『3時のあなた』(主婦のためのワイドショー・情報番組・1968年4月1日から1988年4月1日)の歴代司会者

『3時のあなた』(主婦のためのワイドショー・情報番組・1968年4月1日から1988年4月1日)の歴代司会者

映画会社の看板映画女優とカリスマ司会者、元祖ニュースキャスターといった超絶な人材が司会業を勤めていた元祖主婦のためのワイドショー「3時のあなた」。この番組は「山口淑子」と「扇千景」、偉大な女性政治家を二人も生み出しました。3時のあなたの歴代の司会者をおさらいしてみましょう。これほどの逸材女性が司会する番組は二度と生まれないでしょう。


『3時のあなた』(1968年4月1日から1988年4月1日・フジテレビ系列)の歴代司会者

『3時のあなた』(さんじのあなた)は、1968年4月1日から1988年4月1日までの20年間にわたってフジテレビ系列他で月曜日から金曜日の15時台に生放送されたワイドショー・情報番組である。1981年3月までは『奥さまスタジオ 3時のあなた』(おくさまスタジオ さんじのあなた)と題して放送されていた。

月曜日から金曜日の15時台に初めて投入された本格的なワイドショー番組である。この時間帯にワイドショー番組が設置されるに至ったのは、主なターゲットである主婦層にとって、ちょうどこの15時から16時あたりが家事を一休みする時間帯であることを見込んでのものだった。

放送開始当初は、主にゲストを招いてのトーク・歌、主な視聴者層である40代以降の女性に向けてのファッション情報の紹介、地方の風習・伝統の紹介などといった具合で、純粋な主婦向け情報番組としての趣が強い「女性のための女性のワイドショー」だった。

1970年代以降、森光子・寺島純子が司会に参加するようになってからは、前田忠明、東海林のり子、福岡翼ら個性の強いレポーター陣を配してのスキャンダル中心の芸能・凶悪事件レポートが主な内容となった。

1980年代後半に入り、長らく主な視聴者層となっていた主婦層の生活習慣の変化(パートタイマーの増加など)や、ワイドショー番組そのものに対してより高い情報性が求められるようになり、旧来の「主婦向けワイドショー」の色彩を色濃く残していた(あくまでも最後まで女優・女性タレントによる司会というスタイルに拘っていたことの弊害でもあった)本番組の趣旨も次第に時代に適応し辛くなったためか、次第に視聴率が低下した。

出典 3時のあなた - Wikipedia

『3時のあなた』(1968年4月1日から1988年4月1日・フジテレビ系列)の歴代司会者

「3時のあなた」のアシスタント

岩佐徹(芳村真理・寺島純子のアシスタント役、1973~1977年) 
野間脩平(高峰三枝子・森光子・寺島純子のアシスタント役、1968~1971、1978~1988年) 
永島信道(山口淑子のアシスタント役、1970~1974年) 
須田哲夫(高峰三枝子・森光子・扇千景のアシスタント役、1971~1982年) 
逸見政孝(扇千景・司葉子・坪内ミキ子のアシスタント役、1975~1978年) 
浪久圭司 
松倉悦郎 
城ヶ崎祐子 
田丸美寿々 
野崎昌一(うつみ宮土理のアシスタント役) 
川端健嗣(寺島純子のアシスタント役) 
牧原俊幸(うつみ宮土理のアシスタント役) 
松田朋恵ほか

「3時のあなた」の生放送が行われた 新宿区河田町のフジテレビ旧本社

高峰三枝子:1968年4月 - 1973年5月(月曜日・火曜日) 現フジテレビ会長の日枝久氏が土下座して出演交渉を行った。

初代総合司会は高峰三枝子と木元教子。高峰の司会起用にあたり、当時番組立ち上げから携わっていた、日枝久(現:フジテレビ会長)が同僚と共に、土下座をして出演交渉を行った末の起用であった。当初は「半年だけなら…」と高峰からの要求があったが、5年以上続いた。

