養命酒のスマホバッテリーが「そのまま」過ぎて笑える!
「養命酒」でお馴染みの養命酒製造が、一風変わったデジタルデバイスを製作し、キャンペーンのプレゼントとしている。
特設ウェブサイトから応募することで、特製スマホバッテリー「養命酒モバイル」もしくは「養命酒タブレット」が抽選でそれぞれ198名、298名に当たるというもの。
このキャンペーンは9月12日まで特設ウェブサイトにて応募を受付中。

Yomeishu mobile(養命酒モバイル)
スマホバッテリーの特徴的な真っ赤なデザイン。
「よく見ると」養命酒のパッケージそのままである(笑)。街中で、オフィスで、電車でこのスマホバッテリーを持っていたら目立つこと間違いなしだ。
「弱ったスマホの「命」をチャージ!」という言葉はなんだかすごそうだが、要するにスマホバッテリーということ。最低一回はフル充電できるのだそう。

Yomeishu mobile(養命酒モバイル)

こちらは「本物」の薬用養命酒
この「養命酒モバイル」をAppleのデザイン担当ジョニー・アイヴ氏のそっくりさんが紹介する動画も用意されている。
下記のユニークな動画で笑えたら、養命酒のように何か効能があるかも知れない。
下記画像、動画が「養命酒タブレット」。
3.3インチ、薄さ10mmという極小サイズ。なんと「食べられるタブレット」である!
養命酒の味わいを養命酒を一切使用せず、妥協なしに再現したタブレット菓子とのことだ。

養命酒タブレット
親が滋養強壮にと飲んでいた「薬用養命酒」
薬酒と聞けば、まず思い浮かべる「薬用養命酒」。
赤い箱に入った独特なダルマ型ボトルと、ラベルに記された古風なロゴタイプ。飲めばほんのりと甘く、かすかにシナモンの香りがする。
子供の頃、親や祖父母が薬用養命酒を飲んでいるのをよく見たなとつい懐かしくなってしまう。
実はこの薬用養命酒、歴史は非常に古く、「慶長」にまで遡る。

養命酒の炭酸割り!
慶長年間、信州伊那郡大草領(現在の長野県上伊那郡中川村大草)に住んでいた庄屋の塩沢宗閑翁が、雪の中で倒れていた旅の老人を助けたことに始まる。
塩沢家に迎え入れて手厚く介抱した。老人は人の情の温かさと伊那谷の風景を気に入って3年間も塩沢家に逗留していたが、塩沢家を去るにあたり、礼として薬用酒の製法を教えてくれたものが養命酒の起源だという。
1602年、「養命酒」の名で製造開始。
1603年には徳川家康に献上され、そのときに「飛龍」の印を使うことが許されたという。日本初の商標ともいわれている。
赤穂浪士が養命酒を飲んでいた記録があるほか、1774年刊行の小説、『異国奇談和荘兵衛』に養命酒が登場している。

老人から霊酒の製法を伝授される塩沢宗閑翁の図。
時は経て、戦後には「週刊少年サンデー」や「週刊少年マガジン」などの少年少女向けの漫画雑誌にも一時、広告を出していた事があったり、自動車のおもちゃなどの付録をつけて児童に向けても販売していた。
アルコールを含み、かつて酒類としても扱われていたことを踏まえると、子供の服用は控えるべきものと言えるが、当時は虚弱体質の子供が多かったため、滋養用によく「養命酒」が飲まれていたからだとされる。
事実、現在の「薬用養命酒」の用法・用量は成人のみと表示されている。