夜のコンビニでチラ見した雑誌『GORO』の表紙で、当時のアイドルを振り返ろう!

夜のコンビニでチラ見した雑誌『GORO』の表紙で、当時のアイドルを振り返ろう!

ミドルエッジ世代の男性なら一度は見た事のあるムフフな雑誌『GORO』!深夜のコンビニで「立ち読みコーナー」をちら見しながら周囲を伺い、表紙と中身をざっと見てジャケ買いをした人も多いのではないでしょうか。そんな懐かしい雑誌『GORO』の表紙を振り返ってみましょう!


雑誌『GORO』って、どんな雑誌?

『GORO』(ゴロー)は、小学館が1974年から1992年に発行していた20歳代をターゲットにした総合男性誌。毎月第2・第4木曜日発売の月2回刊であった。
女性グラビアや新車情報、女性の口説き方のノウハウ、漫画まで多彩な情報を詰め込んだ内容となっていた。このため、1970年代~1980年代の若者の流行や風俗、考え方を知る上で貴重な資料となっている。
篠山紀信の激写シリーズは、この雑誌に掲載されていたものである。
毎号、アイドルのポスターが付属していた。
1974年6月13日に創刊され、1992年1月1日に最終号が発行されるまで、全422号が発行された。
1980年代後半に入ると、ヌード専門誌、自動車専門誌、サブカルチャー専門誌といった雑誌の細分化が進んだこと、バブル景気の流れの中で若者の流行や考え方が多様になったことなどの要因が重なり、総合誌の体裁を採っていた『GORO』のポジションは曖昧になった。次第に販売部数が減り、やがて廃刊に追い込まれた。

(引用:wikipedia)

小学館発刊 雑誌『GORO』 創刊号 1974年6月13日号

雑誌「GORO」の表紙を振り返ってみましょう!

■表紙
桜田 淳子(さくらだ じゅんこ 1958年4月14日)日本の女優・歌手である。秋田県秋田市出身。サンミュージック所属(活動当時)。3児の母。秋田市立日新小学校→秋田市立秋田西中学校→品川女子学院中等部・高等部(転入)→国本女子高等学校(転入)卒業。身長160cm。愛称は「ジュンペイ」。

■1975年デビューアイドル
片平なぎさ、岡田奈々、岩崎宏美、ザ・リリーズ等。

(引用:wikipedia)

GORO NO.6 1975年3月27日号

■表紙
風吹 ジュン(ふぶき ジュン、1952年5月12日 - )は、日本の女優。本名、川添(旧姓・堀川) 麗子。[要検証 – ノート]富山県婦負郡八尾町(現・富山市八尾町)生まれ、富山県高岡市と京都市山科区育ち。パパドゥ所属。京都市立花山中学校卒業。

(引用:wikipedia)

GORO NO.12 1975年6月26日号

■表紙
原田 美枝子(はらだ みえこ、本名:石橋 美枝子 1958年12月26日 - )は、東京都出身の日本の女優。原田三枝子とも。身長157cm。血液型A型。夫は俳優の石橋凌。3児の母。所属事務所は舞プロモーション。

■1976年デビューアイドル
神保美喜、三木聖子、ピンク・レディー等。

(引用:wikipedia)

GORO NO.18 1976年9月23日号

■表紙
ピンク・レディー (Pink Lady) は、1970年代後半に活躍したデュオのアイドル。ミー(現:未唯mie、本名:根本美鶴代、1958年3月9日 - 、A型、静岡県静岡市葵区出身)とケイ(現:増田恵子、本名:桑木啓子(旧姓:増田)、1957年9月2日 - 、O型、静岡県静岡市葵区出身)の2人組。多くの楽曲を阿久悠(作詞)・都倉俊一(作曲)のコンビが手がけた。所属事務所はT&C ミュージック、音楽出版権利・管理はバーニングパブリッシャーズである。

■1977年デビューアイドル
榊原郁恵、大場久美子、高田みづえ、清水由貴子、荒木由美子、香坂みゆき、五十嵐夕紀、アグネス・ラム等。

(引用:wikipedia)

GORO NO.5 1977年3月10日号

GORO昭和53年1月号
表紙:ピンク・レディーAmazonで見てみる。
■表紙
森下 愛子(もりした あいこ、1958年4月8日 - )は、日本の女優。本名は吉田 佳代(よしだ かよ)。夫はシンガー・ソングライターの吉田拓郎。東京都武蔵野市出身。麹町学園女子高等学校卒業。高校在学中にスカウトされ、モデルとしてデビュー。1977年に『地獄の天使 紅い爆音』(東映)で女優デビュー。翌1978年に出演した『サード』では、体当たりの演技を見せた。

■1978年デビューアイドル
石野真子、トライアングル、石川ひとみ、高見知佳、薬師丸ひろ子等。

(引用:wikipedia)

GORO NO.18 1978年9月28日号

■表紙
紺野 美沙子(こんの みさこ、1960年9月8日 - )は、日本の女優、エッセイスト。
東京都狛江市出身。国連開発計画(UNDP)親善大使。内閣府「災害被害を軽減する国民運動サポーター」。称号は日本吟醸酒協会名誉吟の騎士など。父はNHK交響楽団ホルン奏者で、慶應義塾高等学校音楽教諭。母方の祖母は岩手県陸前高田市出身。母方の祖父は福島県の出身。カリタス小学校からカリタス女子中学校、慶應義塾女子高等学校を経て慶應義塾大学文学部国文学科卒業。学位は文学士 (慶應義塾大学)。

