声優、大山のぶ代

大山のぶ代
東京都渋谷区出身。血液型はO型。
夫の砂川啓介とは1963年(昭和38年)8月に舞台『孫悟空』での共演で知り合い、翌年に結婚した。NHKの『おかあさんといっしょ』でも共演していたが、お互いに面識はなく会うことはなかったため、楽屋に挨拶に来た砂川を出前のそば屋だと勘違いしたという。その後一緒にドライブに行った際、不良に絡まれている中学生を見つけ、お互い相談もしていないにもかかわらず、とっさに田舎から出てきた夫婦を演じ、その不良に道を尋ねるふりをして、その隙に中学生を逃がしてあげたといい、それをきっかけに結婚を考えるようになったという。また、その際とても丁寧に道を教えてくれたといい「不良とは言え、みんな優しい心を持っているんだと思った」と語っている。
優しさが表情からもにじみ出てくる方ですね♪
テレビアニメキャラクターたち
【1965年】 ハッスルパンチ

ハッスルパンチ
そして放送開始50周年記念企画 想い出のアニメライブラリー
第54集 ハッスルパンチ DVD-BOX デジタルリマスター版が発売されています。
お子さんと一緒に観るのもいいかもしれませんね。
このぬいぐるみがUFOキャッチャーにあったら
やってしまいそうです(笑)
【1965年】 Squiddly Diddly タコのロクちゃん

Squiddly Diddly タコのロクちゃん
その際の映像がなく、どんなアニメなのかわからないのが残念です。
1960年代前半の日本では、国産テレビアニメ黎明期で、ハンナ・バーベラ・プロダクション制作作品を日本語吹き替えしたものが地上波テレビで毎日のように放映されていたそうです!
ほとんどは、高桑慎一郎さんによって日本独自の邦題とコミカルな歌詞の主題歌が付けられローカライズされていました。
1970年代にも東京12チャンネルの『マンガのくに』で繰り返し再放送され、日本の当時の子供たちの多くはハンナ・バーベラ作品を見て育ったといえる。1997年に日本進出したカートゥーン ネットワークでは開局当時のコンテンツの半数近くが旧作の放送に充てられ、2012年現在もBOOMERANG枠で作品を観ることができます。
【1970年】のらくろ

のらくろ
孫もいたよ!アニメ【のらくろ】の変遷 - Middle Edge(ミドルエッジ)
【1972年】ハゼドン

ハゼドン
ハゼドン - Wikipedia
【1980年~90年代】

ドラえもん
ドラえもんと言えばどら焼きですよね!
ちなみに初期のドラえもんは1973年に放送され、その時の声優さんは
1~13回は『富田耕生』さん、14~26回は『野沢雅子』さんでした!
『大山のぶ代』さんは79年にドラえもんがテレビ放送をされてから
80年代~2005年までドラえもんの声優として活躍されています。
ぼくらのドラえもん「大山のぶ代さん」伝説! - Middle Edge(ミドルエッジ)
人形劇キャラクター
【ブーフーウー】ブー

ブーフーウー
西洋の昔話の『三匹の子ぶた』を題材に、その後日談という設定で、メキシコ風の舞台設定に、長兄のブー、次兄のフー、一番下でのウーという3匹の子ぶたと、彼らを食べようとするオオカミの絡むコメディ風の物語。放送の途中でオオカミと子ぶたたちは仲良くなった。また、ユーモラスなゆうれいや、かわいいがわがままなインコのペロちゃんなどの脇役もいました。
円満でいいですね!
そして物語のその後は作らなければ無いお話なのでそのあたりも子供たちにとっては面白かったかもしれませんね。
【ダットくん】ゴンタくん

【ダットくん】ゴンタくん
【とんでけブッチー】ブッチー

とんでけブッチー
【ひょっこりひょうたん島】雷門ゴロ助
いろいろ調べてみたものの。。。
誰がゴロ助なのか全くわからず。
【ミューミューニャーニャー】ブル子さん

ブル子さん
【おかあさんといっしょ】歴代人形劇まとめ【Eテレ】 - NAVER まとめ
【ロボッタン】クマのプー
1961年2月6日から同年12月25日までTBS系列局で放送された、ミュージカル仕立ての着ぐるみ人形劇による子供向け番組。
画像がない!!!!
どんなクマさんなのかすごく気なりますね。
情報求む。。。
【60年代】から【90年代】誰もが知ってるNHK教育テレビの【おかあさんといっしょ】のキャラクターを紹介 - Middle Edge(ミドルエッジ)
ドラえもんと大山のぶ代
ドラえもんの特徴的な声はほぼ地声だが、若い頃は自分の声に対しかなり思い悩んでいたという。結果的にはその声がドラえもん役に繋がることになった。原作者の藤子・F・不二雄に初めて対面したとき、「ドラえもんの声、いかがでしょうか?」とおそるおそる聞いてみると「第 1話を見ましたが、ドラえもんはああいう声をしてたんですね」と言われたそうです。
大山が主演を務めた『ハリスの旋風』で録音監督だった浦上靖夫から、ドラえもんの声をやらないかと誘われ、当時15巻まで出ていた単行本を買って一晩で読んだという。「ぼくドラえもんです」「フフフフフ」、のび太が道具をいたずらにした際に言う「ぼく知〜らない」などの台詞、次回予告の際の「楽しみに待っててね〜」は大山のアドリブだそうです。
原作初期のドラえもんはかなりガサツでぶっきらぼうな口調が多いが、大山は「子供が見るものだから、悪い言葉は使わないようにしよう」という配慮していた。
またドラえもんの一人称が「おれ」だった場合も少なからずあり、「ドラえもんはいつでものび太を見守っているお母さんのような存在だし、未来から来た子守り用ねこ型ロボットなんだから乱暴な言葉は最初からインプットされていないはず」と思ったため、一人称を「ぼく」に統一した。
ドラえもんを演じていた頃、ファンの子供がスタジオに遊びに来た際は忙しい時間を割いて、写真を撮ったり、サインをするなどの気配りをしていたが、度々「ドラえもんいますか?」と電話がかかってきて困った時期もあったという。
自宅には家中に「ドラえもんボックス」という箱に入れてドラえもんグッズがそろっており、1999年に『徹子の部屋』に出演した際は、毎朝自分の声のドラえもん目覚まし時計で起床していると語っていた。お腹の部分に時計が付いたドラえもんの金のブローチをつけていたこともある。ただし目覚まし時計は、降板後に「ドラえもんの卒業」を理由にオークションに出している。
諸事情により企画が通らなかったが、実写版『ドラえもん』でも役に選ばれていた。
もしこの話が通っていたら実写版ドラえもんはどうなっていたんでしょうね。
『ドラえもん』降板の際のインタビューに対し、「ドラえもんはいつも私の中にいます。勿論、新しいドラえもんも観ますよ」と笑顔で語っていた。
また日本テレビ『欽ちゃんの全日本仮装大賞』の審査員を務めた際には、子供の出場者が出ると「ぼく、ドラえもんです」とドラえもんの声で挨拶をするのがお約束だった。
私が子供のころから大山のぶ代さんの声でドラえもんを観ていたので
ドラえもんに対する大山さんの思いや優しさを知り、心が温かくなりました。