志村けん
「コント王」志村けん
生み出したギャグは数知れず
【掛け声の起源】「最初はグー」「あっち向いてホイ」「ガッツポーズ」などの起源を確認。 - Middle Edge(ミドルエッジ)
付き人からドリフ入り
ザ・ドリフターズの付き人に
初めは由利徹の弟子になろうとした。次いで、コント55号とドリフのどちらに弟子入りするか迷ったが、音楽性の面からドリフを選び、1968年2月にいかりやの家へ直接押しかけ、雪の降る中、いかりや本人が夜中に帰ってくるまで12時間ほど待ち続けた。1週間後にいかりやから弟子入りを認められ、ドリフの付き人となる。
当時のドリフは積極的に音楽活動を行っていたため、仲間内では「付き人」ではなく「バンドボーイ」と呼ばれていた。
いかりや長介はザ・ドリフターズを率いたリーダー!晩年は「和久さん」で人気を博しました。 - Middle Edge(ミドルエッジ)
加藤茶の付き人となるが、なんと1年余りで一度脱走
志村は運転免許を持っていないため、無名の付き人だったにもかかわらず、当時国民的人気者の加藤が運転する車の助手席にふんぞりかえったまま帰宅し、加藤を差し置いて母親に晩御飯を用意してもらったり、先に風呂に入ったりという大物ぶりを発揮していた。
加藤茶はザ・ドリフターズの万能エース!小学生のカリスマでしたね!! - Middle Edge(ミドルエッジ)
24歳でザ・ドリフターズの正式メンバーに
「東村山音頭」で大ブレイク
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同じ渡辺プロダクション所属の2歳先輩である沢田研二とのコント内でのやり取り、息の合ったコンビネーションが絶大な人気に。
沢田研二くらいありとあらゆる「日本で初めて」をやり尽くしたひとはいない! - Middle Edge(ミドルエッジ)
1979年には加藤茶との「ヒゲダンス」、1980年には「♪カラスの勝手でしょ〜(童謡『七つの子』の替え唄)」が人気を博す。
多数の冠番組が誕生
1985年に『全員集合』が終了。
1986年に加藤をボケ役、自らをツッコミ役とした番組『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』がスタート(1992年まで)。
【名コンビ】加トちゃんケンちゃんごきげんテレビを振り返る - Middle Edge(ミドルエッジ)
『志村けんのだいじょうぶだぁ』『志村けんのバカ殿様』などで、ドリフメンバー以外(田代まさし・松本典子・桑野信義・石野陽子・ダチョウ倶楽部)との活動が多くなる。
志村けんのだいじょうぶだぁ【クイズなんだろな?】今見ても笑えるコーナー - Middle Edge(ミドルエッジ)
この頃から「変なおじさん」に代表される、ドリフとは一線を画した独自のコントスタイルを確立し、第2の人気ピークへ。
なんだチミはってか!? え!? そうです、私が「変なおじさん」です。変なおじさんの登場パターンを振り返る。 - Middle Edge(ミドルエッジ)
その後~現在
第一線からは退き、重鎮的ポジションに
東八郎のお笑いの理念に感銘を受ける
動物好き、シャイで涙もろい志村の人柄をそのまま反映させた「天才!志村どうぶつ園」
現在では健康オタク、動物愛好家としても知られ、お笑いタレントとしてのみならずコメンテーター的存在としても活動中。
ただし、現在のトーク主流のテレビ番組のあり方については、持論として、いくつかの雑誌などでのインタビューで疑問符を投げかけている。
また、最近のテレビ不況についても嘆いており、自身のコントでも「クイズ番組が多すぎる」「時代劇が不振」と苦言を呈することも。
膨大な持ち芸の数々
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