■1979年デビューアイドル
能瀬慶子、倉田まり子、沢田聖子、井上望、比企理恵、大滝裕子、BIBI(早坂あきよ・小西直子)、川島なお美等。

(引用:wikipedia)

GORO NO.14 1979年7月12日号

■表紙
石田 えり(いしだ えり、1960年11月9日 - )は、日本の女優。熊本県八代市出身。身長162cm。体重53kg。B85cm、W60cm、H88cm。本名は内田 恵理子(うちだ えりこ)。堀越高等学校卒業。渡辺プロダクション→トライアングルCプロジェクト所属。1976年「スター・チャレンジ」(NET)のアシスタントで芸能界デビュー。1978年『翼は心につけて』で骨肉腫に冒されたヒロイン鈴木亜里を演じ、スクリーンデビュー。テレビドラマ『ウルトラマン80』(1980年)でUGMの城野エミ隊員を演じるが、殉職する形で途中降板した。「ウルトラシリーズに出演する女優は大成しない」というジンクスを懸念した事務所の方針だったと言われているが、最終回の際には、「アンドロイド・エミ」として再出演している。1985年にミュージシャンの芳野藤丸と結婚したが、1990年に離婚。

■1980年デビューアイドル
松田聖子、河合奈保子、三原順子、岩崎良美、柏原よしえ、浜田朱里、甲斐智枝美、石坂智子、鹿取洋子等。

(引用:wikipedia)

GORO NO.15 1980年7月24日号

■表紙
松田 聖子(まつだ せいこ、1962年3月10日 - )は、日本の歌手、女優、タレントである。福岡県久留米市荒木町出身。サンミュージックプロダクション、ファンティック、グリーンパークミュージック、現在は ファンティックを個人事務所とし、制作全般をfelicia club(フェリシアクラブ)所属としている。身長160cm。体重42kg。血液型A型(身長・体重は公式サイト2008年12月25日のデータより)。松田聖子は1980年代を代表するアイドル歌手である。1980年に、「裸足の季節」でレコードデビュー(同時期「サンデーズ」としても活躍)。デビュー曲はCMタイアップで火が付き、すぐに続けざまにヒット曲を連発。トレードマークであったヘアスタイルの「聖子ちゃんカット」や、新しいアイドルとしての生き方に関しても多くの話題を集めた。大宅壮一文庫創設以来の人名索引総合ランキングでは「松田聖子」が1位(2015年2月)となっており、「日本の雑誌にもっとも頻繁に登場した著名人」とされている。

■1981年デビューアイドル
松本伊代、伊藤つかさ、島田歌穂、沢田富美子、沢村美奈子、中島めぐみ等。

(引用:wikipedia)

GORO No.5 1981年2月26日号

■表紙
薬師丸 ひろ子(やくしまる ひろこ、本名:薬師丸 博子(読み同じ)、1964年6月9日 - )は、東京都港区北青山出身の女優、歌手。東京都立八潮高等学校、玉川大学文学部英米文学科卒業。角川映画『野性の証明』(1978年)の長井頼子役オーディションで選ばれ、スクリーン・デビュー。1981年に主演した映画『セーラー服と機関銃』(相米慎二監督)が大ヒットする。また、同名主題歌を歌い、歌手デビューする。主演映画のヒットばかりでなく、映画の主題歌「セーラー服と機関銃」「探偵物語」「メイン・テーマ」「Woman "Wの悲劇"より」もヒットを記録する。特に、映画『Wの悲劇』(澤井信一郎監督)では演技も評価され、主演女優賞を獲得した。

■1982年デビューアイドル
小泉今日子、中森明菜、北原佐和子、三田寛子、堀ちえみ、早見優、石川秀美、原田知世、伊藤かずえ、新井薫子、松居直美、白石まるみ、つちやかおり、川田あつ子、中野美紀、川島恵、伊藤さやか、水谷絵津子、渡辺めぐみ、水野きみこ、真鍋ちえみ、三井比佐子、坂上とし恵等。

(引用:wikipedia)

GORO NO.1 1982年1月1日号

■表紙
中森 明菜(なかもり あきな、1965年7月13日 - )は、日本の歌手、女優。本名同じ。東京都大田区生まれ、清瀬市育ち。明治大学付属中野高等学校定時制中退。研音、コレクション、コンティニュー、N.A.P.C、楽工房を経てFAITH(ファイス)所属。所属レーベルはユニバーサルJ、ユニバーサルミュージック内の私設レーベル歌姫レコーズ。16歳の時に出場した日本テレビ系のオーディション番組『スター誕生!』合格を機に、ワーナー・パイオニアとのレコード契約を締結。1982年にシングル「スローモーション」でデビューし、2枚目のシングル「少女A」がヒット。翌1983年には、「セカンド・ラブ」、「禁区」などのヒット。以降も「北ウイング」、「飾りじゃないのよ涙は」など連続してシングル・ヒットし、1985年の「ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕」と1986年の「DESIRE -情熱-」で2年連続となる日本レコード大賞を受賞。1992年には連続テレビドラマ『素顔のままで』(フジテレビ系)に安田成美とW主演し、その後も1998年の連続テレビドラマ『冷たい月』(日本テレビ系)で永作博美と共にW主演など女優としても活動。

■1983年デビューアイドル
わらべ、岩井小百合、富田靖子、伊藤麻衣子、武田久美子、桑田靖子、松本明子、大沢逸美、森尾由美、小林千絵、横田早苗、原真祐美、高橋美枝、徳丸純子、木元ゆうこ、小出広美、河上幸恵、松尾久美子、太田貴子 等。