テレビ時代に合わせ、1968年(昭和43年)から女優を起用する初めての試みであった「3時のあなた」の司会に就任。高峰の落ち着いた司会ぶりと気さくな人柄が好評で、当初の予定を大幅に延長し、1973年(昭和48年)5月まで5年1ヶ月司会を務める。

『3時のあなた』の初代総合司会は高峰三枝子(月曜日・火曜日)と木元教子(水曜日・木曜日・金曜日)。

高峰三枝子の司会起用にあたり、当時番組立ち上げから携わっていた、日枝久(現:フジテレビ会長)が同僚と共に、土下座をして出演交渉を行った末の起用であった。

高峰 三枝子(たかみね みえこ、1918年12月2日 - 1990年5月27日)は、日本の女優、歌手。『歌う映画スター』の草分け的存在である。父は筑前琵琶演奏者の高峰筑風。孫は元女優の高峰 陽(ひなた)。本名:鈴木 三枝子(すずき みえこ)。

帝国劇場の専務の紹介で松竹に入社し、同年に公開された大船映画『母を尋ねて』で女優としてデビューした。

理知的で気品のある美貌はたちまち人気を集め、翌年には松竹三羽烏と呼ばれた人気二枚目俳優・上原謙、佐野周二、佐分利信を相手にマドンナ役を演じた『婚約三羽烏』が公開されている。

同じ1937年(昭和12年)の年末に公開された浜本広の小説を映画化した『浅草の灯』で演じた浅草オペラの踊り子役で、歌を口ずさむシーンが話題となり、コロムビアがレコード歌手としてスカウト。

翌13年、映画『蛍の光』の主題歌「蛍の光」を桑野通子、高杉早苗と吹き込み、レコードデビュー。続いて映画『宵待草』主題歌の「宵待草」がヒット。これに気を良くした松竹とコロムビアは合同で音楽映画『純情二重奏』を製作し、映画と並び霧島昇と歌った主題歌が大ヒットすると、歌う映画女優としての地位を確立した。

高峰三枝子は『歌う映画スター』の草分け的存在として活躍

木元教子:1968年4月 - 1969年3月(水曜日・木曜日・金曜日)

木元 教子(きもと のりこ、1932年12月19日 - )は、日本の評論家、ジャーナリスト。旧姓、町田(まちだ)。
北海道苫小牧市生まれ。中国(旧満州)で育つ。都立豊島高校、立教大学文学部英文科、立教大学法学部卒。
夫はTBSを経て、現在青森テレビ監査役、息子二人(内の一人は、お笑いサイエンスライターの植木不等式)。実母は、生活評論家の町田貞子。

大学在学中にTBS(当時・ラジオ東京)に嘱託採用アナウンサー(編成局嘱託)として1956年5月に入社(1957年5月社員採用)。1957年4月、5期生アナウンサーとなり、TBS朝の情報・報道番組として、生のニュース番組のはしりとなった「ニュースレーダー」を、時の政治評論家細川隆元とともに出演、話題となる。細川は、今日の木元を育てた一人でもある。

1958年3月、TBSを退社し、フリーとなり、二人の子供を育てながら、フジテレビ「小川宏ショー」(1965年5月 - 1966年11月)、その後、同じくフジテレビ「3時のあなた」(1968年4月 - 1969年3月)の、各初代司会者となった。

その後、フジテレビと契約、初のメイン女性ニュースキャスターとなる。キャスター引退後、評論活動を中心とし、報道番組、社会情報番組等のコメンテーターをはじめ、フリーランスの立場で講演、執筆、シンポジウム等の総合企画・プロデュースを手がけ現在に至る。

