Poisonができるまで
ポイズン(Poison)というロックバンドを覚えていますか??
1980年代の中盤から後半にかけて、当時隆盛を極めていたいわゆるLAメタルシーンに登場し、いきなり大人気となり次々とヒットを飛ばした、ド派手なお祭り屋的なバンドのことです。
Poisonの発祥は、1983年ペンシルバニア州のハリスバーグという町で、ヴォーカルのブレット・マイケルズと、ドラム担当のリッキー・ロケット、ベース担当のボビー・ダルとで結成した「Paris」なる田舎バンドが起源となります。
その後にギタリストとして、マット・スミスを加え4人編成のロックバンドとして地元の田舎町のバーなどで演奏していましたが、翌1984年に勝負をかけて、バンドはロサンゼルスに移り住みました。
このロサンゼルス移住を機に、バンド名も「Paris」から「Poison」へと改名しました。
ロスでチャンスを得る機会を窺っていましたが、現実はなかなか厳しく、鳴かず飛ばずの生活のうちに、翌年の1985年には、ギターのマット・スミスが結婚して子供ができたのをキッカケに、バンドを脱退して、ペンシルバニアに帰ってしまいます。
バンドはまだ売れもしないうちからギタリストを失うという座礁寸前の状態に追い込まれますが、何とかマットに代わる次のギタリストを探そうと、バンドはオーディションを行いました。
そのオーディションで後任ギタリストに決まったのが、後のPoisonの看板とも言うべき存在になるC・C・デヴィルでした。
C・C・デヴィルという新戦力を得たPoisonは、エニグマレコードと契約することに成功しました。
そして、翌年の1986年には、デビューアルバム『Look What the Cat Dragged In』でめでたくメジャーデビューを飾ることになるのです。
Look What the Cat Dragged In

Look What the Cat Dragged In
Poison - Look What The Cat Dragged In - Progboard
1986年5月リリースのPoisonのデビューアルバム。
ハチャメチャで楽しくて覚えやすくて簡単なPoison流ロックンロールは、このデビューアルバムから既に健在です。
デビュー作にして、全米のアルバムチャート最高位3位を記録するという上々のキャリアスタートを果たしています。
【収録曲】
01. Cry Tough
02. I Want Action
03. I Won't Forget You
04. Play Dirty
05. Look What the Cat Dragged In
06. Talk Dirty to Me
07. Want Some, Need Some
08. Blame It on You
09. #1 Bad Boy
10. Let Me Go to the Show
Poison、大ブレイク!!
こうして、ペンシルバニアの田舎町からLAに出て、多少の辛酸苦節を舐めながらも、何とかメジャーデビューに漕ぎ着けたPoisonは、そのデビューアルバムが全米アルバムチャートで3位を記録するというセールスの成功を手に入れ、順調なスタートを切りました。
デビューアルバムの商業的成功と比例して彼らの全米での知名度も、俄かにアップしてゆき、MTVにおけるヘビーローテーション曲に採用されたりして、巷で一気に人気が高まっていきました。
この機運に乗じて、イケイケ全開で制作されたのが、2ndアルバムとなる『Open Up and Say...Ahh!』(邦題は「初めての***AHH!」(笑))です。
このアルバムは秀作で、Poisonらしいお祭りロックンロールの佳作揃いで、彼らの世界にどっぷり浸れます。
飛ぶ鳥を落とす勢いの機に乗じて1988年にリリースされたこの2ndアルバムは、全米のみならず世界中で売れまくり、世界では800万枚を超えるビッグセールスのアルバムとなり、Poisonは大ブレイクを果たしました。
Open Up and Say...Ahh!

Open Up & Say Ahh
名実ともに、Poisonのブレイクスルーポイントとなった2ndアルバム。
ノリが良く、キャッチーな秀曲ばかりで、多くの曲がシングルカットされ、そのいずれもがビッグセールスを記録しました。
アルバムも、全米アルバムチャートで最高2位を記録し、日本はじめ他の国々でも大ヒット。
世界中で、累計で800万枚を超える大ヒットアルバムとなり、Poisonはセールス面ではLAメタルバンドの中でも指折りの存在まで上り詰めていきました。
【収録曲】
1. Love on the Rocks
2. Nothin' but a Good Time
3. Back to the Rocking Horse
4. Good Love
5. Tearin' Down the Walls
6. Look but You Can't Touch
7. Fallen Angel
8. Every Rose Has Its Thorn
9. Your Mama Don't Dance
10. Bad to Be Good
11. Livin' for the Minute
Poison絶頂へ!!
このように2ndアルバム『Open Up and Say...Ahh!』の全世界で800万枚以上のビッグセールスという大成功を収めたPoisonは、今やアメリカを代表するLAメタルバンドにまで成長しました。
2ndアルバムリリース時期ぐらいまでは、元ヴァンヘイレンのデイブ・リー・ロスの前座としてツアーを回っていたPoisonでしたが、『Open Up and Say...Ahh!』の大ヒットによって、単独でもワールドツアーが組める存在に急成長し、この時期は、日本にもツアーで来日し、武道館で2days公演を行っています。
そんな絶頂期の1990年にリリースされた3rdアルバムが『Flesh & Blood』でした。
ちょうどこの時期、スーパースターの仲間入りを果たしていたPoisonは、ドニントンで行われていた『モンスターズ・オブ・ロック』への出演も果たしています。
Flesh & Blood