(引用:wikipedia)

GORO NO.4 1983年2月10日号

■表紙
武田 久美子(たけだ くみこ、1968年8月12日 - )は日本の女優、元アイドルである。ホリプロからフィットワンを経て株式会社スクロール所属。愛知県名古屋市生まれ。幼少時に東京都北区田端に移住。北区立滝野川第四小学校、堀越中学校(現在は廃校)を経て堀越高等学校卒業。小学4年生のときに、弟とともにウナコーワのテレビCMに出演(弟は乳児のときにもベビー用品のテレビCMに出演)。中学生時代に東京大学のアイドルコンテストで優勝し「東大生が選んだアイドル」として話題になる。1982年、映画『ハイティーン・ブギ』にヒロイン役で出演した。その劇中で主演の近藤真彦とのキスシーンがあったことが原因で、近藤の熱狂的なファンから様々な嫌がらせを受け、一時は芸能活動そのものに支障をきたすほどの事態となった。1983年に「噂になってもいい」で歌手デビュー。ドラマ・映画に多数出演する。1990年代からは主にグラビアや写真集で大胆なヌードを発表し、人気を博す。1999年にアメリカ人男性と結婚し、カリフォルニア州サンディエゴに移住、一女の母である。2016年1月11日、離婚が成立した。

■1984年デビューアイドル
菊池桃子、岡田有希子、安田成美、渡辺桂子、長山洋子、荻野目洋子、宇沙美ゆかり、工藤夕貴、渡辺典子、山本ゆかり、田中久美、辻沢響江、渡辺千秋、加藤香子、青田浩子、わらべからソロで倉沢淳美、少女隊、セイントフォー、麻生真美子&キャプテン等。

(引用:wikipedia)

GORO NO.12 1984年6月14日号

■表紙
可愛 かずみ(かわい かずみ、1964年7月9日 - 1997年5月9日)は、日本の女優。本名、久我 知子(くが ともこ)。東京都杉並区高円寺出身。芸能界にあまり興味はなく、元々は美容師になるつもりだったが、高校在学中にスカウトを受けてモデルクラブに登録。日活の宣伝用ポスターの仕事が舞い込み、引き受けるが、可愛は、脱がないといけない仕事だと知らなかった。「話が違う」と一旦は断ろうとするが、日活の担当者が怒られているのを見て同情してしまい、最終的に引き受ける。この時に渡辺護監督の目に止まり、1982年、日活ロマンポルノ映画『セーラー服色情飼育』(監督:渡辺護・脚本:ガイラ)で芸能界入り。(にっかつロマンポルノの主演の話がきたとき「考えさせてほしい」と言ったが、それは出来なかった。モデル事務所から「次のステップに繋がる」という勧めもあり、きわどいラブシーンをしないという条件で、承諾する)「可愛かずみ」の芸名は、渡辺監督によって命名された。ロマンポルノ映画出演はこの1作のみだったが、幼さが残るあどけない顔立ちと抜群のスタイルで注目を浴びる。続いて、映画『夜をぶっとばせ』、シブがき隊主演の『ヘッドフォン・ララバイ』に出演し、その後すぐにグラビアアイドルとして人気を博す。それ以降はテレビのバラエティーやドラマで活躍をしていた。

■1985年デビューアイドル
おニャン子クラブ、中山美穂、本田美奈子、橋本美加子、斉藤由貴、南野陽子、浅香唯、芳本美代子、井森美幸、森口博子、いしのようこ、松本典子、岡本舞子、森川美穂、山本理沙、高橋里奈、網浜直子、森下恵理、志村香、YOU(江原由希子としてデビュー)、大西結花、宮崎ますみ、佐野量子、村田恵里、宮沢りえ(モデルデビュー)等。

(引用:wikipedia)

GORO NO.14 1985年7月11日号

■表紙
高井 麻巳子(たかい まみこ、1966年12月28日 - )は、日本の元アイドル。株式会社秋元康事務所監査役。現姓、秋元(あきもと)。福井県小浜市出身。1985年(昭和60年)から女性アイドルグループおニャン子クラブのメンバーで、会員番号は16番として芸能活動を行っていた。1985年(昭和60年)4月、『夕やけニャンニャン』内のコーナー「アイドルを探せ」の出場者をスカウトをする企画で、原宿を歩いているときに伊藤克信にスカウトされる(が、番組側のやらせだったとの説もある)。同コーナーで「青い珊瑚礁」を歌い、おニャン子クラブ会員番号16番としてデビュー。同年9月、おニャン子クラブから初のソロデビューとなった河合その子のキャンペーンに「with おニャン子クラブ」として同行。同年10月、岩井由紀子(ゆうゆ)と2人でうしろゆびさされ組を結成、アニメ『ハイスクール!奇面組』の主題歌『うしろゆびさされ組』でユニットデビュー。1988年(昭和63年)4月29日、ファンクラブ結成記念コンサート『Single's』をよみうりランドEASTで行う。同年5月23日、おニャン子の仕掛け人である秋元康と結婚し、突然芸能界を引退する。その後、すぐに渡米。1年半ほどニューヨークに滞在し、秋元との新生活を始める。

