プロ野球が生んだ流行語:メークドラマ・新人類・鉄人・イチロー・がんばろうKOBEほか

プロ野球が生んだ流行語:メークドラマ・新人類・鉄人・イチロー・がんばろうKOBEほか

流行語大賞は、その年に流行った言葉などから選ばれますが、その中でも、プロ野球から生まれた流行語を振り返ってみましょう。


『メークドラマ』(1996年の流行語大賞) 奇跡の逆転V。第二次長嶋巨人が首位広島から最大10ゲーム差を覆し優勝を果たした伝説。

7月6日には首位との差が11.5ゲームとなり、逆転優勝は無理かと思われた。

しかし、7月中旬から驚異的な快進撃を見せる長嶋巨人。

7月16日、中日戦の試合前にホームラン20号を達成した松井に期待し、メークドラマ発言をした。

長嶋茂雄監督のメークドラマ発言「松井が40本打つようなミラクルが起こる。2年越しのメークドラマが実現するでしょう」

1996年7月16日、ホームラン20号を達成した松井選手。この時から逆転勝利にかけるメークドラマが始まった。

10月6日の対中日ドラゴンズ25回戦(ナゴヤ球場。これが同球場での最後の公式戦であった)で勝利し、巨人のリーグ優勝が決まった。11.5ゲーム差をひっくり返し、ここに「メークドラマ」が完成した。

奇跡の逆転優勝!「メークドラマ」が完成

巨人のメークドラマを目に焼き付け、悔し涙に暮れた男達は…時を経た今、その多くが同じベンチやファームで選手達を見守っている。

このとき、メークドラマの屈辱を味わった男たちが、今の強い広島カープを支えている。

「ファンの皆さま本当に日本一、おめでとうございます」(2001年語録賞)(ヤクルト・若松勉)

場内は大爆笑に包まれて和やかなムードになる。

本当は「ファンの皆様、ありがとうございます」と言うつもりだった。

若松勉監督「ファンの皆様、本当にあの〜、あの…、おめでとうございます」 

「新人類」(1986年流行語部門・金賞)(西武・清原和博、工藤公康、渡辺久信)

1年目から一軍に定着し、快速球とフォークを武器に3年目の1986年は最多勝、最多奪三振の二冠となった。

1988年、1990年も最多勝となるなど、東尾修・工藤公康・郭泰源・松沼博久らとともに西武黄金時代の柱としてチームを支えた。

オシャレなエース「渡辺久信」

西武黄金時代の柱としてチームを支えた。

1985年からは本格的に先発に転向した。この年は8勝3敗ながら、初タイトルとなる最優秀防御率を獲得。

1986年はプロ初となる2桁勝利となる11勝を挙げた。また完投数も10を記録した。日本シリーズでは西武が第1戦を引き分けた後3連敗で迎えた第5戦の延長12回、投手である工藤がサヨナラ安打を記録した。その後西武は息を吹き返し4連勝で日本一。1勝2Sを挙げた工藤はシリーズMVPに選ばれた。

1987年は15勝を挙げたほか、シーズン最多の23完投を記録し、2度目となる最優秀防御率、最高勝率とベストナインのタイトルも合わせて獲得。しかし、この年のMVPは優勝争いの後半戦に9勝1敗と活躍した東尾修が選出された。

それでも、この年の日本シリーズでは巨人相手に1完封を含む2勝1Sで前年に続き2年連続MVPを受賞し、名実共にパリーグを代表する左投手となる。

アイドル顔負けの人気を誇った「工藤公康」

西武・工藤公康&渡辺久信のバブル時代。ダブルエースの二人。

西武・工藤公康&渡辺久信のバブル時代の思い出「週の半分は六本木とか都心に行っていた」

3番打者を務めていた秋山幸二(あきやま こうじ)と4番打者の清原和博(きよはら かずひろ)の2人をまとめて指す通称。

数多くのアベックホームランなど、森祇晶監督指揮下の常勝軍団とさえ呼ばれる時代を支えた。バークレオ(1988年在籍)、デストラーデ(1989年 - 1991年在籍)を加えたクリーンナップは、それぞれAKB砲、AKD砲とも言われた。

秋山幸二と清原和博の「AK砲」(AKほう)

