イアン・アンダーソンの横顔
リーダーのイアン・アンダーソン
リーダーのアンダーソンは、スコットランドはダンファームリン出身。地元の美術学校時代に知り合ったジョン・エヴァンズ(Key)やグレン・コーニック(B)らと共にブルース・バンドを結成し活動を始める。
1967年にバンド、ジェスロタルを結成。翌年アルバムデビューを果たす。デビュー時から独自の世界観を貫いており、セールス面でも英米ともに成功を収めて、1970年代を中心に熱烈な支持を集めた。
ジェスロタル結成直後の躍進
1967年の結成の後、ブルース・バンドの経歴を持つイアン・アンダーソンとグレン・コーニックを中心に結成。翌年にアルバム「日曜日の印象」でデビュー。このアルバムは、全英10位にチャートインし、その年「メ
ロディ・メーカー」誌の人気投票で、ビートルズに次ぐ第2位を獲得。注目を浴びる。結成当時のラインナップは、イアン・アンダーソン(ボーカルとフルート)、ミック・エイブラハムズ(ギター)、グレン・コーニック(ベース)、クライヴ・バンカー(ドラムス)の4人。結成当時はイアン・アンダーソンに並んでミック・エイブラハムズの影響力も大きく、ブルース・ロック色の濃いサウンドだった。しかしブルース・ロックのジャンルに留まらないいジャズ的要素や、英国伝統のサウンドを織り込み、一種泥臭い音造りをしており、いわゆる並みの英国白人系ブルース・ロック・バンドとは一線を画する。
早くも軌道に乗り 円熟さを帯びる
1968年のデビュー・アルバム「日曜日の印象」リリース直後に、ギターのエイブラハムズが脱退。しかしローリング・ストーンズが製作したTVショー「ロックンロール・サーカス」への出演が決まっていたため、ブラック・サバスのギタリストであるトニー・アイオミを引き抜き、一夜限りの「ロックンロール・サーカス」収録を乗り切る。この後、ギタリストとしてマーティン・バーレが加入。1969年のセカンド・アルバム「スタンド・アップ」をリリースする。ブルース以外にも音楽性を大きく拡大させたこのアルバムは全英第1位となる。中でもバロック音楽巨匠バッハの楽曲をジャズ風ににアレンジしたインスト曲「ブーレ」は名曲として注目を集めた。
いわゆるブリティッシュ・ロックの顔
続く1970年、「ベネフィット」はアメリカでも11位とヒットを記録し、さらに脚光を浴びた。この時期、同じレコード会社に所属するバンドだったトラフィック、テン・イヤーズ・アフター、プロコル・ハルムなどと共に世界におけるブリティッシュ・ロックのポジションを確立させた。その後グレン・コーニックが脱退するが、バンドは文学的な気品とリリシズムを毒々しいユーモアと演奏上のテクニックを駆使し、独自のプログレッシヴ・ロックサウンドで人気を拡大していく。それは、1971年の「アクアラング」からこの方向性が顕著となる。同アルバムは英米両国のアルバム・チャートでトップ10入りを果たし、アメリカ・ツアーも大成功を収めた。
アルバム一枚が一曲
その後1971年にはクライヴ・バンカーの脱退するが、バリモア・バーロウの加入を経て、1972年の「ジェラルドの汚れなき世界」をレコード両面で一曲のアルバムをリリース。ついで1973年のアルバム「パッション・プレイ」でも全体が一曲という大胆な大作で全米1位を獲得するまでになる。テクニックや創造的な面でグループの実力派あったが、結成10年を経過する頃からメンバーが流動化した。1979年、アルバム「ストームウォッチ〜北海油田の謎」発表後のツアーにフェアポート・コンヴェンションのデイヴ・ペグが参加して、ペグは1990年代中期までジェスロ・タルの正式メンバーとなる。1980年代以降〜活動停止した。
再結成の足跡