■1986年デビューアイドル
西村知美、島田奈美、杉浦幸、山瀬まみ、相原勇(本名の小原靖子としてデビュー)、勇直子、真璃子、森恵、水谷麻里、浅倉亜季、佐藤恵美、藤井一子、芹沢直美、八木さおり、清水香織、中沢初絵、おニャン子クラブからソロで国生さゆり、新田恵利、河合その子、渡辺美奈代、渡辺満里奈等。

(引用:wikipedia)

GORO NO.18 1986年9月11日号

■表紙
新田 恵利(にった えり、1968年3月17日 - )は、日本の歌手、タレント。オフィスウォーカー所属。1985年におニャン子クラブの会員番号4番としてデビューした。ソロデビューしたときに歌った「冬のオペラグラス」がヒットした。上福岡市立第一中学校(現・ふじみ野市立福岡中学校)→埼玉県立福岡高等学校卒業。おニャン子クラブのデビュー曲「セーラー服を脱がさないで」でフロントメンバーに選ばれ、以降おニャン子クラブの「顔」として人気を博す。高校卒業後(当時は高校三年生)もタレント活動を続けて行きたいとスタッフに意向を伝え、芸能事務所「ボンド企画」に所属。1996年(平成8年)8月8日、『フジテレビの日』(8が3つそろった日でお台場へフジテレビが移転する直前)に1日だけ『復活夕やけニャンニャン』として番組が復活し、そのイベント担当だったフジテレビ社員と同年結婚した。

(引用:wikipedia)

GORO NO.12 1986年11月13日号

浅香 唯(あさか ゆい、1969年12月4日[1] - )は、日本の歌手、タレント、女優。本名、西川 亜紀(にしかわ あき)。旧姓、川崎。宮崎県宮崎市出身。デビュー時のキャッチコピーは、「フェニックスから来た少女」であった。1986年10月、フジテレビ系連続ドラマ『スケバン刑事III 少女忍法帖伝奇』に、主役の3代目麻宮サキ役で出演を果たした。1988年、ドラマ、映画、キャンペーン、コンサートと約1年半にわたる『スケバン刑事』関連の仕事が終了した後、4月には、カネボウ化粧品のCMイメージ・キャラクターに選ばれ、そのキャンペーン・ソング「C-Girl」が大ヒット。オリコンでは2週連続(通算3週)1位、『ザ・ベストテン』では初の1位を獲得。続く「セシル」はノー・タイアップながら、オリコン1位、『歌のトップテン』でも1位を飾る。レコードがヒットし、映画、ドラマ、雑誌、ラジオ、そしてCMにも多数出演するようになる。各メディアからは「ポスト松田聖子」、さらに中山美穂、工藤静香、南野陽子と共に「アイドル四天王」と称され、日本一忙しいアイドルと言われた。

■1987年デビューアイドル
森高千里、酒井法子、立花理佐、渡瀬マキ、石田ひかり、中村由真、小川範子、仁藤優子、つみきみほ、畠田理恵、牧野アンナ、小沢なつき、伊藤美紀、伊藤智恵理、白田あゆみ、五十嵐いづみ、守谷香、BaBe、おニャン子クラブからソロで工藤静香(『夕やけニャンニャン』終了と同時期)等。

(引用:wikipedia)

GORO NO.11 1987年5月28日号

■表紙
後藤 久美子(ごとう くみこ、1974年3月26日 - )は、日本のモデル、タレント、元女優。愛称はゴクミ。東京都杉並区出身。スイス・ジュネーブ在住。オスカープロモーション所属。くまの幼稚園、区立大宮小学校、区立大宮中学校、多摩大学附属聖ヶ丘高等学校卒業。小学校5年生のときからモデルを始め、1986年、NHKの『テレビの国のアリス』のヒロイン役で女優デビューする。第24回ゴールデンアロー賞 放送・新人賞を受賞。以降、「国民的美少女」を謳い文句に、世に言う美少女ブームを巻き起こした。映画出演作に『男はつらいよ』(松竹)、『ラブストーリーを君に』、『ガラスの中の少女』、『シティーハンター』などがある。1995年にフランス人F1レーサーのジャン・アレジと交際を始める。当時アレジには既に妻子があったが離婚調停中であり、その後前妻とは離婚が成立。96年には渡仏しアレジと同居を始める。現在もアレジとの婚姻手続きはとっておらず、「事実婚」の夫婦であるがヨーロッパでは比較的事実婚の夫婦が多い。ジャン・アレジは前妻との間に1人、後藤久美子との間に3人の実子がいる。渡仏後は妻としてまた子育てを重視しており、年に1〜2本のCM出演や女性ファッション誌の表紙モデルなどを中心に活躍している。女優として映画やドラマでの復帰は無いとはっきり断言もしている。現在はスイス・ジュネーヴにある歴史的なお城を改築し在住しているが、パリやニューヨーク、モナコなどにも邸宅を所有している。

(引用:wikipedia)

GORO NO.7 1987年3月26日号

■表紙
小泉 今日子(こいずみ きょうこ、1966年2月4日 - )は、日本の女性歌手・女優である。所属芸能事務所は、株式会社バーニングプロダクション。身長153cm。血液型O型。KYON 2 (キョンキョン)の愛称で知られる。1981年1 - 3月、日本テレビ系のオーディション番組『スター誕生!』に出場、石野真子の「彼が初恋」を歌って合格。その石野が当時所属していた芸能事務所(バーニングプロダクション)およびレコード会社(ビクター音楽産業)と契約する。1982年3月21日にシングル「私の16才」でアイドル歌手としてデビュー。キャッチフレーズは「微笑少女。君の笑顔が好きだ」。同期に、堀ちえみ、三田寛子、石川秀美、松本伊代、早見優、中森明菜、シブがき隊らがおり、「花の82年組」と呼ばれるアイドルの一人に数えられた。髪をショートカットにイメージチェンジした5作目のシングル『まっ赤な女の子』でブレイクし、1984年にリリースした9作目の『渚のはいから人魚』でオリコン週間チャート1位を獲得、33万枚を越える売上となった。明るくキュートな容姿が広く支持され、その人気は不動のものとなり、歌手活動以外にも、ドラマや映画に出演して一躍トップアイドルに躍り出た。

