プロレス総選挙2017順位結果発表!&マツド・デラックス的プロレス総選挙!その2外国人ヘビー級編

プロレス総選挙2017順位結果発表!&マツド・デラックス的プロレス総選挙!その2外国人ヘビー級編

WBCの延長で放送時間がゴールデンから一気に深夜番組となってしまった「プロレス総選挙2017」!!こんな結果だったと言うお知らせとマツド・デラックス的にあたしの独断でそれぞれの部門のベスト10を作ってみたわ!これはひとそれぞれ好きな人が違うから皆にも投稿してもらいたいわよ!今回は、前回の「日本人ヘビー級レスラー」に続く「外国人ヘビー級レスラー」よ!!


ブルーザー・ブロディのキャリア(Wikipediaより抜粋)

フリッツ・フォン・エリックにスカウトされ、1973年にヒューストンでプロレスラーとしてデビュー。デビュー時は本名のフランク・グーディッシュをリングネームに活動。1974年8月、彼に先んじてデビューしていたスタン・ハンセンとトライステート地区でタッグチームを結成。同年10月10日にトライステート版のUSタッグ王座を奪取するが、翌1975年7月の陥落後にタッグを解消し、以降はシングルプレイヤーとして活動。1976年7月、ブルーザー・ブロディに改名してニューヨークのWWWFへ参戦。アンドレ・ザ・ジャイアントとも対戦して知名度を高め、メインイベンターとしての地位を築く。1977年にはWWWFとの提携ルートでハンセンが新日本プロレスに来日しているが、ブロディの新日本登場は実現しなかった。WWWFを離れた1977年、ダラス地区に凱旋。1月3日にフリッツ・フォン・エリックを破りNWAアメリカン・ヘビー級王座を獲得する。翌1978年8月25日にはキラー・カール・クラップからテキサス・ブラスナックル王座を奪取。キングコング・ブロディと名乗ってインディアナポリスのWWAにも参戦し、1979年8月4日にディック・ザ・ブルーザーとの「ブルーザー対決」を制してWWA世界ヘビー級王座を奪取した。日本には1979年1月、フリッツ・フォン・エリックの斡旋により全日本プロレスに初来日。ジャイアント馬場に反則負けした以外、負けなしの好成績で帰国。1981年10月にはドリー・ファンク・ジュニアからインターナショナル・ヘビー級王座を奪取。1982年からはスタン・ハンセンと全日本プロレスにてコンビを再結成。「超獣コンビ」とのネーミングが与えられた。ハンセンとのコンビでは年末恒例の世界最強タッグ決定リーグ戦で優勝1回・準優勝2回の戦績を残し、また1984年に新設されたPWF世界タッグ王座でも初代王者となった。1985年3月21日、新日本プロレスへ引き抜かれる形で移籍。アントニオ猪木とは、東京・大阪・札幌・ハワイで7度シングルマッチで対決。同年12月、IWGPタッグリーグ戦にジミー・スヌーカとのタッグで出場するが、宮城県スポーツセンターでの決勝戦出場を、上野駅で仙台への移動のために乗車した東北新幹線から発車直前にスヌーカと一緒に下車した後、そのまま新宿のホテルへ直行し、ボイコットして突然の帰国。新日本プロレスからは、永久追放処分となる。このように、ブロディはブッカーにとって扱いにくいレスラーであり、そのことが後の死につながる。その後、一度は新日本プロレスと和解し、1986年9月に再来日して大阪城ホールにて猪木と、福岡スポーツセンターにて藤波とそれぞれシングルで対決し、11月開幕の'86ジャパンカップ争奪タッグリーグ戦への出場を来日直前にキャンセルし、再び新日本プロレスから永久追放を宣言された。1984年よりビンス・マクマホン・ジュニアの新体制下でスタートしたWWFの全米侵攻への参加も噂され、新日本プロレス移籍時の記者会見でも新WWF王者ハルク・ホーガンへの挑戦をアピールしたが、結局は実現しなかった。1986年5月17日、本拠地WCCWにてリック・ルードを破りTV王座を獲得、これがアメリカ国内での最後のタイトル戴冠となった。1987年10月4日、全日本プロレスに復帰。ジャイアント馬場は当初は来日中止となったリック・フレアーの代役の名前を「X」として公表していなかった。当日の伊勢崎大会のメインイベント終了後にブロディが乱入したことから、「X」はブロディと明らかとなった。同年暮れの世界最強タッグ決定リーグ戦では、タッグマッチながらスタン・ハンセンとの日本における最初で最後の対戦が実現した。1988年3月にはジャンボ鶴田からインターナショナル・ヘビー級王座を奪回。野獣ギミックのキャラクターを守り通したブロディが、この時ばかりはファンや関係者と抱き合って歓びを分かち合った。同年4月19日、鶴田にピンフォール負けを喫し王座転落、3日後の4月22日の川崎市体育館におけるトミー・リッチと組んでの天龍源一郎&阿修羅・原(龍原砲)とのPWF世界タッグ王座戦が日本での最後の試合となった。1988年7月16日、プエルトリコ・バヤモンのバヤモン・スタジアムでのWWCの興行中、レスラー兼ブッカーのホセ・ゴンザレスと口論を起こし、ドレッシング・ルームにて腹部をナイフで刺される。刺し傷が肝臓に達し、翌7月17日、出血多量により死亡。痛み止めのために常用していたアスピリンの副作用により、出血が止まらなかったともいわれている。なお、裁判では、現場に居合わせたレスラー仲間たちが揃って証言を拒否し最終的にホセ・ゴンザレスは正当防衛として無罪判決を得ている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%87%E3%82%A3