木元教子:1968年4月 - 1969年3月(水曜日・木曜日・金曜日) 女性ニュースキャスターの元祖・先駆け的な存在

主な公職
内閣府 原子力委員会委員(1998年1月 - 2006年12月)
経済産業省 総合資源エネルギー調査会・委員(1989年1月 - )
文部科学省 中央教育審議会・スポーツ振興特別委員会委員(1998年8月 - )
農林水産省 21世紀村づくり塾 100人委員会委員(1989年10月 - )
ETT『フォーラム・エネルギーを考える』運営企画委員(1990年7月 - )
食の教育推進協議会 共同創設者・実行委員(1993年11月 - )
生活構造改革フォーラム・代表(1994年3月 - )
(財)社会経済生産性本部・評議員(1994年4月 - )
NPO法人『21世紀の食は私達が作る会』代表(2005年12月 - )

木元教子(きもとのりこ)は評論家、ジャーナリストとして活躍しています

山口淑子:1969年4月 - 1970年3月(水曜日・木曜日・金曜日)と1970年4月 - 1974年3月(木曜日・金曜日)

山口 淑子(やまぐち よしこ、1920年(大正9年)2月12日 - 2014年(平成26年)9月7日)は、日本の歌手、女優、政治家である。戸籍名:大鷹淑子(旧姓:山口)。さまざまな名前で活動し、戦前の中国(中華民国)と満州国・日本・戦後の香港で李 香蘭(り こうらん、リ・シャンラン)、第二次世界大戦後のアメリカ合衆国ではシャーリー・ヤマグチの名で映画、歌などで活躍した。

日本の敗戦を上海で迎えた彼女は、中国人として祖国を裏切った漢奸の容疑で中華民國の軍事裁判に掛けられたものの、日本人であることが証明され、漢奸罪は適用されず、国外追放処分となり、日本に帰国した。

帰国後は、旧姓(当時の本名)・山口淑子の名前で芸能活動を再開し、日本はもとより、アメリカや香港の映画・ショービジネス界で活躍をしたが、1958年(昭和33年)に結婚のため芸能界を退いた。

そして1969年(昭和44年)にフジテレビのワイドショー『3時のあなた』の司会者としてマスメディア界に復帰、1974年(昭和49年)3月まで務めた。

後に1974年(昭和49年)から1992年(平成4年)までの18年間は、参議院議員をも務めた。2006年に日本チャップリン協会(大野裕之会長)の名誉顧問に就いた。
2014年9月7日、心不全のため東京都千代田区一番町の自宅で死去した。満94歳。叙正四位。

『3時のあなた』の司会者「山口淑子」

『3時のあなた』の司会者「山口淑子」

1971年頃の『3時のあなた』の司会者「山口淑子」

昭和の大女優「山口淑子」(日本での女優期間:1938年頃から1958年頃までの20年間くらい)

昭和の大女優「山口淑子」

山口淑子は1974年(昭和49年)に参議院議員へ転身

1974年(昭和49年)に、時の総理大臣・田中角栄の要請で自由民主党から第10回参議院議員通常選挙に全国区から立候補し、初当選した。

田中派に所属、後に宮沢派に転じる。1980年(昭和55年)、1986年(昭和61年)と再選され、環境政務次官・参議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長・参議院外務委員長・自民党婦人局長などを1992年(平成4年)に引退するまで歴任した。

1993年(平成5年)11月3日、勲二等宝冠章受章。政界引退後は女性のためのアジア平和国民基金の呼びかけ人となり、同基金の副理事長を務めた。

1974年(昭和49年)に参議院議員へ転身

自民党所属の参院議員総会が開かれ、当選した議員たちが初顔合わせした。握手する山東昭子議員(左)と山口淑子議員。右手前は宮田輝議員、1974年

久我美子:1970年4月 - 1970年9月(水曜日)

久我 美子(くが よしこ、1931年1月21日 - )は、日本の女優。身長153cm。本名:小野田 美子(おのだ はるこ)、旧姓:久我(こが)。所属芸能事務所はワタナベエンターテインメント。

