歴代クソゲー1位に選出されたE.T.!アタリは倒産!都市伝説が生まれた!

歴代クソゲー1位に選出されたE.T.!アタリは倒産!都市伝説が生まれた!

伝説のクソゲーE.T. ジ・エクストラ・テレストリアル。80年代にアタリ(ATARI)社から発売。このゲームの大コケが駄目押しとなり、アタリ・ショックが引き起こされたとも。埋立地に大量に廃棄処分されたという都市伝説「ビデオゲームの墓場」も追う!


クソゲー史に名を刻んだゲーム「E.T.」!

伝説のゲーム 「E.T. ジ・エクストラ・テレストリアル」

主人公はご存知 E.T.

クソゲー感が漂う画面

ATARI(アタリ)のゲーム機を思い出す!

米国アタリ社が開発した家庭用ゲーム機「Atari 2600」。
※「E.T. ジ・エクストラ・テレストリアル」は、日本ではAtari 2800での発売。

『ポン』にかわる家庭用ゲーム機として「ステラ」のコードネームで開発が開始された。
資金難から1976年にノーラン・ブッシュネルはワーナー・コミュニケーションズにアタリ社の全株式を売却。翌1977年11月に「Video Computer System」の名で発売された。

それ以前のプログラム固定方式のゲーム機と異なるロムカートリッジによってゲームソフトを供給するプログラム内蔵方式のゲーム機として発売され、『Atari VCS』の通称で親しまれた。

ゲーム機以外の電化製品を思わせる外観!

ATARI 2600

ATARI2800は1977年にアメリカで発売されたATARI2600を日本用にして1983年に発売したもの。
筐体デザインを変更した日本市場向け仕様となっている。
ATARI2600の発売から時間が経過しているが、同スペックでの発売だった。

この年は任天堂から「ファミリーコンピューター(通称:ファミコン)」が7月に発売されている。
任天堂のファミコンの性能は素晴らしく、両機の性能には大きな差があった。

「ハズレ」でした!

ATARI 2800

1983年5月に定価24,800円で発売された。
販売は前述のファミコンの発売と重なり、「次世代機競争」の形で苦戦を強いられた。

しかしながら、当時の雑誌記事では当時参入したばかりのセガ(後のセガゲームス)のSG-1000を抑えてファミコンに次ぐ2位と評価された例もあった。
当時の日本ではまだ欧米偏重の意識が根強く、件の雑誌評価でもアメリカ製という点がアピールされていた。また世界で実績のあるゲームタイトルを短期間で多数用意できたことも利点だった。

しかし、ファミコンが群を抜く別格の高評価だったことには変わりなく、セガやエポック社と違って翌年以降にも後継ハードで対抗するような展開の無かったAtariは、結果的に一年たたずに撤退した。

ゲームソフトは31タイトルを発売、この内の25タイトルが本体と同時発売。
全てAtari 2600用ソフトのコンバージョンで、日本向け専用ソフトは1本も発売されなかった。

ATARI 2800一式

このゲームも「アタリ・ショック」の引き金になったとされている!
※「アタリ・ショック」については後述。

懐かし過ぎるATARIの「パックマン」

アタリの「E.T.」の遊び方

E.T.の体力にも気を使わなければならない。
移動やもしくは特殊行動を取った際に、体力が少しずつ減っていく。
体力回復にはReese's Piecesを食べることがいる。

E.T.は蘇らせ、人数が尽きるまでゲームを続けられる方法は、ライフが残っている場合にE.T.の体力が尽きるとエリオットがE.T.と"融合"するというもの。

E.T.をワシントンD.C.に連れ去ろうとする科学者、E.T.の集めたアイテムを取り上げるFBI捜査官は避けなければならない。
ゲームは数段階の難易度設定を可能にしていて、それによって、敵の数・スピードやゲームクリアのための条件が変更される。

単調なゲームが繰り広げられる!

ゲーム体験者の辛辣な意見!!

雑魚キャラと思ったらE.T.だった!

E.T.大コケの影響がアタリの経営悪化にダメ押し!!