(引用:wikipedia)

GORO NO.2 1987年1月8日号

■表紙
仁藤 優子(にとう ゆうこ、1971年8月28日 -、本名:栗田 優子(くりた ゆうこ) )は、日本の女優、元アイドルである。ヘリンボーン所属。堀越高等学校卒業。1986年のホリプロタレントスカウトキャラバンで中森明菜の「少女A」を歌い、「アクターアクトレス賞」を受賞し、芸能界入り。1987年6月17日、「おこりんぼの人魚」で歌手デビュー。同年の日本歌謡大賞で放送音楽新人賞を受賞。歌唱力は評価が高かったが、喉の不調等によりその後歌手業を断念し、一時期同事務所の井森美幸とともにバラドルとして活躍した。その後、女優に転向した。芸能人女子フットサルチーム「XANADU loves NHC」に所属していたが、2008年5月に退団した。2009年4月、声優の西凛太朗と結婚。2010年11月5日、男児出産。

(引用:wikipedia)

GORO NO.23 1987年11月26日号

■表紙
小川 範子(おがわ のりこ 、1973年7月20日 - )は、日本の女優・歌手。本名、吉田 重美(よしだ しげみ)。旧姓、谷本。東京都立川市出身。ブルックカンパニー(Brook Company)(個人事務所)に所属。1990年(平成2年)、それまで所属していた東京宝映を離れ、個人事務所ブルックカンパニーを設立。6歳の頃、オムニバス写真集『Little Angels 少女の詩』(世文社刊)撮影の為に劇団・東京宝映(現宝映テレビプロダクション)に所属し、本名の谷本重美の名で子役として活動。後に「小川範子」と改名し、世間一般に有名になった頃には、少女ヌード写真集などにも出演していた事が、芸能雑誌を通して報道された。

■1988年デビューアイドル
Wink、西田ひかる、高岡早紀、田中律子、深津絵里、中山忍、藤谷美紀、本田理沙、坂上香織、小高恵美、国実百合、仲村知夏、相川恵里、北岡夢子、吉田真里子、姫乃樹リカ、安永亜衣、円谷優子、麻田華子、川越美和、山口由子、おニャン子クラブからソロで生稲晃子、山崎真由美(『夕やけニャンニャン』終了後)等。

(引用:wikipedia)

GORO NO.21 1988年10月27日号

GORO(ゴロー) NO.21 1988年10月27日号
表紙:小川範子Amazonで見てみる。
■表紙
渡辺 満里奈(わたなべ まりな、1970年11月18日 - )は、日本の女性タレント、司会者、女優、歌手。本名:名倉 満里奈(なぐら まりな、旧姓:渡辺)。夫はお笑いトリオ・ネプチューンの名倉潤。血液型はB型。1984年のミス・セブンティーンコンテスト(応募総数コンテスト史上最高18万325人)に応募し、関東地区予選にてCBSソニーにスカウトされる。その後、1986年3月に『夕やけニャンニャン』のオーディション「ザ・スカウト アイドルを探せ」に参加。月曜日の登場時から存在感を示し、金曜日には高得点(120点。合格は100点以上)で合格を果たした。その際、とんねるずに「おニャン子はお前のものだ!!持ってけ!!」とまで言わしめた(オーディション中盤で「もう満里奈で今週は決まりだ」と言っていた)。1986年3月27日におニャン子クラブ会員番号36番としてデビュー(ただし、当時行われていたコンサートツアーには時間的な余裕が無かったこともあり不参加)。デビュー早々より人気を得て、中期から後期にかけてのおニャン子クラブの主力メンバーとなった。おニャン子クラブ解散後も歌手としてアイドル番組やバラエティーなどに出演。以前から妹分のように目を掛けてくれていたとんねるずの冠番組『とんねるずのみなさんのおかげです』の仮面ノリダーにレギュラー出演者に抜擢され、お笑いの資質も見出された。その頃(1989年頃)から本人の意向により、おニャン子クラブのメンバーであったことを積極的に表に出さないようになる。その後、バラエティ番組において、タモリ、ビートたけし、みのもんた、とんねるず、古舘伊知郎といった強烈な個性の持ち主たちと堂々と渡り合い『猛獣使い』と呼ばれた。

(引用:wikipedia)

GORO NO.8 1988年4月14日号

■表紙
藤谷 美紀(ふじたに みき、1973年9月15日 - )は、日本の女優。オスカープロモーション所属。愛知県名古屋市出身。身長162cm、足のサイズ23cm。名古屋市の中学校2年生だった1987年(昭和62年)、オーディション企画・第1回「全日本国民的美少女コンテスト」でグランプリを受賞し、14歳で芸能界デビューした。コンテストへの応募のきっかけは、グランプリ副賞の出演映画で仲村トオルと共演できるから、とのこと。歌唱審査では小泉今日子「木枯らしに抱かれて」を歌う。1988年にはシングル『転校生』で歌手デビュー。その後は女優としてドラマや舞台、映画を中心に活動している。趣味は水彩画など、絵を描くこと。ヘタウマな作風の4コマ漫画で、月2回刊時代の小学館「ヤングサンデー」での連載経験もある。『新・愛の嵐』で共演したことがある俳優の鈴木浩介と5年ほど交際しゴールイン寸前だったが、女優の蒼井優による“略奪愛”により破局し、2012年11月上旬に一般男性と結婚、さらに妊娠8カ月であることが判明。2013年2月13日、男児を出産。

