ケイト・ブッシュの生い立ち
ケイト・ブッシュ(Kate Bush)は、1958年7月30日に、ロンドンの医師の娘として生まれました。
本名は、キャサリン・ブッシュといい、ケイトは芸名です。
英国でも、かなり裕福な階級の家庭に育ったケイトは、ピアノが上手だった父親、音楽好きの2人の兄達の影響もあって、非常に音楽好きの女の子に成長し、カトリック系のお嬢様の通う中学校に通う頃には、既に自分で、曲を作ったり、詩を書いたりしていました。
やがて、上流階級の娘たちの通う有名進学高校に進んだ1974年になると、音楽の道へ進路を決めて、高校をスパっと中退して、翌年には兄と一緒にバンドを組んで、自作の楽曲たちをパブなどで歌うようになりました。
そして、この時代に制作したデモテープをピンクフロイドのデヴィッド・ギルモアが聴いて、ケイトはプロデビューのチャンスを掴むのです。
大きなインパクトのデビュー!
ケイトは、デビューが決まってから約1年も準備期間にかけています。
その時期に、パントマイムを教える教室に通って、リンゼイ・ケンプに師事して、本格的にマイムを学んだり、曲作りをより洗練されたものにするために更に勉強をしたりしています。
こうして、満を持した形で、1977年に入ると、デビューアルバムに収める楽曲群の本格的な制作に入りました。
こうして出来上がった1stアルバムが『The Kick Inside』(邦題:「天使と小悪魔」)です。
1978年2月にこのデビューアルバムはリリースされますが、その少し前に、先行デビューシングルとしてリリースした曲が、ケイトが、有名なエミリー・ブロンテの小説『嵐が丘』を描いたテレビドラマに感化されて作ったという『Wuthering Heights』(嵐が丘)でした。
このデビュー曲で、いきなり英国の音楽ファンの度肝を抜く鮮烈なデビューとなりました。
The Kick Inside

The Kick Inside
CDJapan : Kick Inside [Cardboard Sleeve] Kate Bush CD Album
邦題を『天使と小悪魔』というこのケイト・ブッシュのデビューアルバムは1978年の2月にリリースされました。
先行発売され、大ヒットしていた『Wuthering Heights』(嵐が丘)を収めたこのアルバムは、弱冠19歳の女の子のデビューアルバムとは思えないほど完成度もクオリティも高く、作風も独特で、歌唱法も唯一無二の唱法を既に会得していて、デビューアルバムにして英国の音楽シーンに大激震を与えました。
セールス的にも大成功で、全英アルバムチャートで最高3位、40万枚以上の売り上げを記録しました。
この1stアルバムでは、ケイトの才能を見出したピンクフロイドのデヴィッド・ギルモアがプロデューサーも務めています。
【収録曲】
Moving
The Saxophone Song
Strange Phenomena
Kite
The Man with the Child in His Eyes
Wuthering Heights
James and the Cold Gun
Feel It
Oh to Be in Love
L'Amour Looks Something Like You
Them Heavy People
Room for the Life
The Kick Inside
完璧主義者の天才
こうして19歳にして、最大級のインパクトを伴って音楽界に鮮烈にデビューを果たしたケイト・ブッシュは、その勢いに乗って、同じ年、1978年の11月には2ndアルバムとなる『Lionheart』(ライオンハート)をリリースします。
デビューアルバムから、僅か8ヶ月しか間隔が空いていないリリースタイミングでしたが、セールスの方も、全英アルバムチャート6位と、まずまず成功でした。
しかし、ケイト自身は、セカンドアルバムの内容が、自分が納得するものには程遠く、不満で一杯でした。
この時から、自分の作品は、自分で納得できるようになるまで自分の手でプロデュースもする、という完全セルフ方式を志向し始めます。
完璧主義者の天才らしい、作品作りには一切の妥協も許さないスタイルはこの時に出来上がったと言われています。
そして、今度は時間をかけて制作された3rdアルバム『Never for Ever』(邦題:「魔物語」)では、ジョン・ケリーとともに、初めてプロデュースまで、ケイト自身が行いました。
アルバムは納得のいく出来となり、セールスも全英アルバムチャートで初めての1位を獲得しました。
Never for Ever

Never for Ever
Gaffaweb - Kate Bush - The Sensual World: The Music - Never For Ever
1980年9月にリリースされたケイト・ブッシュ3枚目となるオリジナル・スタジオアルバム。
前作(2ndアルバム)の出来に不満が残っていたケイトが初めて自らプロデュースまで手掛けた(ジョン・ケリーとの共同プロデュース)記念すべき作品です。
売上の方も大成功で、ケイト自身初となる全英アルバムチャートの1位を獲得。
これは、イギリスの女性ソロアーティストが、英国アルバムチャートで史上初の1位を獲得という
記録にも残る1位となりました。
【収録曲】
Babooshka
Delius (Song of Summer)
Blow Away (For Bill)
All We Ever Look For
Egypt
The Wedding List
Violin
The Infant Kiss
Night Scented Stock
Army Dreamers
Breathing
The Dreaming

