作詞家・売野雅勇氏が語る中森明菜の「少女A」
中森明菜の「少女A」や作曲家・芹澤廣明氏とのコンビによるチェッカーズの一連のヒット曲、さらにラッツ&スター「め組のひと」、荻野目洋子「六本木純情派」、郷ひろみ「2億4千万の瞳-エキゾチック・ジャパン-」など、昭和から平成を華やかに彩る数々のヒット曲を手掛けてきた作詞家・売野雅勇氏が、作詞活動35周年を迎える。
本稿では、作詞家としての活動を振り返った売野雅勇氏のインタビューをご紹介する。

売野雅勇氏
[質問]
1982年、中森明菜の「少女A」を書かれた頃は、作詞家としては駆け出しだったわけですよね。
[売野氏]
おっしゃるとおり、あの頃はまだ素人でした(笑)。
それまでに50曲程度は書いていたのかもしれませんが、プロと言えるほどではなかったと思います。アイドルに歌詞を書いたこともなかったですし。素人は素人の書き方をしてしまうものでして……サビが書けない。
具体的には、書きたいことから書いてしまい、AメロやBメロで言いたいことを言い切っちゃう(笑)。
あのときの僕はまさにそういう詞を書いていました。「少女A」は歌詞が先で、そこにある方がメロディをつけてくださったんですけど、それは今みなさんが知っている「少女A」とはまったく違ったメロディでした。
ただ、もともとサビが書けていないわけですから、メロディをつけてもらっても、そうそう化けるわけはなくて……。
[質問]
お蔵入り寸前?
[売野氏]
ところが、当時のワーナー・パイオニアのスタッフが僕の歌詞を気に入ってくれて、詞だけ残そうということになりました。僕にとってはすごくラッキーでした(笑)。
それで、次に改めて曲をつけてくれるのが芹澤(廣明)さんに決まったんだけど、とある若いスタッフが「これにメロディをお願いします」と、僕の詞を渡すんじゃなくて、芹澤さんの曲のストックをチェックし始めたんですよ。
結果、このメロディなら、この詞が合いそうだと、1曲ピックアップしてきました。実は、そこにはすでに詞がついていたんですけど、それをお書きになった方も詞に関しては素人だったんです。
だから、Aメロがやたら長い、僕も素人だったのでAメロの詞がやけに長くて、ほとんど手を加えないでも、奇跡的にピタリとはまったんです(笑)。本当に3文字、4文字足した程度でした。
しかも、芹澤さんは才能がある方なので、素人が書いたサビを若干変えたんだと思います。たとえば「ねえ、あなた 愛を教えてよ♪」みたいなことだったのを、「ねえ、あなた ねえ、あなた 愛を教えてよ♪」というふうに、1回増やしてくれていました。
そこに「じれったい じれったい♪」をはめたというのが「少女A」の誕生秘話です(笑)。

若い頃の中森明菜
[質問]
あの歌で歌手・中森明菜のイメージが決定的になりましたよね。
[売野氏]
中森明菜さんの実像は計り知れませんが、ひとりの歌手のイメージとしてはあの歌が作り上げた部分が大きかったのは事実だと思います。
もしも「少女A」でなかったら、中森さんは違ったイメージの、違ったスタイルの歌手になっていたかもしれません。
そしてもしあの歌がなかったら、少なくとも僕は、作詞を続けることはできていなかったと思います。
作詞家としてこうして35年も書き続けることはなかったでしょうね。それくらい作詞家や作曲家にとってヒット曲は大きな存在です。
中森明菜の「少女A」 概要
「少女A」 は、1982年10月27日発売のスタジオ・アルバム「バリエーション〈変奏曲〉」からの先行シングルとして、1982年7月28日にワーナー・パイオニア(現:ワーナーミュージック・ジャパン)よりリリースされた中森明菜2枚目のシングル。
B面は夢判断。

中森明菜 「少女A」
この楽曲は、売野雅勇が作詞し、芹澤廣明が作曲を手掛け、萩田光雄が編曲を務めた。
プロデュースは前作「スローモーション」に続いて小田洋雄が担当した。
1981年にシャネルズ(のちのラッツ&スター)の「星くずのダンス・ホール」で作詞家デビューした売野にとって、本曲が最初のヒット曲ともなった。

中森明菜の代表曲の一つ 「少女A」
中森はこの楽曲でTBS系の音楽番組「ザ・ベストテン」に初出演(1982年9月16日放送)。
フジテレビ系の音楽番組「夜のヒットスタジオ」にも初出演(1982年9月20日放送)を果たした。
この曲ではマイクを振り動かす振りを付けており、これについて中森は「自分が歌いやすいように考えただけなんです。」と語っている。
この曲の評価としては、「CDジャーナル」によると、サザンオールスターズなどにも通底する曲調で、当時のミュージック・シーンにも影響を及ぼしたと指摘している。
また、歌唱については、「不良っぽくもありながら、どこか哀しげなヴォーカル・ワークに心揺さぶられるナンバー。」と批評。
加えて、中森がアイドル歌手としての地位を強固なものとした楽曲であると批評した。
≪チャート最高順位≫
・週間5位(オリコン)
・1982年度年間34位(オリコン)
・3位(ザ・ベストテン)
・1982年年間12位(ザ・ベストテン)
・3位(ザ・トップテン)
・1982年年間8位(ザ・トップテン)
≪ゴールド等認定≫
第8回日本テレビ音楽祭 新人賞
第9回ABC歌謡新人グランプリ シルバー賞
第12回銀座音楽祭 専門審査員奨励賞
第8回あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭 新人奨励賞
第15回新宿音楽祭 審査員特別奨励賞
第9回横浜音楽祭 最優秀新人賞
第13回日本歌謡大賞 放送音楽新人賞部門連盟賞
第15回日本有線大賞 新人賞
第15回全日本有線放送大賞 新人賞
第11回FNS歌謡祭 優秀新人賞
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