久我家(こがけ)は村上天皇まで遡る村上源氏の流れを汲む華族の家柄で、東京市牛込に生まれる。

1969年より約1年間、『3時のあなた』の司会を務めるなど、1970年代以降はテレビ・舞台を中心に活躍する。

久我美子:1970年4月 - 1970年9月(水曜日)

1946年、 学習院女子中等科在学中、第一期東宝ニューフェイスに合格。同期に三船敏郎・堀雄二・伊豆肇・若山セツ子・堺左千夫らがいる。1947年、学習院を中退し、『四つの恋の物語』で映画デビューを果たす。
1950年の映画『また逢う日まで』での岡田英次との窓硝子ごしの接吻を演じた(日本の映画界では1960年代のはじめ頃まで接吻のクロースアップはタブーだった)。
1954年、岸恵子・有馬稲子とともに文芸プロダクションにんじんくらぶを結成した。
1961年、俳優と結婚する気はなかったが、平田昭彦からの猛烈な求愛の末に結婚した。

久我美子は戦後の復興時期の映画女優として大活躍した

久我美子は戦後の復興時期の映画女優として大活躍した

芳村真理:1970年10月 - 1974年5月(水曜日) 元祖カリスマモデル・カリスマ司会者。

芳村 真理(よしむら まり、本名・大伴 稲(おおとも いね)/旧姓・吉村、1935年4月3日 - )は、日本の女優、タレント、司会者。所属事務所はHIRAKU(東京都港区元赤坂)である。 コケティッシュな顔立ちとグラマラスな肢体で若い頃は有名なモデルであり、芳村真理と同じ顔をしたマネキン人形は数十年にわたって大量に作られ、全国のデパートやブティック(洋品店)で多く見られた。

1950年代後半(昭和30年代前半)において、人気ファッションモデルとして、各デザイナーのショーや「週刊朝日」を始めとする雑誌等の表紙グラビア(カバーガール)を飾るなどの活躍を見せる。このモデル時代に「ザ・ヒットパレード」(フジテレビ)で、初めての司会を担当している。彼女のモデルでの活躍は団令子らと共に「ファニー・フェイス」の代表格として「美人」の固定観念を打破する一助となった。

『3時のあなた』の司会者「芳村真理」:1970年10月 - 1974年5月(水曜日) カリスマ司会者の元祖。

男性がメイン、女性がアシスタントというMCスタイルが多かった中で、台本を片手に持ちながら「自然体」の話術で進行をするという独特な司会スタイルが受け、「女性でメインをはれる司会者」の草分けとしてその名をテレビ史に残した。

また、そのヘアスタイルやファッションはこの番組の名物となった。出演歌手、特に新人歌手の場合、極度の緊張で臨むことが多かったといわれる「ヒットスタジオ」の中で、その緊張感をほぐす精神的支柱としての役割をも担う事が多かったり、女優・男優を出演させる際には彼女の人脈が重要であった等、「ヒットスタジオ」における彼女の存在感は絶対的なものがあった(後年、石野真子や工藤静香もこの事については述べている)。

その後も、「3時のあなた」(フジテレビ)、「ラブラブショー」(フジテレビ)、「料理天国」(TBS)など斬新な企画を目玉とする番組の司会を担当。

1968年から1973年にかけ芳村真理(右)はフジテレビ「夜のヒットスタジオ」の司会を務める。

扇千景:1973年5月 - 1974年3月(月曜日・火曜日)と1974年4月- 1977年5月(木曜日・金曜日) 美人すぎる大臣の元祖。

扇 千景(おおぎ ちかげ、1933年(昭和8年)5月10日 - )は、日本の女優(元宝塚歌劇団娘役)、タレント、政治家。本名、林 寛子(はやし ひろこ)。旧姓、木村(きむら)。 兵庫県神戸市出身。