Flesh & Blood
Amazon.co.jp: Poison : Flesh & Blood - ミュージック
Poison絶頂時代の1990年にリリースされたこの3rdアルバム『 Flesh & Blood』(邦題タイトルは、「今夜ケモノのように」(笑))は、大ブレイクを果たしてビッグネームになって以降のアルバムということもあり、発売と同時に当然のように売れました。
全米アルバムチャートでは前作同様最高位2位まで上がっていき、もうPoisonの存在を知らない人はいないレベルにまで売れに売れた時期でした。
【収録曲】
1 Strange Days Of Uncle Jack
2 Valley Of Lost Souls
3 (Flesh And Blood) Sacrifice
4 Swampjuice (Soul-O)
5 Unskinny Bop
6 Let It Play
7 Life Goes On
8 Come Hell Or High Water
9 Ride The Wind
10 Don't Give Up An Inch
11 Something To Believe In
12 Ball And Chain
13 Life Loves A Tragedy
14 Poor Boy Blues
内紛・急降下
3rdアルバム『Flesh & Blood』も全米アルバムチャート2位と順調に売れ、人気も揺るぎないものとなっていたPoisonは、翌1991年11月には、初のライヴアルバムとなる『 Swallow This Live』もリリースしました。
しかし、このころから、ギターでバンドの主要メンバーであったデヴィルが深刻なドラッグ依存状態になってしまい、しまいには、楽屋で、ヴォーカルのブレット・マイケルズと殴り合いの乱闘騒ぎを起こすなどして、バンド内は滅茶苦茶になり、遂に、バンドはデヴィルを解雇しました。
後任のギタリストには、リッチー・コッツェンが加入しました。
しかし、リッチーを擁して制作された4枚目のスタジオアルバム『Native Tongue』の出来はあまり良いとは言えず、セールスの方も何とか100万枚売ったとはいえ、全米アルバムチャート最高位16位というPoisonとしてはまったく芳しくない結果に終わってしまいました。
更に、悪いことに、この後、リッチーは、ドラムのリッキー・ロケットの恋人を奪うという騒動を起こし、他のメンバーとの内紛が勃発。
結局、リッチー・コッツェンも解雇され、後任にはブルース・サラセノが収まるという内紛、ゴタゴタが続き、それに比例するように、バンドはどんどん落ちぶれていきました。
重なる不幸、不運を乗り越えて再起へ
悪いことは続くもので、こうして、バンドが内紛やゴタゴタでどんどんダメになっていく最中の、1994年の5月、Poisonは新作のレコーディングの最中でしたが、ヴォーカルのブレット・マイケルズが愛車のフェラーリを運転していて交通事故を起こしてしまい、重傷を負います。
深刻な後遺症のために、その後長い療養とリハビリの生活に入らねばならず、レコーディングは中断されてしまいました。(結局、この新作は、1996年にリリースしたベストアルバムに組み込まれるという苦肉の策で世に出ました)。
とはいえ、最重要メンバーのマイケルズは、大事故のリハビリに加えて、生まれつき1型糖尿病(先天性の糖尿病)とずっと戦っており、インスリンを打ちながらステージに挑んできて、ステージで昏睡状態となり病院へ運ばれることもたびたびありました。
このような不安材料だらけの中、進退を考えなければならなかった時期の1999年。
バンドにとって朗報がもたらされます。
薬物依存となり、マイケルズとも揉めてPoisonを去っていたC・C・デヴィルがマイケルズと和解。
ドラッグも辞めてすっかり健康となって、バンドに戻ってきたのです。
その直後に行われた全米ツアーは大成功を収めて、Poisonはバンド消滅の最大の危機を乗り切ることができました。
以後、全盛期みたいなヒットは出せないものの、Poisonは精力的にライヴを中心に音楽活動を続けています。
1980年代後半を打ち上げ花火のようにド派手に盛り上げたPoisonの華やかなヴィジュアルとキャッチーな名曲の数々は、今後もあの時代を生きた世界中の人々の記憶の中に生き続けます。

Bret Michaels
ポイズンのブレット・マイケルズが日産USAとコラボ、80'sヒット曲のリメイク曲「Tough Love」のMVを公開 - amass