『3時のあなた』(1968年4月1日から1988年4月1日・フジテレビ系列)の歴代司会者

『3時のあなた』(1968年4月1日から1988年4月1日・フジテレビ系列)の歴代司会者

「3時のあなた」の生放送が行われた 新宿区河田町のフジテレビ旧本社
高峰三枝子:1968年4月 - 1973年5月(月曜日・火曜日) 現フジテレビ会長の日枝久氏が土下座して出演交渉を行った。

『3時のあなた』の初代総合司会は高峰三枝子(月曜日・火曜日)と木元教子(水曜日・木曜日・金曜日)。

高峰三枝子の司会起用にあたり、当時番組立ち上げから携わっていた、日枝久(現:フジテレビ会長)が同僚と共に、土下座をして出演交渉を行った末の起用であった。

高峰三枝子は『歌う映画スター』の草分け的存在として活躍
木元教子:1968年4月 - 1969年3月(水曜日・木曜日・金曜日)

木元教子:1968年4月 - 1969年3月(水曜日・木曜日・金曜日) 女性ニュースキャスターの元祖・先駆け的な存在

木元教子(きもとのりこ)は評論家、ジャーナリストとして活躍しています
山口淑子:1969年4月 - 1970年3月(水曜日・木曜日・金曜日)と1970年4月 - 1974年3月(木曜日・金曜日)

『3時のあなた』の司会者「山口淑子」

『3時のあなた』の司会者「山口淑子」

1971年頃の『3時のあなた』の司会者「山口淑子」

昭和の大女優「山口淑子」(日本での女優期間:1938年頃から1958年頃までの20年間くらい)

昭和の大女優「山口淑子」
山口淑子は1974年(昭和49年)に参議院議員へ転身

1974年(昭和49年)に参議院議員へ転身

自民党所属の参院議員総会が開かれ、当選した議員たちが初顔合わせした。握手する山東昭子議員(左)と山口淑子議員。右手前は宮田輝議員、1974年
久我美子:1970年4月 - 1970年9月(水曜日)

久我美子:1970年4月 - 1970年9月(水曜日)

久我美子は戦後の復興時期の映画女優として大活躍した

久我美子は戦後の復興時期の映画女優として大活躍した
芳村真理:1970年10月 - 1974年5月(水曜日) 元祖カリスマモデル・カリスマ司会者。

『3時のあなた』の司会者「芳村真理」:1970年10月 - 1974年5月(水曜日) カリスマ司会者の元祖。

1968年から1973年にかけ芳村真理(右)はフジテレビ「夜のヒットスタジオ」の司会を務める。
扇千景:1973年5月 - 1974年3月(月曜日・火曜日)と1974年4月- 1977年5月(木曜日・金曜日) 美人すぎる大臣の元祖。

一番右:逸見政孝さん、その隣が扇千景さん

扇千景:1973年5月 - 1977年5月(月曜日・火曜日)

扇千景は映画女優として活躍

扇千景
扇千景は「3時のあなた」の司会を卒業後(1977年)に、政治家に転身。大臣になる。

扇千景は「3時のあなた」の司会役後に、政治家に転身

扇千景は初代国土交通大臣を勤めるなど、大臣・党首を歴任するすごい政治家になりました。
森光子:1974年4月 - 1988年3月(月曜日・火曜日) 歴代最長司会者。カリスマ女性司会者。日本を代表する「お母さん女優」。
![森 光子(もり みつこ、1920年(大正9年)5月9日 - 2012年(平成24年)11月10日[2])は、日本の女優、歌手。京都府京都市出身。
京都府立第一高等女学校(現・京都府立鴨沂高等学校)中退。日本俳優連合名誉副会長、第6代日本喜劇人協会会長、フジテレビジョン番組審議会名誉顧問。国民栄誉賞受賞。栄典は従三位・勲三等瑞宝章・紫綬褒章・文化功労者・文化勲章。東京都名誉都民・京都市市民栄誉賞・京都名誉観光大使。](/assets/loading-white-036a89e74d12e2370818d8c3c529c859a6fee8fc9cdb71ed2771bae412866e0b.png)
森光子:1974年4月 - 1988年3月(月曜日・火曜日) 歴代最長司会者。

