西ドイツ屈指のドリブラー・リトバルスキー

ピエール・リトバルスキー
リトバルスキーのドリブル
ベルリンで生まれ少年時代からドリブルの得意な選手で、地元でも有名な存在になっていった。彼の武器のドリブルは小さい頃のストリートサッカーで培われたものである。
http://rosajames.blog4.fc2.com/blog-entry-16.htmlスーパースター列伝 ピエール・リトバルスキー | ブログ版James World サッカー編
非常に柔らかく細かいタッチのドリブルが特徴。
DFとの間合いを計りながら、一瞬のスキを見逃さずに抜き去る。
小柄ながらもDFに身体を当てて、ボールを失なわず、シュートまで持ち込んでいた。
1993年ジェフユナイテッド市原へ入団

Jリーグ元年にやってきた世界的ビッグネームだった!

ブンデスリーガで活躍!日本人初のプロ選手 奥寺康彦

ブランメル仙台への入団会見
Jリーグでも得意のフリーキックを披露!
母国・西ドイツではW杯優勝に導く!
80年代は西ドイツ代表の中核としてプレー。W杯ではチームを三度も決勝へと導いた。
1982年スペイン大会と1986年メキシコ大会で準優勝。
20代後半になってからは代表で控えに回ることが多くなったが、1990年の代表引退までに73試合に出場し18得点を記録。1990年イタリア大会では優勝の原動力となった。
背番号7はリトバルスキーのトレードマークだった。

イタリアワールドカップ 西ドイツ代表
90年代 リトバルスキー出演のCM集
日本と愛称の良かったリトバルスキー
ドイツで結婚し、二人の娘にも恵まれていたが、来日後疎遠を理由に離婚。
日本で現夫人と出会い、結婚して二人の男の子をもうけている。
また、日本語もペラペラで日本を第二の故郷と思っているそう。日本のインタビューやバラエティ番組では、日本語でのトークが恒例。
現役引退後も横浜FCやアビスパ福岡の監督を務めた。日本のチームや選手の知識も豊富で、日本サッカーへの提言も非常に多い。

日本人女性と再婚
Jリーグ黎明期に来日した大物外国人助っ人の中でも、非常に真面目で親日家だったリトバルスキー。
ワールドカップの優勝メンバーなのにおごった所のない人物で、多くのサポーターから愛されていたのが懐かしい。