。
事実、一度は敗勢にまで追いこまれ、コメントと解説の雰囲気はかなり重くなってしまっていた。
のだが、
「▲7七玉から入玉を目指されたときは心が折れました。でも……自分から投了はできなかった」
http://news.mynavi.jp/articles/2013/04/17/denousen/003.html泥にまみれた塚田九段が譲れなかったもの -『将棋電王戦』第四局 "棋士の意地"すら超えた、勝負への壮絶な執念 (4) 絶望からの復活 | マイナビニュース
「完全に心が折れていたんですが、コンピュータがおかしな手を指し始めたので、もしかしたら……と」
http://news.mynavi.jp/articles/2013/04/17/denousen/003.html泥にまみれた塚田九段が譲れなかったもの -『将棋電王戦』第四局 "棋士の意地"すら超えた、勝負への壮絶な執念 (4) 絶望からの復活 | マイナビニュース
強き闘志と冷静さを以て引き分けに持ちこんだ。
終局時、塚田九段は目に見えて疲弊していたもののしっかりと受け答えをしており感動した私は彼のすごさを将棋を知らない友人に数時間ほど語った。

塚田泰明九段
塚田泰明|棋士データベース|日本将棋連盟
現在の連続勝数ランキングを見ると最古のものは有吉九段が1984年に建てた20連勝。
2番目に古いのが塚田八段の22連勝である。
この時は彼の名を関した《塚田スペシャル》という攻めに攻めを重ねた戦法を使い《新人王戦準決勝》《新人王戦決勝三番勝負》という大一番が含まれている他、中原誠、米長邦雄、羽生善治、森雞二といった強豪たちとの戦いが含まれている。
トップをとってすぐ神谷八段の28連勝に抜かれてしまった、という逸話がなんとも言えない。
1986年の旋風 塚田泰明と塚田スペシャル - Middle Edge(ミドルエッジ)
4位タイ 羽生善治
強ァァァァァいッ説明不要!! 七冠独占!!! 八王子の英雄!!!
羽生善治だ!!!

毎度おなじみ羽生先生
羽生善治 - Wikipedia
記録は《22連勝》。達成は1992年。
彼は89年以降タイトル戦に絡まなかったことがない。
ということは……この連勝……
戦いのなか……
〝タイトル戦番勝負〟が……含まれているということ……っ!

嘘だろ……そんな人間……いないに決まってる……!
ささにしきさんのツイート: "伊藤開示「最低点未満……!!嘘だ‥‥‥夢だろ‥‥これ‥‥夢に決まってる‥‥‥‥‥!」一条 「カカカ‥‥‥‥!ところがどっこい‥‥‥‥夢じゃありません‥‥‥‥! 現実です‥‥‥! これが現実‥!」 http://t.co/DTVhmfqd7X"
4位タイ 山崎隆之
西の王子とあだ名される関西の強豪。
棋戦優勝回数6回、A級棋士を倒すことはざらであり強いはずなのだがなぜかタイトル戦には絡んでいない。現在八段。
記録は《22連勝》。達成は2002年~2003年。

山崎隆之八段
山崎隆之|棋士データベース|日本将棋連盟
危なっかしくひやひやするような局面でも好んで切りこんでいく積極的な棋風。
定跡にとらわれないことにも定評がある。
将棋斬新、トーク軽快、解説明瞭と揃っているのになぜかタイトル戦には絡んでいない。
名人戦解説中、不意に「(次の一手が)当たらなかったらもう……ね…………矢内さんを諦めます」と聴き手の矢内女流名人を奇襲した。
この攻撃に対して(?)矢内さんは2013年に結婚を発表。相手は山崎八段ではなかった。
その後、将棋イベントで矢内女流に花束を贈呈する機会があったのだが、コメントを求められた山崎八段は「あきらめます!」と奇襲を回収した。
なお山崎八段自身も翌2014年に結婚している。

矢内理絵子女流五段
矢内理絵子|女流棋士データベース|日本将棋連盟
以降のランキングはこちら
7位 有吉道夫 20連勝 1984年達成
8位 羽生善治 18連勝 1987~88年達成
8位タイ 中田宏樹 18連勝 1991年達成
8位タイ 丸山忠久 18連勝 1999年達成
8位タイ 羽生善治 18連勝 2005年達成
8位タイ 永瀬拓矢 18連勝 2010~11年達成