ブルーザー・ブロディ - Wikipedia

1位 スタン・ハンセン

「ブレーキの壊れたダンプカー」
「不沈艦」
「テキサスの暴れん坊」

1位 スタン・ハンセン

imgur.com

全日ファン、新日ファンにとってやはり「スタン・ハンセン」は外国人レスラーとして上位にランクインされるのは当然よね!ハンセンによって日本のプロレス界は活性化され、「ラリアート(ラリアット)」がフィニッシュホールドとして流行したのもハンセンの功績だと思うわ!そして、ブロディもそうだったけど、あの入場シーンは鮮烈だったわ!「スペクトラム」の「サンライズ」は彼にピッタリの入場曲よね!

スタン・ハンセンのキャリア(Wikipediaより抜粋)

1973年1月1日、アマリロ地区にてプロレスラーとしてデビュー。同地区では若手時代のジャンボ鶴田やボブ・バックランドとも邂逅した。1974年10月10日にUSタッグ王座を獲得し、初戴冠を果たす。1976年上期にWWWFに登場。同年4月26日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンにて、当時のWWWFヘビー級王者ブルーノ・サンマルチノの首を骨折させた事件、以降はクラッシャー(壊し屋)の烙印を押されたために対戦を嫌われ、アメリカでの活躍の機会は少なくなった。日本初参戦は1975年9月。まだ一介の若手であったが、シリーズ最終戦は蔵前国技館でのダブル・メインを控えたセミファイナル・マッチであった。サンマルチノ戦後の1977年1月、WWWFとの提携ルートで新日本プロレスに初参戦。同年秋の再来日からはシリーズの外国人エースを務め、9月2日に愛知県体育館にてアントニオ猪木のNWFヘビー級王座に初挑戦。1979年のMSGシリーズではアンドレ・ザ・ジャイアントを抑えて猪木と優勝戦を闘い、1980年2月にはウィリー・ウィリアムスが観戦する面前で猪木からNWFヘビー級王座を奪取した。「0.X秒差の逆ラリアート」などのドラマを生み、それまでのメイン・イベンターであったタイガー・ジェット・シンを抜いて新日本プロレスのトップ外国人レスラーとなった。1981年9月には田園コロシアムにおいて、アンドレと伝説として語り継がれる名勝負を産んだ。その圧倒的な強さは当時の実況アナウンサー古舘伊知郎により、「不沈艦」「ブレーキの壊れたダンプカー」などと形容された。1981年には再びニューヨークのWWFに参戦。1981年6月にテリー・ファンクの仲介によってテキサス州ダラスで馬場と会談を持ち、新日本プロレスから全日本プロレスへの移籍を確約。新日本プロレス「第2回MSGタッグ・リーグ戦」の全日程が終了した2日後である、同年12月12日の全日本プロレス「世界最強タッグ決定リーグ戦」横須賀大会にブロディを激励するために現れ、ブロディに対してハンセン本人が直接状況説明をしたと同時に、ハンセンは「明日にはアメリカへ帰る」とコメントしていたが、翌12月13日の蔵前国技館で行われた「世界最強タッグ決定リーグ戦」最終戦にブルーザー・ブロディ&ジミー・スヌーカ組のセコンドとして全日本プロレスに登場した。