クソゲー史に名を刻んだゲーム「E.T.」!
ゲームカタログ@Wiki ~クソゲーから名作まで~ - E.T. The Extra-Terrestrial
伝説のゲーム 「E.T. ジ・エクストラ・テレストリアル」
主人公はご存知 E.T.
クソゲー感が漂う画面
ATARI(アタリ)のゲーム機を思い出す!
米国アタリ社が開発した家庭用ゲーム機「Atari 2600」。
※「E.T. ジ・エクストラ・テレストリアル」は、日本ではAtari 2800での発売。
『ポン』にかわる家庭用ゲーム機として「ステラ」のコードネームで開発が開始された。
資金難から1976年にノーラン・ブッシュネルはワーナー・コミュニケーションズにアタリ社の全株式を売却。翌1977年11月に「Video Computer System」の名で発売された。
それ以前のプログラム固定方式のゲーム機と異なるロムカートリッジによってゲームソフトを供給するプログラム内蔵方式のゲーム機として発売され、『Atari VCS』の通称で親しまれた。
ATARI 2600
ATARI2800は1977年にアメリカで発売されたATARI2600を日本用にして1983年に発売したもの。
筐体デザインを変更した日本市場向け仕様となっている。
ATARI2600の発売から時間が経過しているが、同スペックでの発売だった。
この年は任天堂から「ファミリーコンピューター(通称:ファミコン)」が7月に発売されている。
任天堂のファミコンの性能は素晴らしく、両機の性能には大きな差があった。
ATARI 2800
1983年5月に定価24,800円で発売された。
販売は前述のファミコンの発売と重なり、「次世代機競争」の形で苦戦を強いられた。
しかしながら、当時の雑誌記事では当時参入したばかりのセガ(後のセガゲームス)のSG-1000を抑えてファミコンに次ぐ2位と評価された例もあった。
当時の日本ではまだ欧米偏重の意識が根強く、件の雑誌評価でもアメリカ製という点がアピールされていた。また世界で実績のあるゲームタイトルを短期間で多数用意できたことも利点だった。
しかし、ファミコンが群を抜く別格の高評価だったことには変わりなく、セガやエポック社と違って翌年以降にも後継ハードで対抗するような展開の無かったAtariは、結果的に一年たたずに撤退した。
ゲームソフトは31タイトルを発売、この内の25タイトルが本体と同時発売。
全てAtari 2600用ソフトのコンバージョンで、日本向け専用ソフトは1本も発売されなかった。
ATARI 2800一式
懐かし過ぎるATARIの「パックマン」
アタリの「E.T.」の遊び方
E.T. (アタリ2600) - Wikipedia
E.T. (アタリ2600) - ウィキまとめ