 
  	2015年のフランク・シナトラ最新アルバムジャケットの表紙
 
  	これが鉗子(かんし)です。
プロ歌手へ
 
  	「ホーボーケン・フォア」時代のシナトラ(右端/ 1935年)
シナトラが世界初のアイドル??
1940年には、やはり人気のあったトロンボーン奏者トミー・ドーシーオーケストラに引き抜かれ移籍して大活躍、10代の女性を中心にシナトラへの人気を決定的なものとした。
音楽的に、リーダーのトミー・ドーシーによる滑らかなトロンボーン・プレイを研究し、自らの歌い回しに取り込み、また、世界で最初にマイクをマイクスタンドから取り外して歌うなど、マイクの特性を熟知し、自らの楽器とした巧みな歌唱テクニックを、既にこの頃から発揮していた。
1941年12月、日本との開戦をきっかけにアメリカも参戦した第二次世界大戦では、国民が兵士として徴兵され、また兵役を自ら志願もした。しかし、シナトラ自身は耳のため兵役不合格となった。その為、アメリカ軍ラジオサービスや慰問部隊の歌手の1人として、アメリカ全土の基地やヨーロッパ各地を回ると同時に、レコードのリリースや映画への出演を続けた。従って、その歌手としてのキャリアが兵役によって中断されることはなかった。
アメリカ全土から若者が戦場に赴いたこの時代、若々しい歌声のシナトラは若い女性たちの代替的恋人とも言うべき存在で、「ボビーソクサー(Bobby Soxer) 『女学生の履く白い足首までのソックスをBobby Socksと言い、それを履いた女学生達をBobby Soxerと言った』のアイドル」にその人気は凄まじいものがあった。劇場での公演では、観客の女性に、興奮のあまり気絶し失禁する者すら出たという。まさにシナトラこそが元祖世界初のアイドルだったのだ。
この頃、多くのスターを抱え、人気の絶頂を誇っていたメトロ・ゴールドウィン・メイヤー (MGM) のミュージカル映画にも(演技はさして巧くないものの歌手としての、才能を見込まれて)多数主演し、後にスタンダード・ナンバーとして記憶される曲を多く歌っている。
とんでもない大物のイイ女たちと、たまらないほど御乱交の毎日??
そんな”アイドル”を女たちが黙って見ている訳がないのは世の常だ。ナンシー・バルバト(幼なじみ)、エヴァ・ガードナー(女優)、ミア・ファロー(女優)、バーバラ・マルクス(マルクス兄弟四男の前妻)という、歴代4人の奥さんがいたが、それは表向きにしかすぎず、浮名を流した有名どころだけでも列挙すると、
マリリン・モンロー(女優。セックスシンボル)
ローレン・バコール(女優。ハンフリー・ボガード未亡人)
キム・ノヴァク(女優)
シャーリー・マクレーン(女優)
ナタリー・ウッド(女優)
ジュリエット・プラウズ(ミュージカル女優)
ジュディ・ガーランド(唯一フられた説濃厚)
ジュディス・キャンベル(別れた後、ジョン・F・ケネディに紹介し、後にケネディの愛人となる)
ちなみにあくまでもうわさにすぎないが、3人目の奥さんにミア・ファローがいるとしたが、シナトラと離婚したミア・ファローは、クラシック指揮者のアンドレ・プレヴィンと結婚し離婚。後に映画作家のウディ・アレンと事実上結婚状態となり子供ももうけるが、どうやらこの頃もシナトラとの関係はズルズル続いていたらしく、ウディ・アレンとの子供は、実はシナトラの子供だったというスキャンダルも噴出している。世間の男どもはさぞかし羨ましかったことだろう!!
 
  	マリリン・モンロー
マフィアとの関係は本当か??
シナトラはその生涯に亘り、イタリア系マフィアとの黒い噂が絶えなかった。実際にマフィアの大物のサム・ジアンカーナやカルロ・ガンビーノ、ラッキー・ルチアーノなどのイタリア系マフィアの歴代の大ボスとの交流があったことが、FBIの資料で公になっており、その資料は合計で2,403ページにも及ぶことから、いかに深く広いつき合いがあったかが判るだろう。
FBIがマフィアの捜査を進めて行くうち、マフィアの歴代ボスや大物幹部が、どいつもこいつもシナトラと繋がりがあったことが判ってきて、その関係の広さに驚いたという逸話すらある。
したがって、シナトラがイタリア系マフィアと深い関係にあったのは事実であり、しかも、このことは「公然の秘密」であったにも関わらず、メディアのインタビューアーがマフィアとの関係を尋ねることはタブーとされていて、実際に尋ねてしまった場合はインタビューは即時中断し、そのインタビュアーは二度とシナトラに対するインタビューはできなかった。
なお、有名なニュースアンカーのウォルター・クロンカイトがインタビュー番組の収録の際、シナトラにマフィアとの関係を尋ねてしまった際には、怒ったシナトラが自らのマネージャーを呼びつけて中座し、インタビューは中止された。その後、シナトラとマネージャー、番組のプロデューサーの話し合いの後に再開し、シナトラより「興業主がマフィアであると知らず同席することはあった」との説明があったそうだ。
 