(引用:wikipedia)

GORO NO.18 1988年9月8日号

■表紙
斉藤 由貴(さいとう ゆき、1966年9月10日 - )は、日本の女優、歌手、ナレーターである。本名、小井 由貴(いさらい ゆき)旧姓、斉藤。神奈川県出身。東宝芸能所属。血液型はB型。1984年、 少年マガジン(講談社)第3回ミスマガジンでグランプリを獲得し、芸能界入り。10月、明星食品「青春という名のラーメン・胸騒ぎチャーシュー」のCMでテレビ初登場。1985年2月、「卒業」で歌手デビュー。同曲はオリコンで最高2位を記録し、約35万枚のヒットとなる。同年4月放送開始の『スケバン刑事』で連続ドラマ初主演。また同年12月には初の主演映画『雪の断章 -情熱-』が公開された。1986年、4月からNHK朝の連続テレビ小説『はね駒』のヒロインを演じた。3月に発売した「悲しみよこんにちは」がヒットし約30万の売上を果たしこの曲で、12月に『第37回NHK紅白歌合戦』へ初出場、紅組キャプテンも務めた。同曲は、テレビアニメ『めぞん一刻』の主題歌に起用された。1994年12月に結婚。その後1999年11月に長女、 2000年10月に長男、2010年12月に次女を出産、現在は3児の母となっている。

■1989年デビューアイドル
田村英里子、CoCo、ribbon、島崎和歌子、田中美奈子、細川直美、千葉美加、里中茶美、増田未亜、山中すみか、河田純子、山口弘美、星野由妃等。

(引用:wikipedia)

GORO NO.19 1989年9月28日号

■表紙
森高 千里(もりたか ちさと、1969年4月11日 - )は、日本の歌手・作詞家・作曲家・ドラマー・ギタリスト・ベーシスト・キーボーディスト等(楽器に関してはマルチプレイヤー)。本名:江口千里[5]えぐち ちさと、旧姓:森高)。所属事務所はアップフロントクリエイト。実父はロカビリーバンド「オレンジ・ヒル」で活動していた森高茂一、夫は俳優の江口洋介。1987年デビュー。GiRLPOPと呼ばれる音楽ジャンルの創始者として知られている。1990年代以降に音楽の流行の中心となる女性歌手の活動スタイルを初めて明確に打ち出した。九州女学院在学中の1986年夏、大塚製薬が主宰した「第1回ポカリスエット・イメージガールコンテスト」でグランプリを受賞。同コンテストで審査員を務めていた糸井重里とCMで共演。同年冬に芸能活動を本格化させるため上京。九州女学院を中退し、堀越高等学校に編入する。
1987年春、東宝映画『あいつに恋して』にヒロイン・松前千里役で出演、同年5月25日に同映画の主題歌「NEW SEASON」で歌手デビュー(映画の公開は5月30日)。当初は女優・タレント活動と両立して歌手活動を行っていたが、同年9月7日の渋谷LIVE INNでの初ライブをきっかけに徐々に歌手活動に重きを置くようになる。

(引用:wikipedia)

GORO NO.22 1989年11月9日号

■表紙
葉山 レイコ(はやま れいこ、1969年7月13日 - )は、日本の女優、タレント。AV女優、歌手として活動したこともある。愛知県名古屋市出身。所属事務所は浅井企画。ボディサイズはT160/B80/W56/H83(歌手デビューからAVデビュー時)→T162/B81/W56/H84(2006年、公式HP)。血液型A型。1984年、NHK教育テレビの「中学生日記」に出演していたところをスカウトされ、CFに出演。1986年、「オフショアの恋人」で歌手デビュー、「ハワイアン族のマドンナ」として売り出されるが、芽が出ないままグラビア中心の活動に移行。1988年3月、『オトメクラブ』(白夜書房)誌上で初ヌードを披露。翌月、『週刊プレイボーイ』の巻頭グラビアを飾り注目を集め、以後グラビアで人気となる。同年9月には唯一のアダルトビデオ作品、『処女宮 うぶ毛のヴィーナス』に出演、大ヒットとなる(成人指定のビデオは他にも発売されているが、いずれもイメージビデオの域を出るものではない)。1994年から翌年にかけて『ギルガメッシュないと』に出演するなど、お色気対応も可能なタレントとして深夜番組を中心に活動した。2000年以降もタレント活動や、舞台を中心とした女優活動を続けている。2006年4月より2007年3月にかけてNHK教育テレビの『スペイン語会話』に生徒役の1人として出演した。2014年11月23日、6歳年下の一般男性と結婚。

■1990年デビューアイドル
高橋由美子、桜井幸子、裕木奈江、かとうれいこ、岡本夏生、宍戸留美、和久井映見、千堂あきほ、松田樹利亜(アイドルグループBABY'Sで活動)、加藤貴子(アイドルグループLip'sで活動)、田中陽子、寺尾友美、西野妙子、早坂好恵、駒村多恵(当時は佐月亜衣の名前で活動)、中野理恵、杉本理恵、薬師寺容子、東京パフォーマンスドール、乙女塾からソロで花島優子等。