1986年、監督が広岡達朗から森祇晶に交代。開幕を5番で迎えるが、ジョージ・ブコビッチの不振により4番の座を任される。

秋山幸二選手は、1986年の日本シリーズでは史上唯一の第8戦で有名な「バック宙ホームイン」を披露する。

オリエンタル・エクスプレスという通称の由来となった最速158km/h(プロ入り後の最速は156km/h)の速球。
落合博満は「郭泰源の投球は野茂英雄よりもすごいと思った」と語っている。

三冠王・落合博満が手も足も出なかった、台湾人・郭泰源

「鉄人」(1987年特別賞)(広島・衣笠祥雄)

「鉄人」(1987年特別賞)(広島・衣笠祥雄)

カープ黄金時代のヒーロー!鉄人・衣笠祥雄選手

1987(昭和62)年6月22日、中曽根康弘首相(右)からプロ野球・広島の「鉄人」衣笠祥雄選手に国民栄誉賞が贈られた(左は正子夫人)。

「昭和生まれの明治男」(1990年) 村田兆時・淑子夫妻(元ロッテオリオンズ)

そのダイナミックな投球フォームは、「マサカリ投法」と呼ばれていた。

1983年も一向に肘の症状が改善されないため、渡米しスポーツ医学の権威であるフランク・ジョーブの執刀の下、左腕の腱を右肘に移植する手術(トミー・ジョン手術)を受けた。

以降2年間をリハビリに費やし、1984年シーズン終盤に復帰する。

翌1985年、開幕から11連勝を挙げるという鮮烈な復活劇を見せ、最終的に17勝5敗の成績でカムバック賞を受賞。

前年に続くロッテのリーグ2位に貢献した。この年の開幕からの11連戦11連勝記録はプロ野球記録である。

1990年、10勝をマークし、10度目の二桁勝利を挙げる。若林忠志以来史上2人目となる40歳代での二桁勝利を記録し、同年に現役引退した。

「昭和生まれの明治男」(1990年) 村田兆時・淑子夫妻(元ロッテオリオンズ) 「人生先発完投」を座右の銘とし、先発完投にこだわった村田の武骨な野球人生は「昭和生まれの明治男」と呼ばれた。

『イチロー(効果)』(1994年の流行語大賞)

2軍生活の中でイチローは、1993年の秋に2軍打撃コーチの河村健一郎と二人三脚で、日本時代のイチローの代名詞ともなる「振り子打法」を作り上げた。

1994年、公式戦開幕直前の4月7日、登録名を本名「鈴木一朗」から「イチロー」に変更(オープン戦は「鈴木一朗」登録)。

『イチロー(効果)』(1994年の流行語大賞)

最終的にはパシフィック・リーグ新記録となる打率.385(2000年に自ら記録を更新.387)を残して首位打者を獲得。そのほかにも最高出塁率・ベストナイン・ゴールデングラブ賞・正力松太郎賞を獲得し、打者としては日本プロ野球史上最年少でシーズンMVPを獲得した。

プロ野球史上初のシーズン200安打を達成したオリックス・ブルーウェーブのイチロー(1994年)

視力は0.4程度だがコンタクトレンズは使用しておらず、ボールを点や線でなく立体的にとらえているという。

すごすぎる。

2000年、野手としては日本人初のメジャーリーガーとなった「イチロー」。

がんばろうKOBE(1995年の流行語大賞)(オリックス・仰木彬監督)

1995年、阪神・淡路大震災の年に監督としてオリックスをリーグ優勝に導き、被災者に大きな勇気と希望を与えた 故 仰木彬氏。

「がんばろうKOBE」を合言葉に、市民とチームが一丸となって戦った95年。オリックスは快進撃を繰り広げリーグ優勝を果たす。

復興への思いが団結心を生んだ。

NOMO(1995年の流行語大賞)

1990年4月10日の西武ライオンズ戦でプロ初登板。その後勝利の付かない試合が続くが、4月29日のオリックス戦で日本タイ記録(当時)の1試合17奪三振を記録し、完投でプロ初勝利を挙げた。

同年は新人ながら最多勝利・最優秀防御率・最多奪三振・最高勝率と投手四冠を独占したほか、ベストナイン・新人王・沢村栄治賞・MVPにも輝き、パ・リーグの投手が沢村賞の選考対象となったのは1989年からで、野茂はパ・リーグからの受賞第1号となった(2010年までに新人王と沢村賞を権藤博・堀内恒夫・上原浩治が、木田勇が新人王とMVPのダブル受賞を果たしているが、新人王・沢村賞・MVPをトリプル受賞したのは野茂だけである。ただし木田は、当時の沢村賞の選定がセ・リーグのみだったため受賞対象者ではなかった)。

