独断と偏見で選ぶBon Joviベスト10!!!
あくまで独断と偏見によることをご了承くださいませ。
Bon Jovi the Best !!!
Bon Jovi(ボン・ジョヴィ)
1984 - 1991年
『夜明けのランナウェイ』でデビュー
1984年、アルバム『夜明けのランナウェイ』でデビュー。
キーボードを多用したメロディアスな楽曲で、デビュー当初は本国アメリカよりも日本で人気に。
1985年、2ndアルバム『7800°ファーレンハイト』を発表。
アルバムに収録されている「TOKYO ロード」は、日本のファンへ感謝の意を込めて作られた。アルバム曲の中で離別の寂しさを歌った曲が多いのは、1stアルバムの成功で生活が一変しメンバー全員が別れを経験したためであると言われている。
1986年、3rdアルバム『ワイルド・イン・ザ・ストリーツ』を発表。ビルボードチャートで8週連続全米1位となり、1987年年間チャート第1位を獲得する。シングル「禁じられた愛」と「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」は、優れたプロモーション・ビデオとMTVによる強力なプッシュもあってビルボードシングルチャート1位を獲得し、アルバムは全世界で2,800万枚をセールスするなど一躍世界的な人気を得る。
日本では「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」が富士フイルム「AXIA」のCMソングに起用され、CMにはメンバーも出演した。
1987年、日本武道館5公演を含む日本公演が開催。
1988年、4thアルバム『ニュージャージー』を発表し、全米・全英チャートで1位を獲得する。シングル「バッド・メディシン」と「アイル・ビー・ゼア・フォー・ユー」も全米シングルチャートで1位を記録。日本でも第3回日本ゴールドディスク大賞アーティスト・オブ・ザ・イヤーなどを獲得する。
また、「バッド・メディシン」はSANYO CDラジカセ「ZooSCENE」・家庭用ビデオ規格「S-VHS」CMソングに起用され、CMにはメンバーも出演した。大晦日にはボン・ジョヴィをヘッドライナーとして東京ドームでロック・フェスティバルが開催され、ラット、キングダム・カムらと共演した。
1989年、大晦日に引き続き元日からロック・フェスティバルに出演。その後、大阪・名古屋で単独ライブを開催された。
1990年、2年にも及ぶ過酷なロング・ツアーと連日のハードスケジュールでメンバーが消耗しきってしまい、解散の危機が騒がれる様になる。ジョンは1stソロ・アルバム『ブレイズ・オブ・グローリー』を発表し、全米チャート1位を獲得する。大晦日には再びボン・ジョヴィをヘッドライナーとしてシンデレラ、スキッド・ロウらとの東京ドーム公演が開催された。
1991年、年明けから横浜・名古屋・大阪で単独ライブ開催された。
1992年 - 1999年

解散の危機を乗り越える
1992年、解散の危機を乗り越えて、5thアルバム『キープ・ザ・フェイス』を発表。アメリカではニルヴァーナをはじめとするオルタナティブ・ロック全盛期の中にあり、ボン・ジョヴィもチャート・アクションは以前より苦戦を強いられたが(全米チャート5位)、カナダやヨーロピアンチャートでは年間1位の売上を記録。日本でもヒットし健在ぶりをアピールした。
1994年、デビュー10周年を記念してベスト・アルバム『クロス・ロード』が発売された。アルバムはアメリカ盤・日本盤・インターナショナル盤の3種類で発売され、アメリカ盤には「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」をアコースティック調にリメイクした「プレイヤー '94」が、日本盤には「TOKYO ロード」が、インターナショナル盤には「イン・ジーズ・アームズ」が収録されている。このベスト・アルバムは世界的に大ヒットし、日本では初のオリコンチャート1位を獲得した。アルバムに収録された新曲「オールウェイズ」もリカットされてヒットした(全米チャート4位)。
