クロード・マケレレ
1973年2月18日生まれ。コンゴ民主共和国(旧ザイール)キンシャサ出身。
サッカー元フランス代表。
【個人データ】
身長:170cm
体重:66kg
ポジション:MF (DH)
利き足:右足

フランス代表時代のマケレレ
守備的MFでプレーし、危険察知能力に長け、上質なポジショニングでチームを救った。運動量も豊富で小柄ながらボールを奪うプレーも秀逸であった。
中盤の底のポジションはマケレレのポジションとして「マケレレロール(Makélélé Role)」と呼ばれることもある。
守備の達人とされる。

ハードマークでボールを奪取!
【所属クラブ】
1990-1991年 :ムラン、ブレスト
1991-1992年:ナントB
1991-1997年:ナント
1997-1998年:マルセイユ
1998-2000年:セルタ
2000-2003年:レアル・マドリード
2003-2008年:チェルシー
2008-2011年:パリ・サンジェルマン

レアル・マドリード時代
プレー動画
ネット上の評価

マケレレのフランス代表ユニフォーム
クラブでの活躍
クロード・マケレレ - フレッシュアイペディア
2000年にはレアル・マドリードへ移籍し、超攻撃的サッカーを標榜するスター集団の中において、中盤の守備を担うハードワーカーとして活躍し、2001-02シーズンにはチャンピオンズリーグの制覇に貢献。当時のチームメイトから「彼こそ、俺たちのバロンドールだ」という、最大級の賛辞が送られた。
その後も攻撃的な選手陣の中で中盤の底を支えた守備で大貢献するが、2002-03シーズン終了後、給料の問題などもありレアル・マドリードを退団した。
それからのレアル・マドリードは失点が増加。それまでマケレレへの依存度が高かったことが露呈し、彼を評価できなかったペレス会長には批判が浴びせられた。

チェルシーで同僚のアレックスと
2008年7月にパリ・サンジェルマンFC(PSG)がマケレレを獲得。同時にキャプテンにも就任した。2010-11シーズン終了後に現役を引退。

パリ・サンジェルマンFC(PSG)時代
フランス代表での活躍
フランスU-21代表に1995年から選出され、翌1996年にはA代表に選出。
2002年、フランス代表は日韓W杯に出場するが、マケレレは出場機会に恵まれず、FWの不調や大黒柱ジダンの故障も響きグループリーグで敗退。
EURO2004以降は代表から遠ざかっていたが、2006年ドイツW杯の欧州予選でフランス代表が予選で苦戦を強いられ、敗退の危機に。ドメネク監督の希望によりジダン、リリアン・テュラムとともに代表に復帰し、見事土壇場からの予選通過に貢献した。
2006年5月15日、本選出場メンバーに選ばれ決勝戦まで進んだが、PK戦の末に準優勝に終わる。
W杯終了後、地元のTV局のインタビューで、代表引退を明言。

フランス代表時代
しかし、ユーロ2008の予選でもドメネク監督に招集され、当時マケレレの所属したチェルシーFCのモウリーニョ監督を巻き込み騒動となった。
EURO2008本大会にも招集されたものの、チームはグループリーグ敗退。改めて代表引退を発表した。代表引退の記者会見の席で、フランス代表としてはメジャーなタイトルを得られなかったことについては「フランス代表のユニフォームを着ることができたことが、私のトロフィーだ」と語った。
フランス代表では70試合に出場した。