奪三振に関してはシーズン2桁奪三振試合21回、5試合連続2桁奪三振(当時)、三振奪取率10.99(パ・リーグ最高記録)など従来の記録を次々に更新し、「ドクターK」の異名に違わぬ活躍を見せる。

近鉄バファローズ時代の野茂英雄「ドクターK」 (1990年 - 1994年)

「Nomo(野茂)が投げれば大丈夫」の歌詞は街でよく聴かれ、ブームにもなった。

大きく振りかぶってから背中を打者に向ける独特の投法は「トルネード投法」と呼ばれ、真上から振り下ろすオーバースローから平均球速86-90mph(約138-145km/h)、NPBでの最速151km/hの伸びのあるフォーシームと77-82mph(約124-132km/h)のフォークボールを武器とした。

速球は基本的にフォーシームだったが、左打者には時折カット・ファストボールを交えた。2000年代に入るとカーブ、スライダー、ツーシームなども交えるようになり、引退前の2008年にはワインドアップを封印し技巧派となった。

NOMO(ロサンゼルス・ドジャース時代・1995年の流行語大賞) 日米で『NOMOマニア』という言葉が生まれる程の人気を誇った。

ハマの大魔神(1998年の流行語大賞)(横浜・佐々木主浩)

1994年はキャンプ時に肘を故障し手術前半戦を棒に振る、その間抑え投手の座を盛田に譲った。夏場に一軍復帰してからは再び抑えになり、9月18日の広島戦で7者連続三振を記録している。

この当時、サンケイスポーツの巨人担当記者が佐々木を(敵チームから見て)「悪魔の守護神」を略した「魔神」と表現する。

また、佐々木の風貌が大映の劇中のキャラクター、「大魔神」に似ていることも相まり、「ハマの大魔神」というあだ名が定着した。

1998年は日本シリーズでも第6戦で金村義明を併殺打に打ち取って胴上げ投手となり、MVPをはじめ、正力松太郎賞、日本プロスポーツ大賞を受賞。シーズンオフにはイチローとともにプロ野球史上初めて年俸5億円に達した。また「ハマの大魔神」はこの年の新語・流行語大賞を受賞するなど、社会現象となるほどの活躍を見せた。

ハマの大魔神(1998年の流行語大賞)(横浜・佐々木主浩)

雑草魂・リベンジ(1999年の流行語大賞)

99年大賞「リベンジ」(西武・松坂大輔) 99年大賞「雑草魂」(巨人・上原浩治)

1999年は毎週日曜日に登板するというローテーションが組まれていたため、「サンデー上原」と呼ばれた。前半戦で新人では37年ぶりの12勝を挙げるなど5月30日から9月21日まで、歴代4位タイとなる15連勝を記録。新人投手の記録としては1966年に堀内恒夫が記録した13連勝を33年ぶりに更新する。

両リーグを通じて1990年の斎藤雅樹以来9年ぶり、新人投手としては1980年の木田勇以来19年ぶりの20勝投手となった。

最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率の投手主要4部門を制し、史上10人目、新人としては史上3人目の投手4冠を達成。

また、新人王と沢村賞も受賞する。自分自身を雑草に喩えた「雑草魂」という言葉は(鈴木啓示の座右の銘「草魂」より)、松坂大輔の「リベンジ」と共に1999年の流行語大賞に選ばれた。

読売ジャイアンツ・上原浩治 「サンデー上原」と呼ばれた。自分自身を雑草に喩えた「雑草魂」。

4月27日の対ロッテ戦で再び黒木と投げ合い、1-0でプロ初完封を記録し見事にリベンジを果たした。

松坂大輔は1999年4月21日の対ロッテ戦では黒木知宏と投げ合い、0-2で敗北したが、その後に「リベンジします」と宣言した。

川崎劇場(1991年の金賞) 金田正一(元ロッテオリオンズ監督) テレビじゃ見れない川崎劇場。

1988年(昭和63年)
近鉄バファローズがリーグ優勝のマジックを「2」として迎えた大一番のロッテとのダブルヘッダー、いわゆる「10.19」である。

熱戦にスタンドは溢れ返り、右翼場外のマンションには通路や階段、屋上にまで鈴なりの人垣ができた他、売店の飲食物や飲食店の食材も試合半ばで底を突いた。

近鉄は第1試合に勝ったものの第2試合は引き分けに終わり、西武ライオンズがリーグ4連覇を果たした。この10.19には普段川崎を訪れない観客も多く訪れ、テレビやラジオでも生中継で全国放送された。