ハンガリー・ブダペスト公演 (2006年)1980年、イアン・アンダーソンはキング・クリムゾンのエディ・ジョブソンらと共に初のソロ・アルバムを制作しようとするが、最終的にはジェスロ・タル名義のアルバム「A」としてリリースされた。
ライブ中心のロック・バンドに
2003年、クリスマス・アルバム「ジェスロタルのクリスマスアルバム」をリリース。これ以降、新たなスタジオ・アルバムの発表が途絶え、ライブを中心に活動。スイスのレマン湖畔で毎年開催されるジャズ祭「モントルー・ジャズ・フェスティバル」の常連ともなり、精力的にライブ活動を続ける。
2011年、バンド活動が事実上の停止。2014年にはイアン・アンダーソンその人が、バンドの無期限活動停止を公表した。
「ジェスロ・タル」を巡るエピソード
バンド名の由来
「ジェスロ・タル」というバンド名は、18世紀イギリスの農学者の実名に由来している。当時彼らはロンドンの複数のクラブに出演していたが、必ず1回で仕事を打ち切られて継続的に出演の予約を取るのが難しかったため、次々に名前を変えて別のバンドのふりをすることで食いつないでいたという。バンド名はエージェントの思いつきで決められていたが、あるとき歴史マニアのエージェントが農学者の名前にちなんで「ジェスロ・タル」と命名した。たまたまこのバンド名で出演していた時に、クラブの支配人に気に入られて継続出演が決まったため、それ以降も同名で通すようになり定着した。
何故ロックで、フルート?
イアンは当初ギタリストでありながら、プロデューサーの意向でミック・エイブラハムズをギターヒーローに祭り上げるためにギターを横取りされた。何とかミックからスポットライトを奪おうと、ギター以外の楽器を持つことを思い立つ。そこで楽器屋に行き、最初はバイオリンを購入するつもりだったのだがフルートが目に付き、店員に「バイオリンとフルート、どっちが簡単かな?」と聞いたところ「フルート」と言う返事が返ってきたので急遽購入する楽器をフルートに選んだ。
イアンの交友関係
元ディープ・パープルのリッチー・ブラックモアとの交友関係があり、ブラックモアズ・ナイトのデビューアルバム「シャドウ・オブ・ザ・ムーン」において、フルート奏者としてゲスト参加。そのリッチーは以前から、イアンの実績を高く評価をしており、共演となった。
音楽スタイル
イアン・アンダーソンが楽曲制作やヴォーカリスト、またギターやフルートなどの演奏もこなし、ジェスロ・タルの中心的な役割を果たしている。特に、フルートは彼の代名詞でもあり、ジェスロ・タルの音楽世界を巧みに演出する効果もあった。そしてあの有名な狂気のフルート一本足奏法(フラミンゴ奏法)がこのバンドの演奏スタイルを特化したものにしている。
サウンド上の演出
アメリカのジャズ・フルート奏者:ローランド・カークに影響を受けたイアン・アンダーソンのフルート。パントマイム劇を取り入れたライヴが好評。幻想的なサウンドや複雑なコンセプトを持ったアルバム作りなどから、本人たちの意思とは無関係に、プログレッシブ・ロックのジャンルに括られることが多い。
音づくり
中世ヨーロッパ、中でも英国の中世を彷彿とさせる幻想的なサウンドを得意とする。トラッド・ミュージックや民謡などにも傾倒しており、その音楽性はジェスロ・タルのサウンドの独自性に顕著に表れている。
グラミー賞の皮肉
ジェスロタルは、ヘビーメタルバンドか?
1989年にグラミー賞ベストヘビーロック/ヘビーメタル部門が新設された。そして数あるヘビーロック/ヘビーメタルのバンドがある中、何故かジェスロ・タルのアルバム「クレスト・オブ・ア・ネイヴ」がノミネートされ、対抗候補だったメタリカ「メタル・ジャスティス」をかわして受賞し、物議を醸した事がある。当のイアン・アンダーソンも「アルバムは上出来だったが、これがヘビーロックでもヘビメタルであるとは自分も思わない」と、受賞が意図不明だった説明をしている。