The Dreaming
1982年9月にリリースされた、ケイト・ブッシュ4枚目となるアルバムがこの『The Dreaming』です。
完全主義者の天才である彼女が、初めて、全て自分の手で作った単独プロデュースアルバムとなります。
つまり、自作自演の極み、作詞作曲編曲多くの楽器演奏、歌唱、録音工程におけるミキシング作業、プロデュース、そしてダンスやパントマイムなどのパフォーマンス構成まで、オールケイト・ブッシュという作品です。
この作品は、世界の音楽界全体にとってもかなり衝撃的作品で、1982年のこの時代で既に、デジタル・サンプリングを多用して効果的に使用、更に36トラックのMTRを2台コラボさせ、72トラックもの多重レコーディングを行っています。
これは時代を考慮すれば、何年も先取りしたような、ぶっとんだ先鋭的なことで、リスナーよりも、むしろ当時の同業者のアーティストやバンドに大きなショックをあたえた作品と言われています。
セールス的には、全英アルバムチャート3位とまずまずの成功を収めました。
【収録曲】
Sat in Your Lap
There Goes a Tenner
Pull Out the Pin
Suspended in Gaffa
Leave It Open
The Dreaming
Night of the Swallow
All the Love
Houdini
Get Out of My House
ケイト・ブッシュ絶頂時代
1982年にリリースした初の単独セルフプロデュースアルバムである『The Dreaming』のあまりにも先進的でディープな作品作りを披露し世の中の度肝を抜いたケイト・ブッシュでしたが、更に自分が納得できる制作環境にする必要を感じて、遂には、自宅にレコーディングスタジオそのものを作ってしまいます(笑)。
セールス的には、全英3位というそこそこの商業的成功の『The Dreaming』でしたが、英国をはじめ、アメリカで活躍する多くのトップアーティストたちに、音楽的に衝撃と影響を与えました。
それほど、優れた先進性を持ったアルバムだったのです。
なので、ケイトの次のアルバム制作の動向には世界中の(特に同業者の)熱い視線が注がれていましたが、完全主義者のケイトは、自作を制作するのにたっぷり3年の歳月をかけてしまい、リリースする頃には、注目も薄れていました(笑)。
そんなこんなで、1980年代も半ばを過ぎた1985年にリリースされたケイト5枚目となるアルバムが『HOUNDS OF LOVE』です。
このアルバムによって、英国ではスペシャルな存在だったケイト・ブッシュが遂にアメリカでも大いに知られるところになります。
HOUNDS OF LOVE

HOUNDS OF LOVE
Hounds of Love - Wikipedia, the free encyclopedia
3年の制作期間をかけて、1985年にリリースされたケイト・ブッシュ5枚目のアルバムです。
「次元を超えた愛」をテーマに掲げ、様々な形の楽曲集として仕上げられたこのアルバムは、前衛的で先進的だった前作(『The Dreaming』)の路線は踏襲して更に突き詰めつつ、もう少し柔らかくかみ砕いてポップでとっつきやすく作っています。
セールス的には、ケイト・ブッシュのアルバムで「最も商業的に成功した作品」と呼ばれ、英国ではもちろん、アメリカをはじめ世界中の国々で大きなセールスを記録しました。
【収録曲】
Running Up That Hill (A Deal With God)
Hounds Of Love
The Big Sky
Mother Stands For Comfort
Cloudbusting
And Dream Of Sheep
Under Ice
Waking The Witch
Watching You Without Me
Jig Of Life
Hello Earth
The Morning Fog
円熟期に様々な活躍、その後は、長い活動休止期へ
5thアルバム『Hounds Of Love』の世界規模での商業的成功によって、ケイト・ブッシュは、世界でもトップクラスの知名度のアーティストに成長しました。
その後、1986年には、自身初のベストアルバム『The Whole Story』を発表。
日本をはじめ、まだケイトをよく知らなかった人たちにも売れて、改めて世界への名刺代わりとなりました。
また、この時期は、色んな同業アーティストや様々な他の分野のアーティストや人物などとも盛んに交流していた時期で、共同で仕事(コラボ)したアーティストも、ピーター・ゲイブリエルや、ロイ・ハーパーなど、プログレ界のカリスマたちなど錚々たる顔ぶれでした。
その後もケイトは、1989年10月には、6枚目のアルバム『The Sensual World』(全英2位、全米43位)、
1993年には、『The Red Shoes』(全英2位、全米28位)と、相変わらずクオリティの高いアルバムをリリースして安定したセールスも記録しますが、その後は、長い活動休止とも呼ぶべき期間に入ってしまいました。
活動再開、現在でも教祖的な人気を誇るケイト・ブッシュ
結局、ケイト・ブッシュの活動休止は、2005年11月に8枚目のアルバム『Aerial』をリリースするまで、12年ほど、続きましたが、その理由の一つには、1998年に誕生した長男アルバートとの幼少期の生活を共にするためでした。
しかし、これほどのブランクが空いても、世界中で熱心な多数のファンを持つケイトには問題ではなかったようで、『Aerial』は、全英2位、全米48位をはじめ、全世界の主要国で軒並みトップ10に入るセールスを記録、健在ぶりをアピールしました。
そして、また6年ほどブランクが空いた2011年には『DIRECTOR'S CUT』(全英2位、全米36位)、その年の11月には、全くの新作だけの10thアルバム『50 Words For Snow』(全英5位、全米83位)とまた精力的にリリースを続け、2012年のロンドン五輪閉会式のセレモニーでも代表曲である『Running Up That Hill 』が採用されるなど、またまたケイト・ブッシュブームが巻き起こりました。
2013年4月には、大英帝国勲章を受章。
現在も、精力的に楽曲制作に勤しんでいる天才の今後も楽しみです。