1990年シーズンの川崎球場のスコアボードは「10.19」を経て少し美しくなっていた

親分(1993年の金賞) 日本ハムの監督・大沢啓二

「親分」の愛称で親しまれ、ユーモアあふれる言動で人気を集めた名物監督でファンからも慕われた。

親分(1993年の大衆語部門・金賞) 日本ハムの監督・大沢啓二

大沢啓二監督はサングラスを掛けた貫禄のある容貌、親分肌の性格とべらんめぇ口調から、「親分」のニックネームで親しまれた。

江本いわく「パットン戦車のような勢いで」大沢がマウンドにやってきて「おい、若僧、うちのものにいきなりぶつけるとはどういう料簡してやがるんだ、この野郎!!」と猛然と怒鳴りつけた。

大沢啓二 (ロッテオリオンズ監督)親分は、当時南海ホークスのエースだった江本孟紀がいきなりオリオンズの先頭打者にデッドボールを食らわせたことに激怒

あやうく暴力乱闘というところ、キャッチャー兼監督の野村が間に入って事なきを得た。

江本と大沢はこれ以降、大沢の死に至るまで親しくなり、江本が舌禍事件で現役を引退したときも「エモ、もったいないぞ。もっと野球せえや」と現役続行をアドバイスしたという。

江本孟紀も負けじと「先頭バッターにわざわざぶつけるアホがどこにいるんや、このボケ!!」と激しくやり返す。

FA(フリーエージェント)(1993年)

1993年12月、40歳になったばかりの落合博満はFAで巨人入りを果たした

フリーエージェント(free agent, FA)とは、いずれの球団とも選手契約を締結できる権利をもつ選手のこと。フリーエージェントとなることができる権利を「フリーエージェント(FA)権」、選手がFA権を行使することを「FA宣言」という。 日本野球機構(NPB)組織のいずれの球団とも選手契約を締結できる「国内FA」と、外国のいかなるプロ野球組織の球団も含め、国内外のいずれの球団とも選手契約を締結できる「海外FA」の2種類がある。 「国内FA」権を取得するには原則として8シーズン、「海外FA」権を取得するには9シーズンの出場選手登録日数が必要である。 また、一度FA権を行使して球団と契約した選手は出場選手登録が4シーズンに達したときに「海外FA」となる資格を取得する。 選手はFA宣言したうえで移籍せずに前所属球団と契約することもできる。FA移籍が成立した場合、一定の条件下で移籍先球団から移籍元球団へ金銭補償や人的補償が必要になる場合がある。 現行制度では、外国人を除く年俸上位11位以下の選手(Cランク)のFA移籍においては補償は不要である。 日本におけるFA制度は1993年のオフに導入され、2003年、2008年に改正が行われた。なお、この制度の前身として1947年から1975年まで10年選手制度があった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%88_(%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%97%E3%83%AD%E9%87%8E%E7%90%83)

フリーエージェント (日本プロ野球) - Wikipedia

その他のプロ野球がらみの流行語

2009年から野球日本代表の総称となったフレーズ。
原辰徳の指揮の下、イチロー・城島・青木・松坂・小笠原・岩隈・福留・ダルビッシュ・山口鉄・田中将・阿部・稲葉・川崎・岩村・村田・藤川・和田毅・杉内・内川ら新旧スターが終結した日本代表は見事WBC連覇を成し遂げた。

侍ジャパン(2009年)

育成選手上がりの読売ジャイアンツ・松本哲也選手が新人王を獲得し、優勝を果たしたことからノミネート。

育成選手(2009年) 読売ジャイアンツ・松本哲也選手

2013年に日本ハム・ファイターズへ入団した超大物ルーキーの「大谷翔平」が投手と野手の両方でプレーすることを表した言葉。

二刀流(2013年) 超怪物の日本ハム・ファイターズ・大谷翔平選手

カープ女子が増えた背景には、球団の施策に加え、チームカラーが女性が好む赤であること、もともと団結力が強いカープファンの仲間として一体感を味わえることなどが挙げられている。

カープ女子(2014年)

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