そんな大金を浜田が用意できるわけはなく、当時浜田が不動産関係で世話になっていた小佐野賢治が代わりに用立てて支払った。ところが、その金が実はロッキードから小佐野に流れた金であるとのアメリカ合衆国議会での証言が、アメリカ合衆国で行われ大騒ぎになった。
浜田も言うとおり、ロッキード事件とは直接関係はなかった。しかし、ロッキード事件渦中の小佐野から大金を用立てされている繋がりや、当時の外国為替法に違反し届け出無しで外国に日本円を持ち出して両替した事実(発覚時は公訴時効が成立)なども報じられ、また法律で国民に賭博を禁じている立場の与党国会議員が、脱法的に海外で賭博を行ったことへの道義的非難も受ける。
野党も「浜田問題」を与党追及の柱に掲げたため、まずは党の国民運動本部長を辞任、ついで議員辞職を余儀なくされ、さらにこの年に行われた総選挙へ自民党の公認が得られなかった。
自ら出馬を見送り収入の無くなった浜田は小佐野の不動産会社で真面目に働き、土地の売買等を通じて数年かけて借金を全額小佐野に返済したと語っている。
なぜ4億6000万円という金額になったのか、一体何をしたのかを、テレビ番組で平沢勝栄に問われ、「一度失敗すると500万失くす」ゲーム(バカラ)で損失が膨らんだと答えた。また、当時のことを振り返り、「ラスベガス大学に留学していた」と自嘲し、笑いをさそうことがある。
逸話③ 法相殴打事件
法務大臣をぶん殴る
1984年(昭和59年)9月19日に、自由民主党本部が新左翼の中核派に放火され炎上した。浜田はいち早く駆けつけ消火にあたった。
そこへ当時の法務大臣であった住栄作が酔っ払った状態で現れ、「マッチポンプな真似しやがって」と発言した。それに怒りを感じた浜田は、住を殴りつけてしまった。後に住は発言が不適当だったことを認め、浜田に謝罪した。
1984年(昭和59年)9月20日に、日本テレビのワイドショーにおいて、浜田は「(自民党本部放火事件の)責任はだれにあるというかというと、泳がしていた我々にあると思いますよ。『中核派』を泳がしていた。やっぱり法律違反で破壊するものを泳がした。そういう一つの政策の誤りがあるんじゃないですか」と「過激派の泳がせ政策」を認めている。
逸話④ 「宮本顕治人殺し」発言
「人殺し」発言
1988年(昭和63年)2月6日、衆議院予算委員会で質疑に立った日本共産党の正森成二議員が、「過激派への政府の対応は、泳がせ政策ではないか」との趣旨の発言をし、竹下登首相が「泳がせ政策などをとったことはない」と答弁したことに対し、正森が「浜田委員長も過去、ワイドショーで共産党と同じ意見を述べていた」と発言した。
当時の衆院予算委員長だった浜田は、共産党と自分の意見の違いを見せようと思い咄嗟に「我が党は旧来より、終戦直後より、殺人者である宮本顕治君を国政の中に参加せしめるような状況をつくり出したときから、日本共産党に対しては最大の懸念を持ち、最大の闘争理念を持ってまいりました」と、過激派と宮本率いる共産党をあたかも同一視しようとしたため、正森は激昂したが、このとき浜田は正森の言う「泳がせ政策」発言を肯定したため、正森は対決を避け、他の質問に移った。
その後終了間際、正森が円ドル為替問題の質疑中であったが、唐突に浜田が
「昭和八年十二月二十四日、宮本顕治ほか数名により、当時の財政部長小畑達夫を股間に……針金で絞め、リンチで殺した。このことだけは的確に申し上げておきますからね」
「私が言っているのは、ミヤザワケンジ君(宮本顕治の誤り)が人を殺したと言っただけじゃないですか。」
と発言(日本共産党スパイ査問事件を指す)。正森が発言の撤回を求めて抗議し、委員会室は一時騒然となった。
NHK総合テレビでこの国会中継の審議の模様が生中継されており、自分の意見と共産党の意見は違うと印象づけるための、中継放送の終了時間を逆算した確信的発言であると浜田本人は述べている。
この時、浜田を予算委員長に推薦した金丸信の妻・悦子は「バカ!あんたなんか死んじゃえばいいんだ」と号泣した。浜田は、自分の首と議事録削除阻止を狙っていたが、結局委員長を辞任した。NHKはこの模様を時間の関係上途中で打ち切って「大草原の小さな家」を再放送したことに対し、同局には苦情の電話が殺到した。
後に、正森議員と国会の廊下ですれ違った際に「俺の首を獲りやがって」と発言したが目は笑っていたという。
ハマコー語録
ハマコー節の数々
浜田幸一 - Wikipedia