(引用:wikipedia)

GORO NO.10 1990年5月10日号

■表紙
田中 美奈子(たなか みなこ、1967年9月12日 - )は、日本の女優、歌手。戸籍名:岡田 美奈子(旧姓:田中)。サンミュージックプロダクション所属。NPO法人Ever Lasting Friends代表。夫は俳優の岡田太郎。1985年、八千代松陰高校卒業。同校在学中の1984年に「ミスマガジン」の準グランプリを受賞した。その後は1987年に「87イエイエガールズ」を結成して活動した。テレビでは1986年から、TBS「モモコクラブ」桃組No.1312としても活躍した。1989年、当時の所属事務所「ビッグ・ワン」の社長夫人(その後離婚)が元歌手の安西マリアという縁で、安西のカヴァー曲『涙の太陽』で歌手デビュー。超ミニスカートの美脚で「学園祭の女王」と呼ばれた。と同時に、所属事務所が田中の瞳に1億円の保険を掛けたことでも話題となった。2007年9月12日、同じ町内で15年来家族ぐるみの付き合いをしていたという7歳年下の俳優・岡田太郎と結婚した。

(引用:wikipedia)

GORO NO.13 1990年6月28日号

■表紙
宮沢 りえ(みやざわ りえ、1973年4月6日 - )は、日本の女優、ファッションモデル、歌手。東京都練馬区出身。エムツー企画所属。女優として映画、舞台、テレビドラマなどに出演。身長168cm。日本人の母親と、オランダ人の父親を持つハーフ。11歳の頃にモデルとしてデビューし、程なくして雑誌 『週刊セブンティーン』(当時)の表紙モデルとなった。1987年(昭和62年)、CM『三井のリハウス』の初代リハウスガール“白鳥麗子”役を務めて注目を集め、トップアイドルの一人となった。同時期から活躍していたのは後藤久美子で、同学年ということもあって仲が良く、また良きライバル関係でもあった。後藤久美子とは11歳の頃、キットカットのCMで共演歴がある。10代の頃には、17歳の時に『ふんどしカレンダー』や、18歳の時にはヘアヌード写真集『Santa Fe』などの奇抜な話題作り、そしてマネージャーを務めていた母親(通称・りえママ)の存在とで注目された。婚約や婚約解消、また男性との交際、さらに拒食症の噂など、芸能マスコミからのバッシング報道が相次ぎ、アメリカサンディエゴへの移住を発表するなど、一時期は芸能活動休止状態となった。

(引用:wikipedia)

GORO NO.2 1990年1月11日号

GORO (ゴロー) NO.2 1990年 1月11日号
表紙:宮沢りえAmazonで見てみる。
■表紙
西田 ひかる(にしだ ひかる、Hikaru Nishida、1972年8月16日 - )は、日本のタレント、女優、元アイドル歌手である。株式会社マナセプロダクション所属。本名(旧姓):西田 光(読み同じ)。西宮市観光大使。東京都調布市のアメリカンスクールに入学。チアリーディングチームに参加。 1988年日本エアシステムのキャンペーンガールに起用されて芸能界デビュー、『’88コーラルアイランド・キャンペーン』でCMに初出演。キャッチコピーは海は山ほど面白い。続いてミュージカル、『小公子セディ』の全国公演において主役を演じて舞台初出演。さらに同年4月、ポニーキャニオンからシングル「フィフティーン」でアイドル歌手としてもデビューした。同期には、Wink、田中律子、高岡早紀などがいる。2001年、かねてより噂があった、3歳年上の貿易会社勤務の男性との婚約をマスコミ発表した。男性とは翌年2002年5月に結婚、2006年8月には長男をカリフォルニアで出産

(引用:wikipedia)

GORO NO.15 1990年 7月26日号

GORO (ゴロー) NO.15 1990年 7月26日号
表紙:西田ひかるAmazonで見てみる。
■表紙
高岡 早紀(たかおか さき、1972年12月3日 - )は、日本の女優。本名、高岡 佐紀子(たかおか さきこ)。神奈川県藤沢市出身。2011年、個人事務所エアジンを立ち上げる。A-teamと業務提携。幼少期から藤沢市の安田バレエ教室でクラシックバレエを習う。雑誌『セブンティーン』モデルとして芸能活動を始め、1988年4月には「マドラス」のテレビCMで俳優・岡田真澄と共演。このCMで芸能界デビュー。同月30日にCMソングの『真夜中のサブリナ』で歌手デビューした。1989年には、映画 『cfガール』への出演で映画デビュー。同6月にはファーストアルバム『Sabrina』を発売した。1990年には映画『バタアシ金魚』に出演した。堀越高等学校を卒業した1990年に、ハウスフルーツインゼリーのCMに出演。1992年は写真集『WAOOOO!!』を出版する。1994年、映画 『忠臣蔵外伝 四谷怪談』に出演し、ヌードを披露。同作品では日本アカデミー賞の最優秀主演女優賞などを受賞する。翌年には、篠山紀信撮影のヘアヌード写真集 『one, two, three』を出版。映画、写真集と相次いでヌードを公開した。元夫は俳優の保阪尚希で、保阪との間には1998年に長男、2000年に次男と二人の男の子がもうけている。保阪と離婚後、2011年に女児をもうけた。2014年頃からのパートナーは、外食産業ダイヤモンドダイニング社長の松村厚久。

