ロベカルことロベルト・カルロス
本名はロベルト・カルロス・ダ・シウバ・ローシャ。
1973年4月10日生まれ。ブラジル・サンパウロ州出身。
元ブラジル代表のDF。
現役時代は世界最高の左サイドバックと賞賛されると共に、歴代最高の左サイドバックとも評される1人。
果敢な攻撃参加によりサイドバックの概念を変えた選手。
ロベカルことロベルト・カルロス
身長は168cm、体重70kg。
利き足は左。
愛称はロベカル、悪魔の左足、風小僧。
ロベカルがサッカーを始めたのは13歳。驚くべきことに、それまでサッカーボールを蹴ったことすらなかったという。
家が貧しかったため、幼少期から家庭を支えていたロベカル。自宅から20kmのところにある繊維工場までいつも走って通っていた(学校への距離も10数kmあったが、走って通学していた)。強烈なフリーキックの基となる脚力はこの頃に培われたのかも知れない。
1996年のアトランタ五輪で日本が勝利した「マイアミの奇跡」の一戦にも出場していた!
1996年の夏に行われたアトランタオリンピックのサッカーグループリーグで、ブラジル代表は、前園真聖や城彰二、中田英寿、川口能活のいた日本代表と対戦した。
意外にもオリンピックでの金メダルを手にしたことのないブラジルは、この大会から認められたオーバーエイジ枠をフル活用し、ベベット、リバウド、アウダイールといったA代表のレギュラーを揃え、本気モードで日本と対戦した。
また、23歳以下の選手に限ってみてもロベカルはじめ、怪物ロナウド、ジュニーニョ・パウリスタ、サヴィオ、フラビオ・コンセイソンといったすでにA代表で活躍している若手選手が多く選ばれていた。
一方の日本代表はオーバーエイジを使用せず、23歳以下の若手で出場。下馬評では圧倒的にブラジル優位の試合とされていた。
ブラジル代表リバウドを取り囲む日本の選手達
ベベト、サヴィオ、ジュニーニョらの技巧と、リバウド、ロベルト・カルロスらの破壊力を織り交ぜた4-4-2のフォーメーションで試合に臨んだブラジル代表。試合は予想通り、圧倒的なブラジルペースで進んでいった。
しかし、GK川口の超ファインセーブもあり、次々と日本のゴールへと襲い掛かってくるブラジル代表の攻撃陣の波状攻撃を何とかしのいでいた。
すると、後半27分にブラジルDFとGKの間に飛んだ路木龍次からの山なりのボールが、相手のミスを誘った。ブラジル代表の選手同士が衝突し、ゴール前へとこぼれたボールを伊東輝悦が決めた。
この試合、ロベカルは縦横無尽に動き回り、得意の強烈なフリーキックをみせるなどするが、ゴールは生み出せなかった。
キーパーも動けない強烈なフリーキック!まさに悪魔の左足!!
≪他にもある破壊力抜群のフリーキック動画≫
ロベカルことロベルト・カルロスが教えるフリーキックの蹴り方
「UEFA.com」動画内で、ロベカルのインタビューがある。そこで彼はフリーキックにおけるコツを話している。
ポイントは3つ。
まずはボールの置き方を工夫するというもの。ボールのもっとも硬い部分である空気穴を手前にしてボールを置くことが重要で、そうすると強いシュートが撃ち易くなる。
次はボールの蹴り方。インサイドから蹴るパターン、アウトサイドから蹴るパターン、そしてゴールに向けてまっすぐ蹴るパターンと3つに分類した上で、「足をボールにこするように当てて、小指、薬指、中指を引っ掛けてキックする」そう。それが彼自身の得意な蹴り方だという。
最後は狙ったところにボールを当てる練習をすること。Tシャツをゴールバーに引っかけて当てる。命中したら位置をずらしてまた狙う。その練習を毎日続ける。それが大事だと述べている。
「UEFA.com」動画の1シーン
ブラジル代表へ14年間に渡り選出!!
1992年2月26日、アメリカ代表との国際親善試合でブラジル代表デビュー。以来、125試合出場で24得点を記録。
1998 FIFAワールドカップフランス大会では7試合全試合に出場。続く、2002 FIFAワールドカップ南米予選ではパラグアイ代表のゴールキーパー・チラベルトから顔に唾を吐きかけられた。チラベルトはこの件で国際サッカー連盟から3試合出場停止処分を受けたが、この行為に至った経緯に人種差別発言があったことを示していた。