一番右:逸見政孝さん、その隣が扇千景さん

扇千景:1973年5月 - 1977年5月(月曜日・火曜日)

1954年4月に『春の踊り(宝塚物語)』で初舞台を踏む。同期生に内重のぼる(元月組トップスター)、武蔵野裕美(森奈みはるの母)、白菊八千代(出雲綾の母)、日夏悠理(小山田宗徳夫人)らがいる。宝塚歌劇団の意向により、八千草薫と共に新設された映画専科に編入する。

宝塚歌劇団在団中の同年10月に宝塚映画『快傑鷹 第一篇 蛟竜風雲の巻』で映画デビューを果たす。その他、テレビや映画に出演。1956年『夜霧の女』で春日野八千代の相手役で盲目の少女ジェニイを演じ、新人演劇賞を受賞。
1957年5月31日付で歌舞伎役者の二代目中村扇雀(四代目坂田藤十郎)との結婚のため退団。

1958年に結婚。しばらく芸能活動から遠ざかっていた。しかし、知人の薦めにより日本教育テレビ(現・テレビ朝日)制作の単発テレビドラマ『君はいま何を見つめている』(1959年10月29日放送)に出演。この作品で第14回文部省芸術祭個人奨励賞を受賞し、再デビューする。

芸能界に復帰してからは、映画やテレビドラマなどに多数出演。1965年の連続テレビ小説『たまゆら』(NHK)や1968年の『大奥』(関西テレビ)、『花は散るらん』(東海テレビ)などに出演した。

扇千景は映画女優として活躍

扇千景

扇千景は「3時のあなた」の司会を卒業後(1977年)に、政治家に転身。大臣になる。

政治家として
1977年の参院選に自由民主党総裁・福田赳夫や幹事長・大平正芳などの要請を受け、自民党より参議院議員選挙全国区にタレント候補として初当選。自民党内では当初、福田赳夫→安倍晋太郎→三塚博が率いる清和会に属した。1989年の参院選では次点で落選したが、1993年に山岡賢次が第40回衆議院議員総選挙出馬に伴う自動失職により繰上当選。1994年に同党を離党し、新生党に入党。同年12月10日の新進党結党に参加し1995年第17回参議院議員通常選挙・比例区で再選した。
新進党解党後は、小沢一郎率いる自由党結党に参画。2000年4月、与党連立政権を離脱した小沢と袂を分かち保守党党首となった。

第2次森内閣では建設大臣兼国土庁長官として初入閣、第2次森改造内閣では中央省庁再編に備え上記の両職に加えて運輸大臣、北海道開発庁長官も兼務し、中央省庁再編後は、そのまま国土交通大臣に就任した。

扇千景は「3時のあなた」の司会役後に、政治家に転身

参議院議員(5期)、参議院議長(第26代)、国土交通大臣(初代、第2代)、建設大臣(第69代)、運輸大臣(第78代)、北海道開発庁長官(第72代)、国土庁長官(第36代)、保守党党首(初代)を歴任。旭日大綬章受章、女性初桐花大綬章受章。靖国神社崇敬奉賛会第3代会長。

3時のあなたの司会業は、超エリートコースなのです。

扇千景は初代国土交通大臣を勤めるなど、大臣・党首を歴任するすごい政治家になりました。

森光子:1974年4月 - 1988年3月(月曜日・火曜日) 歴代最長司会者。カリスマ女性司会者。日本を代表する「お母さん女優」。

森 光子(もり みつこ、1920年(大正9年)5月9日 - 2012年(平成24年)11月10日[2])は、日本の女優、歌手。京都府京都市出身。
京都府立第一高等女学校(現・京都府立鴨沂高等学校)中退。日本俳優連合名誉副会長、第6代日本喜劇人協会会長、フジテレビジョン番組審議会名誉顧問。国民栄誉賞受賞。栄典は従三位・勲三等瑞宝章・紫綬褒章・文化功労者・文化勲章。東京都名誉都民・京都市市民栄誉賞・京都名誉観光大使。

