パシフィックパーク茅ヶ崎
パシフィックパーク茅ヶ崎は、1960年代後半から1980年代後半にかけて神奈川県茅ヶ崎市に存在したリゾート施設。メインはホテルで正式名称は「パシフィックホテル茅ヶ崎」、通称「パシフィックホテル」「パーク」とも呼ばれていました。茅ヶ崎駅からは少し遠いのですが、国道134号を挟んで湘南の海がすぐそこのリゾートでした。

パシフィックパーク茅ヶ崎

パシフィックパーク茅ヶ崎

1970年の空撮
ウェブ地図
フロア・施設
メインのホテルの客室数の数はたったの44室でした。しかし、駐車場は3,000台という事で日帰りでリゾート施設を楽しむという人が多かったのではないでしょうか。
本館の施設
本館 | 施設 |
11階 | スカイバー マーブル |
10階 | スカイレストラン サファイヤ |
9-5階 | 客室 |
3階 | 中国料理 一閣、宴会場(日の出の間) |
2階 | フロント、宴会場(ピンクシェル、富士の間、高砂の間) |
1階 | 和風レストラン 古都、ティールーム&レストラン フローレンス、ブティック puti |
別館の施設
別館の2階はボウリング場と駐車場、そして1階では海でのマリンレジャーができるようサーフィンやジェットスキーなどで遊べる施設がそろっていました。
別館 | 施設 |
2階 | ボウリング場(26レーン) |
1階 | 駐車場(3,000台)、レンタル ウィンドサーフィン、ジェットスキー |
設計は建築家の「菊竹清訓」氏
【パシフィックパーク茅ヶ崎】を設計したのは、建築家の中では有名な「菊竹清訓」氏です。1970年の日本万国博覧会(大阪万博)では『エキスポタワー』や、1975年の沖縄国際海洋博覧会(沖縄海洋博)では『アクアポリス』など多くの博覧会などでも活躍した方です。

エキスポタワー
エキスポタワー - Wikipedia
共同オーナー「上原謙」「加山雄三」「岩倉具憲」
俳優の上原謙と加山雄三らが共同オーナーで始まったこのリゾートホテルは、開業当初は著名人が多数訪れたことで有名になりました。

上原謙
しかし1970年ホテルを所有・運営していた企業「株式会社パシフィックジャパン」が倒産。ホテルは売却され、その後ホテルは休業・再開を繰り返していたが、営業不振で1988年に完全廃業となってしまいました。
映画作品にも登場!
映画『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』でも登場!
1968年の特撮映画「ガメラ対宇宙怪獣バイラス」では、茅ヶ崎が舞台です。【パシフィックパーク茅ヶ崎】もロケ地として使用されたり、舞台背景として特撮ミニチュアも登場しています。

ガメラ対宇宙怪獣バイラス

映画での「パシフィックパーク茅ヶ崎」
音楽業界への影響も大きかった。
加山雄三さんがオーナーだったという事もありますが、茅ヶ崎で生まれ育ったミュージシャンを中心に大きな影響がありました。ホテルのプールサイドでのバンド演奏したり当時は、サーフィンブームもあり、湘南サウンドが流れていました。
ブレッド&バターの「HOTEL PACIFIC ホテルパシフィック」
茅ヶ崎出身のフォークソング・グループ、兄弟デュオの「ブレッド&バター」が「HOTEL PACIFIC ホテルパシフィック」は1981年発売。
そして、サザンオールスターズの「HOTEL PACIFIC」
2000年にサザンオールスターズから「HOTEL PACIFIC」の曲名でリリース、大ヒットして当時このホテルに宿泊してみたいという人が多かったそうですが、すでにホテルは取り壊されていました。
その後、かつて「パシフィックホテル茅ヶ崎」の共同経営者でもあった加山雄三によるカヴァーもされており、アルバム「若大将・湘南FOREVER」に「HOTEL PACIFICメドレー」として収録されてます。
まとめ・関連記事
開業が1965年で閉業が1988年と昔の話ですが、今でも音楽や映画の影響で思い出す人も多いのではないでしょうか。日本には他にも様々な娯楽施設がありました。関連記事を集めてみました。
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