  	ラッキー・ルチアーノ
特に有名なのは、人気復活から最盛期突入への契機となった『地上より永遠に』への出演のエピソードである。その頃は人気に陰りが見えていたシナトラにとって、このオファーはカムバックの貴重なチャンスであったが、何と直前に女性スキャンダルを起こしてしまっていた。そんな中でこの映画に出演できたのは、困ったシナトラが、マフィアの超大物(サム・ジアンカーナ)に泣きついたためであった。
このエピソードは後に『ゴッドファーザー』でネタにされてしまった。基本的にマフィアとの繋がりは全般的にタブーな話題であったが、この映画でネタにされたことについては特にシナトラは気に入っていなかったらしく、知人が原作者をシナトラに紹介しようとしたところ、「Fuck off(うせろ)!!」と怒鳴ったのは有名な話である。
ジョン・F・ケネディー元大統領とも親交??
また、60年代の人気絶頂期には、あのケネディ元大統領と非常に親しい関係になった。バンドメンバーの一人がケネディの妹と婚約したことが契機であった。
2人の中は当初非常に良く、シナトラはケネディを積極的に支援し、彼のパーティで自ら国歌を歌ったりもした。
しかし、その支援内容はクリーンな範囲にはもちろん留まらなかった。シナトラを通じて、マフィアからの多額の寄付金がケネディに渡り、賄賂による不正選挙の原動力となったほか、マリリン・モンローをはじめとするトップスターが不倫相手として紹介されたりもした。
そもそもマフィアとつながりの深いシナトラと付き合うというだけでも危ないのだが、それに留まらず、このようにブラックな支援をいろいろと受けたことで、ケネディはFBIに目をつけられた。そのため、ケネディ側は大統領当選後にシナトラとマフィア達との関係をすっぱりと切り、あまつさえマフィアの徹底的な取締りを宣言した。
このことでマフィアを完全に怒らせてしまったことが、後にケネディが暗殺された理由なのではないか、という説は、彼の暗殺事件にまつわる陰謀論の中でも最もポピュラーな話しである。
シナトラは、単なる「偉大なシンガー」という枠にさえ留まらない、良きにつけ悪しきつけ、いくつもの顔を持つ複雑で巨大な人物であったのだろう!!。
 
  	シナトラとケネディー
「ザ・ヴォイス(The Voice)」と称されたその卓越した歌唱力!!
では、そろそろシナトラの楽曲について話を戻すことにしよう。シナトラの楽曲は、現在も歌い継がれ、数々の世界的大ヒット曲やゴールドディスクを世に送り出し、その卓越した歌唱力によって「ザ・ヴォイス」と称された。エルヴィス・プレスリーやマイケル・ジャクソンなどと並び、20世紀を代表する歌手の一人であるというべきであろう。
生涯を通じ数多くのミリオンセラーを連発した他、ルイ・アームストロングやアントニオ・カルロス・ジョビン、セリーヌ・ディオンやビング・クロスビーなどの音楽界との大物との競演、競作も数多い。ヒットした曲の多くがスタンダートとして、多くのアーティストにカバーされている。
シナトラの楽曲の中で特に有名な代表曲は夜空に輝く星々の如くあれど、その中でも厳選に厳選をして、5つを下記に示す。
・New York, New York
・Strangers in the Night
・Come Fly with Me
・Something Stupid
・My Way
シナトラの晩年
1997年2月、心臓発作を起こした後は一般及びマスコミの前に姿を見せることはなくなり、自宅での治療に専念した。しかし1998年5月14日にビバリー・ヒルズの自宅でまた心臓発作を起こしウェスト・ハリウッドのセダース・サイナイ・メディカル・センターに運ばれ、そのまま回復することなく永眠した。
シナトラの死は世界各国で大きな衝撃を持って受け止められ、ビル・クリントン大統領がシナトラの死を悼むメッセージを述べたほか、エルトン・ジョンやポール・マッカートニー、マイケル・ジャクソンなど世界各国のアーティストがその死を悼むメッセージを発表した。
またシナトラと縁が深いニューヨークのエンパイア・ステート・ビルディングが弔意を示すために(シナトラの瞳と同じ)青い照明に変えられたほか、同じくシナトラと縁が深いラスベガスのストリップの全ての照明が同じく弔意を示すために10分間完全に消灯された。
1998年5月20日にビバリー・ヒルズのカトリック教会で行われた葬儀には、グレゴリー・ペック、トニー・ベネット、ボブ・ディラン、ライザ・ミネリ、トニー・カーチス、ジル・セント・ジョン、ジャック・ニコルソン、ソフィア・ローレン、カーク・ダグラス、ロバート・ワグナー、ミア・ファロー、ナンシー・レーガンなど、アメリカだけでなくヨーロッパの各界から多数が参列しその死を悼んだ。この参列者の質と量は近頃の芸能人の葬儀ではちょっと考えられない。シナトラという人間がどれだけ慕われていたかを如実に表現するのにうってつけだろう。
 
     
    