森光子:1974年4月 - 1988年3月(月曜日・火曜日) 歴代最長司会者。

1974年(昭和49年)から1988年(昭和63年)までの14年間にわたり、フジテレビのワイドショー番組『3時のあなた』で月曜日・火曜日のメイン司会を担当し、この間、石原裕次郎の追悼特集(1987年7月20日放送)や田中角栄との対談(1984年9月3日放送)などの大役をこなし、女性司会者としての地位も確立、同番組での歴代最長司会者でもある。

また、この番組では森を姉と慕っていた美空ひばりが第1回と最終回にゲストで出演した。司会者としての実力は『NHK紅白歌合戦』の紅組司会者としても発揮されており、第13回〈1962年(昭和37年)〉、第29回〈1978年(昭和53年)〉、第35回〈1984年(昭和59年)〉の3回、起用されている。また『輝く!日本レコード大賞』でも、1972年(昭和47年)から1976年(昭和51年)まで司会を務めている。

森光子:1974年4月 - 1988年3月(月曜日・火曜日) 歴代最長司会者。

『東芝日曜劇場・天国の父ちゃんこんにちは』(TBS、1966年 - 1974年)、『時間ですよ』(TBS、1970年 - 1973年、以後シリーズ化)、『土曜グランド劇場・2丁目3番地』(日本テレビ、1971年)、『銀座わが町』(NHK、1973)、『かくれんぼ』(日本テレビ、1981年)等数多くのテレビドラマにも出演。

山岡久乃、京塚昌子とともに日本を代表する「お母さん女優」としてその人気を不動のものとし、「日本のお母さん」の異名を取っている。

特に、時間ですよシリーズでは下町の銭湯のおかみさん役が当たり役として話題になった。確立したイメージはCMでも活かされ、特に1968年(昭和43年)から起用された「タケヤ味噌」のCMでは、途中に空白期間はあるものの2008年(平成20年)まで約40年にわたりCMキャラクターを務めている。

森光子は日本を代表する「お母さん女優」、「日本のお母さん」の異名を取っている。

森光子さん司会「3時のあなた」百恵友和婚約会見

寺島純子(現、富司純子):1974年5月 - 1977年3月(水曜日)と1980年4月 - 1988年3月(木曜日・金曜日)

1974年(昭和49年)、寺島 純子(てらじま じゅんこ)の本名でフジテレビのワイドショー『3時のあなた』の司会に就任し、「司会者」として芸能界に復帰。

1977年(昭和52年)より3年間、出産・育児のため番組を一時降板したが、1980年(昭和55年)より復帰。歴代司会者では森光子に次いで2番目の長寿司会在任期間(10年11か月)となった。

寺島純子とフジテレビアナウンサー「岩佐徹」(アシスタント)

寺島純子(現、富司純子) 3時のあなた (1974年5月 - 1977年3月・1980年4月 - 1988年4月、フジテレビ)- 司会

1974年12月11日、寺島司会時に保険金殺人の嫌疑を掛けられていた被疑者の男が生出演(別府3億円保険金殺人事件)。

3時のあなたはスキャンダル中心の芸能・凶悪事件レポートが主な内容となっていた。

寺島純子「犯人さん、出てらっしゃい」というフレーズが有名となる。

1963年(昭和38年)、父・俊藤浩滋の勤務先である東映京都撮影所に見学に行ったところをマキノ雅弘にスカウトされ、藤 純子の芸名をもらい、『八州遊侠伝 男の盃』で千葉真一の恋人役でデビュー。同年、ABCテレビのコメディー『スチャラカ社員』の若い女給役で出演。

1968年(昭和43年)、『緋牡丹博徒』で初主演と主題歌も歌い、ヒット。主人公「緋牡丹のお竜」こと矢野竜子でシリーズ化され、若山富三郎・菅原文太と共演した1970年(昭和45年)の第6作目『緋牡丹博徒 お竜参上』はシリーズの代表作となった。