ハンセンの移籍は秘密裏に行われており、ファンばかりでなく、当時の関係者をも大いに驚かせた。テッド・デビアス、テリー・ゴディらをパートナーに、PWF世界タッグ王座、世界タッグ王座を数回獲得、最強タッグでも優勝を果たした。また天龍とのコンビでも世界タッグ王座を獲得したほか、史上初の最強タッグ全勝優勝を達成した。本国では1985年12月29日、ニュージャージー州イーストラザフォードでリック・マーテルを破りAWA世界ヘビー級王座を奪取。またAWA王座在位中の1986年3月29日には、自身の保持するAWA世界ヘビー級・PWFヘビー級両王座と、インターナショナル・ヘビー級王座を保持する鶴田との間で、日本初となるトリプル・タイトルマッチが実現した。1990年2月10日の新日本プロレス主催・東京ドーム大会では、目玉の一つとなった「新日本vs全日本」の一環として、当時IWGPヘビー級チャンピオンであったベイダーに挑戦。両者リングアウトとなるも、ド迫力の戦いは語り草となった。4月13日の日米レスリングサミットでは、メインイベントでハルク・ホーガンと戦い敗れる。チャンピオン・カーニバルでは1992年と1993年で2連覇を達成した。1990年代後半は衰えたと言われながらも、1998年(w / ベイダー)・1999年(w / 田上明)と、世界最強タッグ決定リーグ戦で2年連続準優勝を果たし、不沈艦健在を見せつけた。両膝の故障が元で2000年11月19日に引退を表明。2001年1月28日、東京ドームでのジャイアント馬場三回忌追悼興行で引退セレモニーが行われた。新日本・全日本の各選手が参列する引退セレモニーもまた異例のことであった。引退後はPWF会長を2007年7月15日まで務め、地元の少年たちにスポーツを教えつつ、悠々自適の人生を送っているという。2010年3月27日には、アリゾナ州フェニックスにて開催されたWWE殿堂の顕彰セレモニーにおいて、殿堂入りを果たしたアントニオ猪木のインダクターを務めた。2016年3月21日放送のRAWにおいて、 ハンセン自身のWWE殿堂入りが発表された。4月2日にテキサス州ダラスのアメリカン・エアラインズ・センターにて行われた式典では、日本とアメリカを股にかけて激闘を展開したベイダーがインダクターを務めた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%B3

スタン・ハンセン - Wikipedia

みなさんいかがだったかしら?「日本人ヘビー級レスラー」に続き、自分の好きなレスラーは入っていたかしら?「プロレス総選挙」を細かく分けていくと意外な選手がランクインするかも知れないわ!あなたもやってみたらどうかしら?次は「マスクマンレスラー」編でお会いしたいわ!

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