森光子:1974年4月 - 1988年3月(月曜日・火曜日) 歴代最長司会者。

森光子は日本を代表する「お母さん女優」、「日本のお母さん」の異名を取っている。

森光子さん司会「3時のあなた」百恵友和婚約会見
寺島純子(現、富司純子):1974年5月 - 1977年3月(水曜日)と1980年4月 - 1988年3月(木曜日・金曜日)

寺島純子とフジテレビアナウンサー「岩佐徹」(アシスタント)

寺島純子(現、富司純子) 3時のあなた (1974年5月 - 1977年3月・1980年4月 - 1988年4月、フジテレビ)- 司会

1974年12月11日、寺島司会時に保険金殺人の嫌疑を掛けられていた被疑者の男が生出演(別府3億円保険金殺人事件)。

寺島純子「犯人さん、出てらっしゃい」というフレーズが有名となる。

東映スター時代の藤 純子(1963年から1972年)

東映スター時代の藤 純子(1963年から1972年)

富司 純子(藤純子)さん
司葉子:1977年4月 - 1978年3月(水曜日)

司葉子:3時のあなた司会時期・1977年4月 - 1978年3月(水曜日)

獄門島(1977年)に出演している司葉子

司葉子は東宝の看板女優として活躍

司葉子は東宝の看板女優として活躍
三田佳子:1977年5月 - 1978年3月(木曜日)

三田佳子:1977年5月 - 1978年3月(木曜日)

三田佳子:1977年5月 - 1978年3月(木曜日)

三田佳子のシングル「おあねぇさん」(1981年、東芝)
坪内ミキ子:1977年5月 - 1978年3月(金曜日)と1978年4月 - 1980年3月(水曜日・木曜日)

坪内ミキ子は早稲田大学卒業の女優であることから、「学士女優」と呼ばれて、時代劇女優として人気を集める。インテリ女優・タレントの元祖的な存在。

坪内ミキ子:1977年5月 - 1978年3月(金曜日)と1978年4月 - 1980年3月(水曜日・木曜日)
中村メイコ:1978年4月 - 1979年3月(金曜日)

中村メイコ:1978年4月 - 1979年3月(金曜日)

『毎日グラフ』1957年6月9日号 の表紙を飾った中村メイコ
加茂さくら:1979年4月 - 1980年3月(金曜日)
![加茂 さくら(かも さくら、本名・大谷 照子〈おおたに てるこ〉、1937年7月16日 - )は、女優。東京市(現東京都港区)出身、京都府育ち。公称身長160cm。血液型A型。宝塚時代の愛称テル(ちゃん)。
1955年に宝塚歌劇団に花組公演『春の踊り[2]』で入団。宝塚入団時の成績は36人中20位。42期生。1956年、花組配属。1961年から1968年まで主に主演娘役として(主に雪組の明石照子や眞帆志ぶきの相手役)、声楽専科組替えを経て1971年に退団するまで活躍した。さくらの宝塚歌劇入団は、実母が歌劇団のファンだったという影響からだった
退団後は、女優としてテレビドラマや映画で活動している。](/assets/loading-white-036a89e74d12e2370818d8c3c529c859a6fee8fc9cdb71ed2771bae412866e0b.png)
加茂さくら:1979年4月 - 1980年3月(金曜日)

加茂さくら:1979年4月 - 1980年3月(金曜日)

加茂さくら:1979年4月 - 1980年3月(金曜日)
うつみ宮土理:1980年4月 - 1988年3月(水曜日)

うつみ宮土理:1980年4月 - 1988年3月(水曜日)