『緋牡丹博徒シリーズ』の他に『日本女侠伝シリーズ』、『女渡世人シリーズ』もヒットし、東映スターの仲間入りをした。背に彫った緋牡丹の刺青を見せる『緋牡丹博徒』については、当初は肌を見せることに抵抗があり、出演を拒んでいたが、俊藤に説得されて渋々応諾したという経緯がある。しかし『緋牡丹博徒』の人気を直に感じて「父の凄さを初めて理解した」と回想している。

1972年(昭和47年)、NHKの大河ドラマ『源義経』で共演した歌舞伎俳優の四代目尾上菊之助(現・七代目尾上菊五郎)と結婚し、『関東緋桜一家』を最後に引退を表明。

東映スター時代の藤 純子(1963年から1972年)

東映スター時代の藤 純子(1963年から1972年)

富司 純子(藤純子)さん

司葉子:1977年4月 - 1978年3月(水曜日)

司 葉子(つかさ ようこ、1934年(昭和9年)8月20日 - )は、日本の女優。日本大正村村長。東京福祉大学特任教授。本名:相澤 葉子(旧姓:庄司)。東宝芸能所属。
夫は弁護士で元自由民主党衆議院議員の相澤英之。三男・相澤宏光の妻は歌手・タレントの相田翔子。

司葉子:3時のあなた司会時期・1977年4月 - 1978年3月(水曜日)

3時のあなた司会時期(1977年4月 - 1978年3月)に近いイメージと思います。

獄門島(1977年)に出演している司葉子

『君死に給うことなかれ』(1954年)で映画デビュー。この作品は病気降板した有馬稲子の代役であり、映画は一本しか出演しないと決めていたが、池部の強い説得により正式に映画女優の道を歩むこととなった。「君は色気がないから、庄司葉子の庄の字をとって司葉子にしなさい」と勧めて芸名を作ったのも池部である。

東宝の看板女優として数多くの映画に出演する。さらにテレビドラマ・舞台にも活躍の場を広げた。

司葉子は東宝の看板女優として活躍

1966年の映画「紀ノ川」(原作:有吉佐和子)では第40回キネマ旬報賞主演女優賞・第9回ブルーリボン賞主演女優賞・第22回毎日映画コンクール主演女優賞・日本映画記者会賞最優秀女優賞など数々の賞を受賞し、その年の7つの演技賞を独占した。

司葉子は東宝の看板女優として活躍

三田佳子:1977年5月 - 1978年3月(木曜日)

三田 佳子(みた よしこ、1941年10月8日 - )は、日本の女優。本名:高橋 嘉子(たかはし よしこ)、旧姓:石黒(いしぐろ)。女子美術大学付属中学校・高等学校卒業。芸名の三田は慶應義塾大学野球部のファンだったため。三田佳子事務所所属。

3時のあなた(1977年5月 - 1978年3月、フジテレビ)

中学・高校時代から多数のテレビに出演。高校在学中から映画会社数社にスカウトされるが断り続け、高校を卒業した1960年春に第二東映へ入社した。同年、『殺られてたまるか』で女優デビュー。当初から主役級で起用され、佐久間良子に次ぐ東映現代劇の看板女優との扱いを受ける。1967年に東映を退社しフリーとなり、テレビと舞台を中心に活動した。

三田佳子:1977年5月 - 1978年3月(木曜日)

1979年発行の「週刊朝日」の表紙モデル。

三田佳子の3時のあなた司会時期:1977年5月 - 1978年3月に近いイメージだと思います。

三田佳子:1977年5月 - 1978年3月(木曜日)

おあねぇさん(1981年、東芝、TP-17225)
作詞:花登筺 / 作曲:小川寛興 / 編曲:小川寛興
フジテレビ系テレビドラマ「おあねえさん」挿入歌
(c/w 北陸の女)

