三度の離婚も…最近は中性化してしまった辻仁成

2008年ごろから次第に中性化を指摘されるように。「時代は絶対、中性ですよ。めちゃかっこいい中性的なおじいさんを目指します」との宣言も飛び出し、ロングヘアにイメージチェンジ。時には化粧をすることもあり、世間を驚かせた辻仁成。
三度の離婚を経験

南果歩
最初に結婚した一般人女性と離婚した辻仁成は、1995年に今度は女優の「南果歩」と再婚します。同年、男児を授かり順風満帆かと思われた結婚生活でしたが、長く続くことはなく、2000年に離婚することになりました。

中山美穂
2002年には、元アイドルで女優の中山美穂と3度目の結婚をしますが、2014年に離婚が成立。2004年に生まれた息子の親権は父親の辻仁成に渡りました。
とはいえ音楽に文学…才能豊かな「辻仁成」とは

1959年10月4日、東京で生まれた辻仁成。1981年にロック・バンド「エコーズ」を結成し、ボーカル&ギターを担当。また作詞・作曲のほとんども手掛けました。1992年、バンド解散後はソロ活動を始めます。
一方、1989年には、小説「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞。小説家としても華々しいデビューを飾ります。
そのため、ミュージシャン活動と作家活動では名前の読み方が変わるのも特徴。本名は「仁成」(ひとなり)で、ミュージシャンや映画監督の場合は「じんせい」、作家活動の場合は「ひとなり」になります。
80年代は自身のバンド「エコーズ」で大活躍

エコーズのメンバーは、辻仁成(vo、g)今川勉(ds)、伊藤浩樹(g)、伊黒俊彦(b)の4人。当時は、ブラックジーンズにブーツ、バンダナが辻のお馴染みのファッション・スタイルでした。
1985年の1stアルバム『WELCOME TO THE LOST CHILD CLUB』や86年『No Kidding』などで高い評価を獲得していきました。
当時、ニューウェーブと呼ばれる音楽の流れをくむバンド、「エコー&ザ・バニーメン」や「U2」といった洋楽のテイストを積極的に取り入れた音作りが話題に。また、後に小説家として成功をおさめる片鱗が垣間見れるいじめ、家庭崩壊をテーマにした重くシニカルな歌詞に加え、時に散文詩的で若者に熱く語り掛けるようなメッセージ色の強い歌詞も熱狂的なファンを多く生み出しました。
さらに、1989年のシングル「ZOO」(1988年に川村かおりに提供した曲のセルフカバー)がヒットし、世間の認知度も上がっていきました。
WELCOME TO THE LOST CHILD CLUB(1985年4月21日発売)
1stアルバム「WELCOME TO THE LOST CHILD CLUB」は、当時としては斬新なコンセプトだったと言える、社会とのつながりを見いだせない、ひきこもりの子供たちを主役にした現代ではありがちな時代を先取りした内容のものでした。

HEART EDGE(1986年6月1日発売)
86年リリースの2作目になります。前作より具体的に子供達の声にならない叫びを表現したメッセージ性の強い歌詞が心に突き刺さります。また、すべての曲の作詞・作曲を辻仁成が手がけています。

No Kidding(1986年11月21日発売)
1986年にリリースされたアルバム「No Kidding」は、辻仁成が初めてセルフ・プロデュースに挑戦したことでも注目された作品になります。

Goodbye gentle land(1987年5月21日発売)
1987年にリリースされた「Goodbye gentle land」は、未だにエコーズファンから根強い支持を受けている楽曲が多数あり、ポップかつ美しい旋律の響きが印象に残る一枚です。

HURTS(1988年4月21日発売)
1988年にリリースされたの5作目となるアルバム。美しいメロディに込められたやり場のない孤独感が、多くのファンの心を惹きつけました。

Dear Friend(1989年4月21日)
後に、辻が自ら脚本を担当した2000年のドラマ『愛をください』の主題歌になり、人気が再燃した名曲「ZOO」を含む作品になります。ロック・バンドとしての円熟度が最高潮に達したエコーズがおくる“愛”をテーマとした名盤との呼び声が高い一枚です。

EGGS(1990年4月8日)
エコーズ史上において最高の売り上げを記録したラスト・アルバムになります。この後、活動休止から解散に至ります。

90年代は一転、作家として活躍。芥川賞も

バンド活動と並行して小説を書き始め、1989年に「ピアニシモ」で第13回すばる文学賞を受賞した辻仁成は、見事作家デビューを果たします。1994年には「母なる凪と父なる時化」で芥川賞候補に、「ミラクル」が青少年読書感想文課題図書に演出されるなど作家としても認められていきます。そして、1996年「アンチノイズ」が三島由紀夫賞候補に。
37歳のとき、ついに「海峡の光」で第116回芥川賞(平成8年/1996年下期)を受賞します。当時、芥川賞の選考委員の一人であった作家の宮本輝さんは以下のような評言を残しています。

「海峡の光」
1999年には小説「白仏」の仏語翻訳版 Le Bouddha blancで、フランスの有名な文学賞の一つであるフェミナ賞の外国小説賞を日本人として初めて受賞しました。そんな縁もあってか、2003年に渡仏。以後は生活の拠点をフランスに置いて創作活動を続けることになります。

「白仏」
まとめ
いかがでしたでしょうか。80年代は音楽活動、90年代からは作家として。また、有名女優との二度の離婚と、常に世間に話題をふりまき続ける辻仁成。未だ色褪せないエコーズ時代の歌詞とメロディを久しぶりに味わってみるのも悪くないのかもしれません。