1995年、福岡・西宮(兵庫県)・東京で日本公演が開催された。6月、6thアルバム『ジーズ・デイズ』を発表。全体的にダウンビート調な曲が多くR&Bに影響を受けて作られた。日本では2作目のオリコンチャート1位を獲得する。
1996年、1年ぶりに来日し福岡・西宮・横浜で日本公演が開催された。ワールド・ツアー終了後は、ソロ活動になった。
2000年 - 2011年
「イッツ・マイ・ライフ」が世界的にヒット
2000年、およそ5年ぶりとなる7thアルバム『クラッシュ』を発表。リード・トラックのシングル「イッツ・マイ・ライフ」が世界的にヒットする。7月から開催された久しぶりのツアーは日本から開幕した。
2001年、初のライブ・アルバム『ワン・ワイルド・ナイト』を発表。日本では、ロック・トラックばかりを集めたベスト・アルバム『TOKYO ROAD〜ベスト・オブ・ボン・ジョヴィ-ロック・トラックス』が発売され、3月28日の横浜アリーナ公演では本編のセットリストがアルバム収録曲順に演奏された。
2002年、8thアルバム『バウンス』を発表。2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件の影響を受けて制作された曲が多いアルバムとなった。
2003年、アルバム『バウンス』を引っ提げて洋楽アーティスト初となる5大ドームツアーが開催された。
2004年、デビュー20周年とトータルセールス1億枚突破を記念して、未発表音源を多数収録した4枚組ボックス・セット『ザ・プレミア・コレクション 〜100,000,000 ボン・ジョヴィ・ファンズ・キャント・ビー・ロング』を発表。
2005年、3年ぶりとなる9thアルバム『ハヴ・ア・ナイス・デイ』を発表し、1995年に発売された『ジーズ・デイズ』以来10年ぶりとなるオリコンアルバムチャート1位を獲得する。リード・トラック「ハヴ・ア・ナイス・デイ」もオリコンシングルチャート10位となり、洋楽バンドのシングルがオリコンシングルチャートTOP10入りしたのが23年ぶりとなる快挙となった。
2006年、東京・名古屋・大阪・札幌のドーム球場で日本公演が開催された。本国アメリカでは「フー・セズ・ユー・キャント・ゴー・ホーム」をカントリー・ミュージック調にアレンジしてジェニファー・ネトルズとデュエットした曲がヒットした。
2007年、第49回グラミー賞において、「Who Says You Can't Go Home」(Bon Jovi & Jennifer Nettles)がBest Country Collaboration With Vocals部門を受賞した。6月には10thアルバム『ロスト・ハイウェイ』を発表し、通算4作目となるオリコンアルバムチャート1位を獲得する。
2008年、名古屋・東京・大阪のドーム球場で日本公演が開催された。この『Lost Highway Tour』は、2008年に開催されたすべてのアーティストの中で最高の興行収益となった。
2009年、11thアルバム『ザ・サークル』を発表する。リード・トラックの「ウィー・ワーント・ボーン・トゥ・フォロー」はWii専用ゲームソフト「ファイナルファンタジー・クリスタルクロニクル クリスタルベアラー」に起用された。アルバムは3作連続となるオリコンアルバムチャート1位を獲得した(3作連続のオリコンアルバムチャート1位は、洋楽アーティスト史上初である)。
2010年、日本独自企画としてボックス・セット『アクセス・オール・エリア〜スペシャル・エディション・コレクターズ・ボックス』が発売される。11月には『クロス・ロード』からおよそ16年ぶりとなるベスト・アルバム『グレイテスト・ヒッツ』を発表。「禁じられた愛」が日清食品「カップヌードル」CMソングに起用された。11月30日・12月1日には東京ドーム公演が行われた。
2011年、東日本大震災の復興支援を目的としたチャリティー・アルバム『ソングス・フォー・ジャパン』に参加する。ワールド・ツアー最終地のポルトガル公演を最後に、2年間の活動休止が発表された。