アタリ社の親会社であるワーナー社はアーケードゲーム機よりも家庭用ゲーム機の売り上げを重視していた。

当時の人気アーケードゲーム「スペースインベーダー」がAtari2600に移植されると、その前人気により、在庫がだぶついていたAtari2600は大いに売れ、家庭用ゲーム機部門の汚名は返上されたかに見えた。

しかし、この人気により、新規サードパーティによる粗製濫造ソフトが大量に生産されるようになった。これら粗製濫造されたソフトは多くが発売直後に新品のまま中古市場へ流れ、新品の買い控え現象が発生した。

ちなみにインベーダーの移植を提案したのは、日本でAtari2600の販売を担当していたエポック社であった。

ATARI 2600 「スペースインベーダー」

新品、中古価格の値下がりが起こった。
その原因はソフトの粗製濫造、販売を防止する対策の不備、これら粗製濫造ソフトが中古品として大量に市場に流れ込んだことなどが原因だった。

アメリカの商習慣としてメーカー側が小売店に対し返品、値引き分を補填するというものがあり、小売店の過剰在庫、叩き売りの痛手をアタリ社はもろに受けることになった。

追い打ちをかけるように、ホームコンピューター(後のパソコン)の躍進と低価格化が活発化。
また、対抗機としてマテル社からインテレビジョン(80年)コレコ社からコレコビジョンが発売(82年)されたこと、それを受けてアタリ社自身が後継機としてAtari5200を発売(82年)したことなどにより、Atari2600の魅力は薄れていった。

ライバル・コレコ社の「コレコビジョン」

82年のホリデーシーズン、アタリ社はAtari2600に注力し、ソフトを大量に出荷した。が、前述のような状況である。
かつてのような需要はもはやAtari2600には残っておらず、サードパーティ各社と共に大量の在庫を抱えてしまった。

そして、当時アタリ社が鳴り物入りで投入したのが、「アタリショック」の戦犯として名前が挙げられる「E.T.」である。出荷400万本に対して250万本が売れ残るという惨状であった(売れたとされる150万本は、ゲームが好評価された訳ではなく、映画のネームバリューによるものが大きかった)。

本家のE.T.も「ショック」を受けたはず!!

北米をゲーム冬の時代に堕とした「アタリ・ショック」

1982年12月8日、ワーナーはアタリの売上下降を理由として同年第4四半期の利益を下方修正し、翌日ワーナーの株価は暴落した。アタリの売上は翌年の第1四半期にかけて急落した。

北米における家庭用ゲームの売上高は1982年の時点で約32億ドル(同年末の日本円で約7520億円)に達していたが、1985年にはわずか1億ドル(同年末の日本円で約200億円)にまで減少した。

ゲーム市場最大手であったアタリ社も崩壊、分割され、北米の家庭用ゲーム市場は崩壊し、ゲーム機やホビーパソコンを販売していた大手メーカーのいくつかが破産に追い込まれた。

この1983年から1985年にかけての北米家庭用ゲーム市場の崩壊をVideo game crash of 1983と呼ぶ。日本ではアタリショックと呼ばれる。

ゲーム業界大手のATARIが崩れ落ちた・・・。

日本では1996年にNHKで放送された『新・電子立国』で取り上げられて広く知られるようになった。

なお、「アタリショック」という言葉そのものは米国最大の玩具小売業者トイザらスの副社長だったHoward Moore(発言時は同社役員)の発言として1990年の日経エレクトロニクス紙に初めて登場した。

都市伝説ではなかった!E.T.が捨てられた「ビデオゲームの墓場」

ニューメキシコ州アラモゴード市に存在する埋め立て地に「ビデオゲームの墓場」が存在するという都市伝説があった。
これはアタリ・ショック後にアタリ社が売れ残った大量のゲームカートリッジやゲーム機本体を処分したとされていた。

処分されたゲームは、ゲーム史上最大の商業的失敗作、史上最悪のゲームとして悪名高い『E.T.』が数百万本と、大きな売り上げを獲得したがゲームそのものは酷評を受けている『パックマン』のAtari 2600版が埋められていると考えられていた。

これは真実かどうかに限らず、アタリ社の凋落を象徴する話となっていた。

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2014年、この都市伝説を検証するため、発掘に挑んだ者達のドキュメント!!

2014年にこの伝説を検証するための発掘が行われた。発掘により『E.T.』を含むゲームカートリッジが発見され、事実であったことが確認された。
当時アタリの社員で、埋め立て処分の責任者であったJames Hellerによれば、実際に埋設したのは728,000本であるという。

発掘した1,300本のうち800本をオークションサイトeBayで販売する決定を行った。残り500程度は保管され、さらに残りは世界中の博物館に寄贈される予定である。

ついに発見!!

発掘された 「E.T. ジ・エクストラ・テレストリアル」

都市伝説が事実だったと証明された!

歴代ゲームワーストの常連!第1位は定位置!!

歴史的なゲームをまとめた!
いかにもアメリカらしい、スケールの大きな話だった!!

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