野上弥生子「秀吉と利休」 1964年の課題図書

野上弥生子「秀吉と利休」 1964年の課題図書

今や複雑な関係であることを多くの人が知っている豊臣秀吉と千利休。文壇で最初にその関係を克明にしたのは野上弥生子「秀吉と利休」であったとされている。明治に生まれ昭和を眺め続けた女流作家、野上弥生子ほどの人物はもう出ないとまで言われている。


1960年代

 1960年代の課題図書となると流石に知らない名前、作品が大半を占めている。それでも61年には貝塚茂樹がいて住井すゑ「橋のない川」がある。「橋のない川」は60年代から70年代にかけて第6部までははっきりと刊行されているが、61年の課題図書となっているのは1部と2部。
 63年に入るとガガーリンらの記録が出てくる。諸説あるが「地球は青かった」と言えばだいたいの人が連想するガガーリン。彼の有人宇宙飛行は1961年のことだった。

ユーリイ・ガガーリン

ユーリイ・ガガーリン - Wikipedia

 1964年に入ってようやくなじみのある名前が現れた。
 野上弥生子。課題図書作品は「秀吉と利休」である。

豊臣秀吉と千利休

千利休の功罪。

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 秀吉について多くの説明は不要であろう。信長の配下からのしあがり、草履取りから天下人になったという逸話、その柔軟な視点と戦術、戦略の巧みさ、読みが当たった時の強かさは抜群のものがあったようである。
 その代償とでも言うのか、中年を超え晩年に向かっていくと行動に怪しさが出てくる。秀次を屠ったこと、大陸に向かったこと、人事、言動。
 これらは一応理屈をつけようと思えばつけられるものであり、野心の持ち主として見ればそうおかしな行動でもないはずなのだが、天下人となった後の信長や秀吉というものは覇者というより王者を目指していた傾向があり、すると野心むき出しの挑戦はいささか手段と目的を見誤っている感が否めない。
 ……というのは後世の人間だからできる後出しじゃんけんというもので、実際これらの試みが一定以上の戦果を上げていたら秀吉こそ見事な天下人よという評価が当たり前になっていたのかもしれない。例えば家康をはじめとした臣下幕僚というものがもうちょっと秀吉寄りの存在であったならば割合うまくいっていたのではないだろうか。このあたりのことをうまくやるのも天下人の義務と言われればそうなのだが。

絵を見ただけでわかる人も多いだろう 豊臣秀吉

豊臣秀吉 - Wikipedia

 秀吉の議論を呼ぶ行動のひとつが《利休切腹》である。
 茶人として信長、秀吉に仕えていた利休宗易は1591年、突如として切腹を言い渡され京都で果てた。
 この利休、ただの茶人であるかとは言えず、助命を願って多くの大名が嘆願を提出している。いざ切腹という段階に入ると、利休奪還を防ぐために上杉景勝の軍勢が屋敷を囲んだというのだから異様である。
 そういう状況にするだけの事情もあるにはあった。大名というのは武人、軍団の人間としてはトップクラスだが文化人としてそうとは限らない。謡、舞、和歌などでは誰かを師と仰いでいることも珍しいことではなかった。むしろ信長秀吉あたりはこうした文化を好んでいた形跡がある。これは茶も例外ではなかった。
 天下人が好むものには追随するのが出世のコツというものだろう。気が付けば多くの大名が利休を師と仰ぐようになっていた。彼らが一丸となったらちょっと天下が揺らぐ。

 利休はただの茶人ではなかったし、秀吉もただならぬものを利休に見ていた。
 このあたりのことは今や珍しい見解ではなく、「花の慶次」をはじめとした少年漫画にもそれっぽい演出が見られるが、文壇で最初にこれを考察したのが野上弥生子「秀吉と利休」であったのである。

「花の慶次」においても千利休はけっこうなインパクトを持って登場する。この作品にインパクトの薄い人物もあまりいないが。

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野上弥生子とは誰か

秀吉と利休 (中公文庫)

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 野上弥生子は1885年、大分県で生まれた作家である。大分県には今でもフンドーキン醤油という会社があるが、野上弥生子は創業者小手川金次郎の姪である。
 家族の実業家的現実感覚がそうさせたのか野上自身に一家言あったのかはわからないが、野上は14歳で東京の明治女学校に入学する。
 夏目漱石「三四郎」に登場する美禰子がかなり衝撃的であったこの時代、野上も周囲に似たような印象を与えていたのかもしれない。それは本人も自覚していたかもしれず、野上は後に聡明な女子が昭和初期を鋭く眺め行動する小説「真知子」を執筆している。

真知子(新潮文庫)

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 「三四郎」の話をだしたが、美禰子のモデルと言えば平塚らいてう(雷鳥)だというのが定説である。雷鳥は婦人運動の第一人者として歴史の教科書に載っていたりするが、彼女は1886年生まれなので野上と同世代である。
 彼女たちは後に新日本婦人の会で合流するが、メインとなっていたのはやはり平塚で野上は名こそ連ねているものの一歩引いたところにいる印象を受ける。というのも、野上は戦後すぐの時分に新日本文学会の賛助会員として参加するのだがすぐ抜けてしまうのである。中心人物らとの交流自体は続いており、へたな友人よりかは仲が良かったようである。ただ野上は、見識と教養が尋常ではない女性である。感覚色が濃い人物とともに行動、活動をするということは負担に繋がりやすかったのだろう。

平塚も1971年まで生きていたのだが、なんとなくえらい昔の人だというイメージを持ってしまっている。

表記が移り変わることに定評のある平塚らいてう

平塚らいてう - Wikipedia

 野上は隠者を気取っていたわけではない。問われれば鋭く簡潔に答えたし、生涯旺盛に作品を執筆し続けた。
 見識と教養が豊富である。作品と人を視る眼が確かである。社会と一線と引いているが隠者ではない。出しゃばりでもない。これらのバランスが絶妙なのが野上の最大の魅力だったのかもしれない。

 1985年、彼女は100歳を待たずして惜しまれながら世を去った。

野上弥生子

野上弥生子 - Wikipedia

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