スターにしきのあきら(錦野旦)
1967年に高校を卒業した「にしきのあきら」はダンス教師の父の紹介で別府のナイトクラブ『ナポリ』でトランペットを演奏していた。そして、鹿児島市天文館の『キャバレー・エンパイア』の専属となる。3ヶ月後には浜口庫之助を紹介され上京する。
1970年CBSソニーより「ソニー演歌の騎士(ナイト)」のキャッチフレーズで歌手デビューした。
この年、NHK紅白歌合戦に「四つのおねがい」で初出場した、歌手「ちあきなおみ」とにしきのあきら(錦野旦)の交際がスクープされた。
スターにしきのあきら(錦野旦)は、韓国系日本人であることを公表
「空に太陽がある限り」が大ヒットしスター街道を登りつつある1972年に、にしきのあきら(本名:錦野 明)は、1961年に朝鮮籍から日本に帰化した韓国系日本人であることを週刊誌に告白しています。
スターにしきのあきら(錦野旦)は、1972年1年間に5枚のシングル・レコードをリリースしています。
(1月愛をありがとう 、4月マミー・ブルー 、5月嵐の夜、8月夢ならさめて、11月城ヶ島慕情 )