(引用:wikipedia)

GORO NO.7 1990年3月22日号

GORO (ゴロー) 1990年3月22日号 No.7
表紙:高岡早紀Amazonで見てみる。
■表紙
高橋 由美子(たかはし ゆみこ、1974年1月7日 - )は、日本の女優、歌手。愛称は「Good-P」(目が熱帯魚のグッピーに似ていると言われていたことと、Good Personality の略をかけたものである)。埼玉県さいたま市大宮区(旧大宮市)出身、所属事務所は、ビッグアップル→ヒラタオフィス(ビッグアップルが吸収されたため)→東宝芸能。中学2年生の時にスカウトされ、ビッグアップル所属となる。その後アイドル雑誌『大海賊』と専属契約し、グラビアに登場するや、看板モデルとなった。その後は『BOMB』など多数の雑誌に登場するようになり、マルチなアイドル活動を始める。1994年に主演したテレビドラマ『南くんの恋人』が話題を呼び、主題歌『友達でいいから』は初のオリコンチャートTOP10入りを果たし、約40万枚を売り上げるヒットとなる。

■1991年デビューアイドル
観月ありさ、牧瀬里穂、中江有里、横山知枝、諸岡なほ子、江崎まり、C.C.ガールズ、乙女塾からソロで三浦理恵子、瀬能あづさ、はねだえりか、中嶋美智代、Qlair、堀川早苗、東京パフォーマンスドールからソロで篠原涼子、桜っ子クラブからソロで胡桃沢ひろ子、井上晴美、中谷美紀(アイドルグループKEY WEST CLUBで活動)、中條かな子等。

(引用:wikipedia)

GORO NO.21 1991年10月24日号

■表紙
田村 英里子(たむら えりこ、1973年1月16日 - )は女優、歌手。茨城県出身。 血液型はB型。T164 B82 W56 H85。 SAGのメンバー。E, Inc.代表取締役。アメリカでの代理人は「CAA」。エンタテインメント・ロイヤーはニコール・キッドマンと同じ弁護士である。1989年3月15日、東芝EMIから「ロコモーションドリーム」でアイドル歌手としてメジャーデビュー。オリコン週間チャート9位初登場を記録し、同年デビューの歌手の中でもトップを記録し、ザ・ベストテンやザ・トップテンにも多数出演した。3枚目のシングル「真剣(ほんき)」(東芝EMI)では、1989年度の新人賞を総なめにした。

(引用:wikipedia)

GORO NO.22 1991年11月14日号

■表紙
牧瀬 里穂(まきせ りほ、1971年12月17日 - )は、日本の女優である。結婚前の本名同じ。福岡県福岡市博多区生まれ。ブルーミングエージェンシー所属。夫はファッションプロデューサーのNIGO。1989年(平成元年)、武田薬品工業主催の「ミスビタミンCハイシーガールコンテスト」で2100人の中からグランプリに選ばれ芸能界デビュー。同年12月、JR東海「クリスマス・エクスプレス」のテレビCMで一躍脚光を浴び、トップスターの仲間入りを果たした。また、宮沢りえ・観月ありさと共に3人に共通する苗字のローマ字表記の頭文字を取って「3M」と呼ばれた。1989年、JR東海・クリスマス・エクスプレスのCMで脚光を浴びる。また、映画デビュー作となった相米慎二監督の『東京上空いらっしゃいませ』(1990年)、市川準監督の『つぐみ』(1990年)で毎日映画コンクール新人賞など各映画賞の新人賞を総なめにした。1991年(平成3年)10月には『Miracle Love』(竹内まりや作詞・作曲)で歌手デビューし、30万枚を超えるヒットを記録。同年12月には『バルセロナ物語』で初舞台と活躍の場を広げる。また、清純派のイメージでCMにも多数出演。一時期CM契約本数は10社以上までに上った。2004年(平成16年)5月に共通の知人から紹介を受けてNIGOと知り合い、4年間の交際ののち2008年(平成20年)12月16日に結婚を発表した。

(引用:wikipedia)

GORO NO.12 1991年6月13日号

■表紙
岡本 夏生(おかもと なつき、1965年9月12日 - )は、日本のタレント、レースクイーンやグラビアアイドルである。本名、金村 幸子(かねむら さちこ)。現在は、芸能事務所には所属せず、フリーランスとして活動している。1986年5月に上京し、所属事務所を変更。『11PM』で全国デビュー。芸名も現在の「岡本夏生」とした。1989年に 『日清カップヌードルレーシングチーム』のレースクイーンとなり、『森田一義アワー 笑っていいとも!』への出演を機に本格的にタレント活動を始め、「ハイレグ女王」として広く知られるようになった。1990年代になると、飯島愛や杉本彩らと並ぶセクシー系のバラエティタレントとして広く活動するようになり、女優としてのドラマ出演なども行った。

(引用:wikipedia)

GORO NO.14 1991年7月11日号

最終号の表紙をだれが飾るかは、フジテレビの『TVブックメーカー』でベッティングの対象となった。最終号の表紙は宮沢りえであった。
発行元の小学館からは、『GORO』廃刊から7年4か月後、『GORO』同様のコンセプトの男性向け総合情報誌『サブラ』が創刊されたが、こちらも2010年3月号をもって廃刊となった。

(引用:wikipedia)

GORO 最終号 1992年1月2日号

【見たら懐かしい】人気グラビア雑誌「スコラ」の表紙画像を集めてみた - Middle Edge(ミドルエッジ)

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