三田佳子のシングル「おあねぇさん」(1981年、東芝)

坪内ミキ子:1977年5月 - 1978年3月(金曜日)と1978年4月 - 1980年3月(水曜日・木曜日)

1963年に早稲田大学文学部英文科を卒業。市川雷蔵主演の大映映画「陽気な殿様」でデビュー。大学卒業の女優であることから、「学士女優」と呼ばれて、時代劇女優として人気を集める。大映の看板女優としての活躍を経て現在はテレビドラマやクイズ番組、情報バラエティ番組の他、コメンテーター、執筆など幅広く活動。温かい人柄で人気を集める。

「座頭市」「若親分」「悪名」などの各シリーズをはじめ、「影を斬る」「江戸無情」「巨人大隈重信」など30数本の映画に出演。

坪内ミキ子は早稲田大学卒業の女優であることから、「学士女優」と呼ばれて、時代劇女優として人気を集める。インテリ女優・タレントの元祖的な存在。

1987年総務庁・青少年問題審議会委員、1988年エネルギーと原子力を考えるフォーラム委員を務め、1996年から更生保護法人・更生保護事業振興財団の評議員に就任。
また、実母・雲井浪子を介護した経験を基にして、介護問題にも取り組んでいる。

坪内ミキ子:1977年5月 - 1978年3月(金曜日)と1978年4月 - 1980年3月(水曜日・木曜日)

中村メイコ:1978年4月 - 1979年3月(金曜日)

中村 メイコ(なかむら めいこ、1934年5月13日 - )は、日本の女優、歌手、タレント。旧芸名は中村 メイ子。本名神津 五月(こうづ さつき)。芸名は、新旧ともに本名の五月に由来する(日本語の「五月」を英語の「May」に置き換えたもの)。ホリプロ所属。

東京府(現・東京都)出身。2歳の時にP.C.L映画製作所(現・東宝)制作の『江戸っ子健ちゃん』に出演し、映画デビューする。その後、映画やラジオに多数出演、複数の配役をこなす7色の声として有名となった。

天才子役としてデビューして以来、榎本健一や古川ロッパ、徳川夢声、柳家金語楼、森繁久彌らと共演した。幼い頃、菊池寛と会食している。

NHKにはテレビ本放送開始以前のラジオ時代から出演。テレビ放送においては、1940年に開催が予定されていた東京オリンピックに先立つ実験放送の頃から出演し、黒柳徹子と並んで日本のテレビ放送黎明期を語る上で欠かせない存在となっている。

中村メイコ:1978年4月 - 1979年3月(金曜日)

『毎日グラフ』1957年6月9日号 の表紙を飾った中村メイコ

加茂さくら:1979年4月 - 1980年3月(金曜日)

加茂 さくら(かも さくら、本名・大谷 照子〈おおたに てるこ〉、1937年7月16日 - )は、女優。東京市(現東京都港区)出身、京都府育ち。公称身長160cm。血液型A型。宝塚時代の愛称テル(ちゃん)。

1955年に宝塚歌劇団に花組公演『春の踊り[2]』で入団。宝塚入団時の成績は36人中20位。42期生。1956年、花組配属。1961年から1968年まで主に主演娘役として(主に雪組の明石照子や眞帆志ぶきの相手役)、声楽専科組替えを経て1971年に退団するまで活躍した。さくらの宝塚歌劇入団は、実母が歌劇団のファンだったという影響からだった

退団後は、女優としてテレビドラマや映画で活動している。

加茂さくら:1979年4月 - 1980年3月(金曜日)

加茂さくら:1979年4月 - 1980年3月(金曜日)

加茂さくら:1979年4月 - 1980年3月(金曜日)

うつみ宮土理:1980年4月 - 1988年3月(水曜日)

うつみ宮土理:1980年4月 - 1988年3月(水曜日)

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